遠藤こどもクリニックは小平市の小児科アレルギー科のクリニックです。こども達の近くにいる診療を心がけています。

腰痛とメタボからの脱却とアンチエイジングを決意した65歳体育会系小児科医の日記

記念日

2016年05月23日 | 読書感想文


誕生日や結婚記念日などは
忘れてはいけない。

花を欠かさないと決めている。
ころっと忘れて帰宅して
豪華な食事に異変を気づき、
すぐに花屋さんに走ったこと
などある筈もない。

母親以外の親兄弟の誕生日が
曖昧ではあるが、子供達の誕生日
は忘れたことはないし、年齢が
あやふやになったりはしない。

永劫などはある筈もないとは思いつつ
平穏な日々がつづけばいいと思う。
けれどいろんな事が起きる。
しかも重なったりして右往左往する。
時間がある部分解決してくれたりも
するし、24時間ずっと心配している
訳にもいかないから生活する。
それで精一杯だったりして
何とか気持ちが繋がっていける。

5年前、震災の時にまずは自分の
近くの事が心配で不安になった。
しばらくして被害の大きかった
石巻市で開業している大学の運動部
の後輩のことが心配になった。
奥さんも後輩だ。

安否確認のサイトで探したけれど
当初は見つからなかった。
しばらくして2人の無事が確認できて
金曜日にお見舞いを送ったら、
月曜日に笹かまぼこがお礼に送られ
てきた。
届いてすぐに、再開したばかりの
スーパーから急いで送ってくれた。
元気でいる事を早くに教え大丈夫
だと安心させてくれた。

翌年夏に迷惑を承知で顔を見に
行った。
建物はほとんどなくて雑草ばかりが目だつ
不思議な景色の海岸線を車で案内してくれた。
多くの人が亡くなられた河口の橋にも
連れて行ってくれた。
自分たちも震災後初めて来たと
言っていた。

その後休診日のクリニックでお茶を
何杯もお代わりして長居をさせて貰った。
迷惑かもしれなかったけれど
僕は一級上のキャプテンだから
言いたくても言えなかっただろう。
まだ電車は復旧していなかったから、
近くのショッピングセンターから
バスで仙台に行き帰ってきた。

それから3月11日が近づくとメールする。
すぐに近況を伝えてくれる。
年に一度の迷惑と不義理を包んで
くれる暖かいメールだ。

これからも出会ったり(孫だと嬉しい)、
人を送ったりしながら生きて
そして自分も送られるのだろう。

日々はカレンダーの印を目指して、
そこまでがんばろうとか、
ここまでは許そうとか考える。
そんな風に時間は流れていく。


娘さんがカレンダーにはみ出しそう
な花まるを書き込んで、お父さんは
「記念日なるかな?」
と言い、お母さんは
「なるわよ」
と答えているのを読んで目頭が
熱くなったなんて事はない。
絶対にない。
もちろん酔ってなどいない。
翌日読み直しても同じだった


初期の作品はほとんど読んでいたが
最近は御無沙汰していた作者の本。
単行本が3年前に出た時は手にする
気持ちにならなかったけれど、
文庫本が出て読んでみようと思った。
震災に触れた作品を久しぶりに
読んだ気がする。
忘れている自分を反省しつつ、
忘れられない厳しい人たちを思う。


「記念日」

『また次の春へ』
重松清 文春文庫 89-118P
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充電

2016年05月16日 | 日記


あんまり動かなくなった。
動かなくても心苦しくない。
落ち着いたともいえるが、
元気が無くなったとも言える。

じっとしていると充電され活力が
漲ってくるかといえばそうでもない。
筋力落ちて腰痛悪化の危惧がある
のでなるべく歩いている。

自由の翼(250ccのバイク)は
冬の間は駐車場で羽根を休めていた。
その間もいつも飛び立てる準備は
していた。
あんまり正確でない空気圧計で
タイヤのチェックをして、弱々しく
セルモーターを回すバッテリーも
2回充電をした。

