誕生日や結婚記念日などは
忘れてはいけない。
花を欠かさないと決めている。
ころっと忘れて帰宅して
豪華な食事に異変を気づき、
すぐに花屋さんに走ったこと
などある筈もない。
母親以外の親兄弟の誕生日が
曖昧ではあるが、子供達の誕生日
は忘れたことはないし、年齢が
あやふやになったりはしない。
永劫などはある筈もないとは思いつつ
平穏な日々がつづけばいいと思う。
けれどいろんな事が起きる。
しかも重なったりして右往左往する。
時間がある部分解決してくれたりも
するし、24時間ずっと心配している
訳にもいかないから生活する。
それで精一杯だったりして
何とか気持ちが繋がっていける。
5年前、震災の時にまずは自分の
近くの事が心配で不安になった。
しばらくして被害の大きかった
石巻市で開業している大学の運動部
の後輩のことが心配になった。
奥さんも後輩だ。
安否確認のサイトで探したけれど
当初は見つからなかった。
しばらくして2人の無事が確認できて
金曜日にお見舞いを送ったら、
月曜日に笹かまぼこがお礼に送られ
てきた。
届いてすぐに、再開したばかりの
スーパーから急いで送ってくれた。
元気でいる事を早くに教え大丈夫
だと安心させてくれた。
翌年夏に迷惑を承知で顔を見に
行った。
建物はほとんどなくて雑草ばかりが目だつ
不思議な景色の海岸線を車で案内してくれた。
多くの人が亡くなられた河口の橋にも
連れて行ってくれた。
自分たちも震災後初めて来たと
言っていた。
その後休診日のクリニックでお茶を
何杯もお代わりして長居をさせて貰った。
迷惑かもしれなかったけれど
僕は一級上のキャプテンだから
言いたくても言えなかっただろう。
まだ電車は復旧していなかったから、
近くのショッピングセンターから
バスで仙台に行き帰ってきた。
それから3月11日が近づくとメールする。
すぐに近況を伝えてくれる。
年に一度の迷惑と不義理を包んで
くれる暖かいメールだ。
これからも出会ったり(孫だと嬉しい)、
人を送ったりしながら生きて
そして自分も送られるのだろう。
日々はカレンダーの印を目指して、
そこまでがんばろうとか、
ここまでは許そうとか考える。
そんな風に時間は流れていく。
娘さんがカレンダーにはみ出しそう
な花まるを書き込んで、お父さんは
「記念日なるかな?」
と言い、お母さんは
「なるわよ」
と答えているのを読んで目頭が
熱くなったなんて事はない。
絶対にない。
もちろん酔ってなどいない。
翌日読み直しても同じだった
初期の作品はほとんど読んでいたが
最近は御無沙汰していた作者の本。
単行本が3年前に出た時は手にする
気持ちにならなかったけれど、
文庫本が出て読んでみようと思った。
震災に触れた作品を久しぶりに
読んだ気がする。
忘れている自分を反省しつつ、
忘れられない厳しい人たちを思う。
「記念日」
『また次の春へ』
重松清 文春文庫 89-118P