こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年5月18日 金曜日 YMO 「Mass」(From Album「BGM」)'81.3.21発表

2012-05-18 20:56:55 | 音楽帳



■YMO 「Mass」
(作詞:細野晴臣、ピーター・バラカン/作曲:細野晴臣)

行く手の空は、あけぼので
あそこへむかって歩くのは
不思議な高揚感がある

今、歩いているこの場所も
後方からは、このように見えるのだ

わたしは歩く
皆も歩いている



アルバム「BGM」は、自分にとって永遠に重いアルバムだが、細野さんのこの曲は、かつて出版した「地平線の階段」というタイトルを思い出させる。


このジャケットは、ポジティヴ・パンク時代に登場した、プレイ・デッドのものだが、自分の中では、この「マス」とイメージがオーヴァーラップしている。

1981年当時、どこからか、小学生にこの「マス」が人気である、という都市伝説的な妙なうわさが出回った。
単なる悪い冗談だと、自分は思っている。
しかし、新しいYMOを模索する中で、産まれた名曲であることは事実。
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2012年5月17日 木曜日 報われない死者の魂

2012-05-17 21:55:03 | 雑記帳


2011年3月11日、あれから14カ月。
国家を預かっているフリをした政治は、何もしていないし・何も進んでいない。
タイタニック号が沈没していく中、音楽隊は演奏を続ける。
終焉への葬礼歌が演奏されながら、ずぶずぶ沈んでいく。泡をぷくぷくさせながら。

毎日毎日、千葉でずにーらんど・めくるめくメリーゴーランドの如く、コドモだましのくだらない雑事を巡る雑談が、この日本の領土のあちこちで、ぐだぐだぐだぐだ繰り返されている。
既に国家として「終わってしまっている日本」。

ただ、そんな人間のしがらみの外側では、日本の風土・自然・生き物・植物・街は、まだ輝きを静かに放っている。
それを虫メガネで見ながら、過ごす。
そこにしか、自分の宇宙はない。

***

昨日、温度が少し上がった。
自分は、午後の時間帯、大手町から日本橋を歩いていた。
確かに日差しは強かったが、紫外線が強いのが5月なのは、今に始まったことではない。
また不安定な陽気ゆえ、日によって温度が上がったり下がったりするのは例年通り。

夜、ニュースを付ければ「熊谷では○○℃です!」と、1人興奮した外回りの「報道人」らしき雇われレポーター。
熱中症で、83歳の方が倒れたという。バタバタ倒れたとは誰にも認識は無い。
こういう些細な、ごくごくある微細な1件を拡大解釈して報道しながら、昨年同様「猛暑が来る。電力不足が来る。」と、報道は人々を煽り立て、人の恐怖心を煽り・経済活動に無理矢理結び付けようとする。
またもや詐欺キャンペーンの始まり。

伊集院光さんは、先日のラジオで「7月にもなれば、自分はハダカにニップレスのみで過ごす」という諧謔(かいぎゃく)を述べていたが、伊集院さんらしい風刺。

***

先日、首都直下型地震は○パーセントの確率で、震度7が○年以内に発生する、というニュース。

自分が未だに不透明さを感じるのは、天気予報同様。
「降水確率は40パーセントです」というのは、「あんまり自信が無いけど、雨が降るかもしれないかなあ。。。
だいたい自信としては4割くらいかなあ。。。」、そんな意味だろうが、今一しっくりこない。

地震についてもだが、確率論が物事を語る1つの切り口であったとしても、それだけを述べても、何も述べていないに等しい。
一部のカルト人間が大好きな「占い」とそう変わりはない。
富士山が爆発する、なんてものも、小さい頃からずーっと「ウワサ」されてきたブームの再来。
オウムも3・11も通過しながら、何を見て何を学んで来たのか理解に苦しむ。

また、震度7が来たら、ある程度の建物は崩壊するだろうし、被害全てを避けることは出来まい。

かつて、デフレスパイラルの中、日本の建築業界の常套手段=下請け丸投げ、かつ、値段を叩きに叩き・・・・
結果、家の構成物の材料を省いたり・図面には無い設計変更を行い・ごまかし工事でコストダウン。
その末で、欠陥住宅問題が、白日の下にさらされることになった。