更に3月にはホンダのバイクなのに
近所のヤマハのバイクショップで
タイヤの空気圧とチェーンの点検を
して貰らった。春の儀式だ。
そう言えば昨年秋にちゃんと
整備にだしたし、固着しない程度に
駐車場内ををぐるぐる動かしたから
チェーンはきれいだった。
タイヤの空気圧点検料だげで
100円だった。
準備は早い時期に整っていた。

それからはや2ヶ月、乗らねば
ならないと言う脅迫観念に苛まれ
つつも行動に移せなかった。
しかし、乗らなくても毎年来る
税金の請求をみて、この秋までは
自由の翼を持ち続けようと決心は
していた。

昼から用事があるだけのポカポカな
日曜日、気を決してついに今季2回目
のショートツーリングに出発した。

得意のゲートブリッジから豊洲、
銀座を周ろうかと思ったが今日は
リハビリ。
こどもたちと一緒に少年野球を
やった公園の小さなグランドに
向かった。

長男は3年生から、次男は1年生から
小学校卒業までこのクランド毎週の
様に野球をした。
僕もコーチで8年間通ったグランドだ。

高学年になるとローカルルールの
ホームランも出る狭いグランドなの
だけれど、試合をしていた低学年の
こども達には十分な広さだった。

次男が小学校を卒業までしてもう
12年、知っているコーチなもう
いなかったけれど、

“ボールをみていなさい。”
”砂で遊ばない!”

昔と同じ事を言ってコーチの声が
聞こえた。

とても軽いはずのクラッチレバーが
重く感じたしナビはないしスマホは
ポケットの中、銀座で食パンを
買う野望は諦めて中目黒を
横目に小回りして帰宅した。

バイクも充電されたし自分も
充電された。しかしながら
この体力では翼を自由に操れなさ
そうなので薬には頼らず筋力増強を
はかることを決意した。




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万歩計

2016年05月13日 | 日記


ぼーっとしていると
季節は巡り歳をとっていた。

ジムに通い、テニススクールに通い
ゴルフレッスンを受けていた3年前。
スポーティーで元気なオジちゃんが
まだまだ続くと思っていた。

もの心つく前の病気で少し右足が不自由だ。
なのでこれまでいろんな工夫をした。
自転車に乗れる様になるには時間がかかった。
均等にペダルを踏むのが難しい。
右側はささえられなくて、左カーブは
大丈夫だけど右カーブが怖くて曲がれない。
でも、幼なじみに明ちゃんは繰り返し
教えてくれてようやく乗れる様になった。
自転車を買って貰った。
明ちゃんのうちに見せに行く途中の
ゆっくり右に曲がる田んぼ道でダイブした。
まだ稲があったので怪我はしなかった。
それに遠藤家の田んぼたっだのであんまり
怒られなかった。
気をつけたけど、その後もう一度落ちた。
もう上手に乗れていたけど、暗かったし
速度超過だった。反省した。

小学校はソフトボールとドッジボールと
卓球が流行った。
フットワークや守備位置、戦術に工夫した。
なんとかついていけていたと思う。

中学、高校、大学はずっと卓球部だった。
幽霊部員の時もあったし、受験や資格試験も
あったけど大学で1番真面目に練習した。
3年秋から試合に出して貰える様になり、
6年生の夏の大会まで続けた。
団体戦で応援がつくとまあまあ強いが、
個人戦ではすぐに負けていた。
結局勢いだけで買ったが強くはなかった。
テレビで応援だけしているが卓球バーには
行きたい気がする。

社会人では意外とテニスした。
そう言えば高校大学でも時間があくと
テニスしていた。
バックハンドが全然下手だけど
まあまあだった。
錦織くんをみてもえて
またスクール再開しようかと
ちょっとだけおもったりする。