しかも、あくまで発覚してしまったから、あたかも反省しているフリをして・正している風を装っているだけのこと。
それまでに建てられた建物の構造なんてものは、アテになったものじゃない。
阪神淡路大震災以降、建築物は耐震性を重視してきたが、下請け・孫請け構造の重圧から、結果こんな事件にたどり着いた。

その後、今度は、適当な専門家を招いて、報道は「震度7には、この建物は耐えられませんね」と弱そうなエリアを見せて回る映像を作る。
普通に考えれば分かる通り、震度7に何事も起きずに、平気である建物やエリアなどがある訳がない。
勘繰るに、単にこれは、それを利用したエリア再開発促進をしようとする動きに思えてならない。
どれだけ建築業界に金を融通すれば済むのか?
どれだけ歴史的建物を潰せば済むのか?

***

報道番組を、微妙にワイドショー番組寄りに仕立てたのは、1985年に始まった、久米宏さん・小宮悦子さんの「ニュースステーション」だった。
当時は、斬新だったこの番組だったが、あれから二十余年。
このスタイルを真似した挙句の果てで、今では、報道番組などどこにもない。
たかだが暑い日が1日起きただけで、大騒ぎする東京スポーツ的な番組を、2012年の日本は「報道番組」と呼んでいる。

東京スポーツは、確信犯であることを認識した上で「○○ちゃん、明日のトップは何で行こうか?」というノリでギャグ新聞を作る。
そこには、いさぎよい・すがすがしさと楽しさがある。彼らには罪は無い。

しかし、公共の電波を独占しながら、東スポそっくりの報道番組を放送している様は、異様としか言えない。
彼らは、そうやって、日々を適当に暮らし、為政者や影の黒幕や某広告代理店と繋がりながら、都合の悪いことになると「報道の自由」など訳の分からない屁理屈をタテにする。
「報道の自由」などと言いながら、自ら勝手に自主規制し、放送禁止用語を作り、様々な団体からの批判を回避することしか考えていない。
「報道」という言葉を使える程の主体性など、元々みじんも持っていない。
「ワッショイ、ワッショイ、祭りだ!ワッショイ!」と、事件が起きるたびに神輿(みこし)を担いでいる。

事件が起きた現地では、悲しみに暮れる人にインタビューし・いかにも同調したフリをしながら、「良いカット」を撮ろうとカメラマンが迫る。
悲しみを演出するために、誘導尋問をして、シナリオに欲しい言葉を、無理矢理吐き出させる。
現場付近に持って来させた装飾物を置いて、その場面を撮影するのも、お手のものである。

要は、クズ人間の群れに過ぎない。

***

自社の流れで完結しているユニクロは、柳井さんの経営力もあって、独自の路線を描いている。

一方、堂々と「安いよ!安いよ!」と広告を打ち出ししつつ、「お客様のため」などいう平気な嘘を付く。
○ オン、○ トリ、○○○ 電気など・・・国賊にしか見えない。
これ以外も挙げればキリが無いが。
これらのバイイングパワーを持った企業が、デフレをさらに深める導火線に火を灯している。

この20年ひたすら経済が落ち続け、給与が減る中、安いものに飛びつくのは仕方の無いことだが、それが自らの首を絞めるのを主婦は判っているのだろうか?。
モノには、適正価格という一線がある。割ってはいけない一線がある。
安ければ安いほど良い、という理論は無い。

しかし、自社完結出来ないこれらの企業は、単に仕入業者の納入価格を叩き・低粗利~赤字でやらせ、その後、その商品が売れて儲かると分かれば、仕入業者を切り捨て、同じものを海外生産で大量に作らせるシフトに切り替える。
自殺者や精神を病んでしまう人々、職を失う人々は、この手の企業からの被害者であるケースも多々ある。

自らも、日本経済の隅っこに居る中で、他人ズラをするつもりは無い。
しょせんは、その腐敗のルツボの中に巻き込まれて、もがいている。

但し、安く買えるには、その背後に安く作らされている人が居る。
(機械化に拠る自動生産、工程数を減らしたモノ作りだけが全てでは無いのは、現物を見れば明らか)
そのイメージだけは失わず、物欲から出来うるだけ離脱した世界で生きていたい。

まあ、今の自分には、本や音楽メディアくらいしか、物欲は残っていないが。。。。

■Bvdub 「This Place Has Only Known Sadness」■
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2012年5月17日 木曜日 愛しのフェロモン・レコード~Newton Family 「Sound Of Summer」'81

2012-05-17 07:13:29 | 音楽帳
若干なりとも、暗がりの気分から逸脱しよう。。。。

***

70~80年代初め、海外での評価とは違い、日本国内では好かれていた海外ミュージシャンというものがあった。
チープ・トリックなどは、その一例。

また、それとは微妙に別として、日本国内でメジャーヒットした海外ミュージシャン。
ABBA、アラベスクなどは、土曜日昼からの洋楽チャート番組=FM東京「ポップスベスト10」でよく聴いた。

またまた、それとは別にして「世界歌謡祭」なる、今思えば珍妙な国内外のミュージシャンを集めた祭典が日本では行われていた。
「世界」といいながら、じゃあ海外の一流ミュージシャンが出るのか?
といえばそうではなくて、そこでしかお目にかかれない人たちが居た。

ニュートン・ファミリーというバンドもその1つ。

***

自分は、ニュートン・ファミリーは好きだったのか?
そう聞かれれば「ニュートン・ファミリーの音楽には興味が無かったが、エバに興味があった」と答える。

ニュートン・ファミリーのエバを見て、当時の少年が感じたのは「海外というのは進んでいるなあ」なる感想。
ピンク・レディーの洗礼は受けては居たが、エバはそれをも超えていた。
それは、容貌と不一致な罪の無い笑顔。

2012年の日本女性は、一般人がえらい格好をして外を跋扈し、どこまでが水モノで・どこまでがフツーの人か境目が無い。
そこから30年前、ホットパンツにキラキラのブーツ姿で、なんのてらいも無く、純朴な笑顔を浮かべるエバは、当時少年だった自分に、海外の遠さを感じさせた。

***

師匠・みうらじゅん先生が作り出した分野の1つに「魅惑のフェロモン・レコード」というものがある。
中身の音楽ではなくて、ジャケットの珍妙さを味わうという発想。

現代のようにYOUTUBEでほとんどの音楽が聴ける時代と異なって、視聴も不可能な少年の頃、自分もレコード盤のジャケットは購入判断の1つの基準になっていた。
「ジャケ買い」なるコトバ。

「これを買いに行こう」とレコード屋さんに向かうが、ついついフェロモンを放つジャケットに惹かれて、それを購入してしまったり・・・。
そこには、まじめに音楽を聴きたくて買ったものもあれば、一方では、当然そうでは無くて、ジャケットの女性の様に惹かれて買ってしまうもの・・・。

***

てなことでニュートン・ファミリーの「ザ・サウンド・オブ・サマー」である。
このレコードは、90年代以降に手に入れた。
手持ちのお金の少ない、少年時代に買えなかった郷愁も含めて。
みうらじゅん先生同様、このシングル盤は、一度もターンテーブルには乗せていない。
あくまでエヴァの様に導かれて買った。

ニュートン・ファミリーのメインに立っていた女性は2人居たが、片方のウルトラマンのようなメガネを掛けた女性には一切興味が無い。

右側のエバの健康そのものな、ピチピチした眩しいビキニと笑顔がたまらなく、自分の中の少年心をくすぐる。
当時、鼻血ものだったきわどい水着と肉感的な姿。
エバは、本当に可愛かった。

だからと言って、今エバがどうなっているかは知りたくない。
また、中身のサウンドも聴きたくはない。
このジャケットさえ見れれば、それで十分である。
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2012年5月16日 水曜日 西巣鴨から早稲田までの都電沿線の旅(2003年5月6日)