親になって子供達と一緒に野球した。
毎週日曜日、春秋に大会、夏に合宿
今思えば楽しい。
コーチの試合もあって練習もした。
練習後のお蕎麦屋さんでの反省会と称する
飲み会は楽しく、また公用だった。
もう肩が上がらないのが悲しい。
ドームでたまに応援で良いだろう。

その後ゴルフを始めた。
上手くいかなくて、きちんと習う事にし、
素振りしたり、歩いたり、雑誌を読み、
公園の芝生みるとボールを打ちたくなった。
たまにしかゴルフ場には行けないから
大切にラウンドしていたと思う。
習い始めて6ラウンド目で100を切り、
11ラウンド目で90を切った。自慢だ。
天狗になった自分のそれからの道は
思いの外険しかった。
谷に落ちて1つのホールで17回打っても
やめなかった。楽しかったし悔しかった。
細々続けている。

ちゃんと教科書を読んで、自分なりに咀嚼して
工夫して、鍛えて練習すべきだ。
すぐに結果は出ないけれど
努力は人を裏切らないと思いたい。

とは言え、まったりしてごろごろしているのが
楽しいと思う様になってきた。
家から出ない休日もありだ。
これで腰と肩が痛くなくて、衰えないなら
きっと動かないかも知れない。

そんなわけにはいかないから、連休明けから
生まれ変わろうと新しい万歩計を買って、
1kg/月減量をインプットした。
お昼になるべく歩く様にしているが、
目標消費カロリーは遠い。
この前は万歩計そのものが一時的に
迷子になってしまった。
今日の歩数はまだ三桁。
3年後に若返った自分を夢見ているが
自分の本気度を疑う今日この頃だ。



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境界線

2016年05月03日 | 日記


せっかくの連休だし、
いつもの様に早朝に1度は
目が覚めるから、そのまま
早起きして出かけられた。

5時過ぎに出たのに空いていれば
2時間弱がお茶を買った休憩だけで
ゆうに4時間半かかった。
連休恐るべし。

せっかくだからアウトレット。
いつもの様に欲しい形には
好きな色が無くて、
好きな色は形が違う。
悩ましいばかりだ。

それよりも悩ましいのはサイズ。
お腹に合わせると袖が長い。
以前は腕は長いと言われていた。
なのにこの状態はお腹が原因。
お気に入りのメーカーのサイズを
試着して思い知った。

フィットした服がおしゃれだと思う。
短いパンツをはいてみたい。
Tシャツにジャケットとか着たい。

今境界線にいる。
やせ我慢するのも生き方だ。
潔ぎよく諦めるかのも人生だ。

(県名に関して境目と言うことで
   他意はまりません。悪しからず。)


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決心

2016年05月02日 | 日記
人生3分の2くらいが過ぎた。
医師としての仕事も、もうその位は
十分過ぎている様に思う。
役に立ち迷惑をかけないで仕事をして
自分の事を何とか自分で出来る時間は
ずっとではないと自然に思う。

前ほど生き急いではいなくて、
なんとなく無事に生きていることは
とても幸せだと思える様になった。

かと言って、現状に満足していると
お腹は膨らむし、腰は痛いし、
おじいちゃん街道真っしぐらだ。
ふと気づくと手を後ろに組んで歩いて
いる事が多くなった。

若返りを図ることにした。
この先1年、3つか4つはサバがよめる
くらいを目標にする。
出来れば7つ。野望だ。
8つだと40代、それは無理だし
詐欺になってしまう。

アスリート系おじいちゃん医師でなく
おじちゃん医師になる。
明日からでなく今日から。
生まれ変わるとかは言わないで
少しずつ変化する。

今日はお昼に15分歩いた。
少しずつ増やして、もしかしたら
昼休みずっと歩く様になってしまう
不安すらでてきている。
食べながら歩くかもしれない。

四捨五入とかでなく普通に還暦が見えてきた。
SNSで誕生日のお祝いを貰って強く思う。
あまりの本気さで付き合いすら悪くなって
しまう事はないと思う。
みんなありがとう。



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