2012-05-16 07:08:24 | 写真日和

西巣鴨






正面にサンシャイン60










面影橋













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2012年5月15日 火曜日 府中大国魂神社 例大祭(2003年5月5日)

2012-05-15 07:12:16 | 写真日和
まだ元気があった2003年・9年前。
府中のスポーツセンターに一泳ぎに行ったあと、府中本町駅をぶらぶら。
大国魂神社の例大祭があり、しばし眺めていた。















おまけ : 当時のまみちゃん



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2012年5月14日 月曜日 クオーターフラッシュ 「ミスティ・ハート」(harden my heart)'81.11

2012-05-14 23:02:15 | 音楽帳


小林克也さんの「ベストヒットUSA」で「一聴惚れ」してしまったクオーターフラッシュ。
メロディの良さもあるが、女性ヴォーカル=リンディ・ロスの声の良さ。
そして、当時珍しく感じたのが、サックスが曲のサビになっていた点。
そこには、産業音楽としてパターン化されていくポップスには無い、キラリと輝くものがあった。
この時点で、これと相対峙する曲は無かった。

当時、これ以外のクオーターフラッシュも聴いてみたが「ミスティ・ハート」を超える曲は見い出せなかった。
とはいえ、この曲だけは、時代を超えて未だに素晴らしい。
このシングル盤のウラ面のコピーに「真夜中の疾走・・・」とあるが、まさにこの曲は、怪しい夜にしか似合わない。

■Quarterflash 「Harden My Heart」


この曲を聴いていて思い出した。
一年に一回、秋風が吹くと、御茶ノ水ではアートフェアが街全体である。
そのときに、必ず御茶ノ水聖橋口の駅前で、中学か高校の音楽部がジャズを演奏する。
それがなかなか素晴らしいのだが、見入っていていつも思うのが、サックスを吹く女史のカッコ良さ。
女子がサックスを吹く姿というのは、なんとも凛々しく、カッコ良い。
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2012年5月13日 日曜日 今週の旅より

2012-05-13 11:30:39 | 写真日和




































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2012年5月11日 金曜日 「ジプシーたちの夢」

2012-05-11 21:59:56 | 雑記帳


ジプシー・・・。
ジプシーとならざるをえない者の行方は、様々である。

’孤’となったジプシー同志のゆるやかな連携・・・そうであれば良いが。

結果、集団心理の中に飲み込まれ、同志を殺し合った連合赤軍事件のような形もあろう。

家族から離脱し、ボードピープルと化してしまった者たちが「おっちゃん」と慕って、血の繋がらない者同志が繋がった「イエスの方舟」もあった。
(「おっちゃん」は、世間・マスコミから一方的に迫害されたが、当時の自分には、それは単なる差別にしか見えなかった。)

80年代中盤以降、発狂していく東京。
御茶ノ水駅前に、手相見やアンケートと称して、宗教関係の「たちんぼ」の女性が現れたのは、自分がガタガタの素浪人時代・1985~86年頃だった。

近しい頃、見聞きするようになったオウム真理教。
それが組織化し・肥大化していく。
1995年、阪神淡路大震災より少し経て起こしたテロ、というよりもクーデター=国家転覆=別国家創造への夢。
ここにもジプシーたちが吸い込まれて至った、航跡の一例がある。

さまざまなかたち。
望む社会的拠点も無く・社会への足ががりもなく・はしごを奪われ、家/血縁関係からも排斥された者が、追い詰められた末、そこで手を伸ばしたところにあったのは何か?
誰と出会い・誰がその手に触れたのか?
それ次第で、彼の航路は多様に変わっていった。

***

自分個人としては、愛する童話「ブレーメンの音楽隊」を夢見る。
夢だとしても。

歳を取ってジャマだ、役に立たない・・・などなど。
虐待やイジメ。
食べたり・殺そうとする飼い主から脱出しようと、ロバさん・ネコさん・イヌさん・ニワトリさんは、ブレーメンに行って音楽隊になることを目指す。

「ブレーメンの音楽隊」と言いながら、その道中の森の家で出会った、悪だくみをする泥棒たちを驚かせ、その家を奪い取り、そこでみんなが集って安堵する場所を得て暮らすおはなし。

「彼らは、もともとブレーメンに行くつもりは無く、森に逃げたかったんだ」という解釈する人も居るが、自分にはそんなことはどうでも良い。

■一風堂 「ドリーム・オブ・ザ・ジプシーズ」'83
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2012年5月10日 木曜日 砂原良徳さんの「リミナル」をめぐって

2012-05-10 22:05:36 | 音楽帳


昨年やっと発表された砂原良徳さんのアルバム「リミナル」。
何度か聴いたが、いまだに自分の中にわだかまっているのは事実である。
聴き込むことでの化学変化の予兆を感じない。

YMOにあこがれて音楽道を歩き、すさまじい量の多様なレコードを聴いてきた砂原さんが、ソロとして発表してきたアルバム。
この「リミナル」を除く4枚のアルバムには、彼の中で膨張し醸造された濃密な音と構成が常にあった。
過去「YMOのどこに一番惹かれるのか?」という質問へ、彼が回答したのは「スキが無いところ」。
それは裏返せば、「自分もそうありたい」「そうあるべきである」という自分へ課した・妥協しない棒高跳びのバーのようなものだったと思う。

***

彼のソロ1枚目の「クロスオ-ヴァー」が発表されたのが1995年。
自分は大阪。
1991年から大阪に居た自分は、当時、雑誌「TVブロス」を毎度購入し、TVチェックで好きな番組を全部ビデオに録画していた。
「TVブロス」といううすっぺらい、だけども、他のTV雑誌とは一線を画すサブカルチャーの匂い強い雑誌には、リリーフランキーさんのイラスト付エッセイ・爆笑問題の太田くんの連載・奇妙な特集記事・そして我々のような人種に近いCDを紹介するコーナーがあった。
砂原さんの「クロスオ-ヴァー」を知ったのは、この紙面で、だった。

桜ノ宮と扇町の真ん中くらいに住んでいた自分は、よくチャリンコを転がして夕暮れの梅田にカメラを持って、旅に出た。
購入したお店は記憶におぼろげなのだが、阪神百貨店のCDショップ「ブリーズ」だったような気がする。

砂原さんとの出会いはここに始まった。

***

1996年東京に戻って以降、小さい頃憧れた空の旅へのオマージュとして、’98年に連作発表された「テイクオフ&ランディング」「サウンド・オブ・’70s」。
そして、余計な音をそぎ落として行った結果生まれた’01年の名作「ラブ・ビート」。
毎度毎度、広がっていく世界を楽しみにしていた。

その後の沈黙は、自分には長かった。
なぜ次のアルバムが出ないのか?
そう思いながら、お互い10年の歳月が流れ、3・11後に発売になった「リミナル」。

常に異なる音を発見し・育て続けてきた砂原さんにしては、どうしても「ラブ・ビート」を亜流に崩しただけのような音に聴こえてしまう。
彼の意図や、音の核がつかめないまま・・・そのまま今日も不完全な満たされない想いが続く。

***

かつて、ハジメちゃん(=立花ハジメ)は「才能は枯渇する」という名言を吐いた。
彼のソロ1枚目の「H」以降、誰もが発想もしなかった形で新しい音楽を産み出した天才・ハジメちゃんは、80年代後半に失速する。

砂原さんに、この言葉を当てはめるつもりは毛頭ないが、考え過ぎというか・はっきりしない悩み深い所にハマってしまっている感は否めない。
それは、昨年、このブログに掲載したインタビューでの、砂原さんの語る言葉に含まれた葛藤からも感じられる。

YMOに影響を受けた日本のミュージシャンは多いが、そのほとんどが大した音を産み出すことが出来ずに年寄りになってしまった。
影響を受けたにしては、小さな小さな実しか出来なかった。
そんな中で、YMOからの影響を、暗中模索であろうと・是が非でも表現の形に結晶したい、という強い意志の現れを持って今を迎えているのは、石野卓球と砂原さんくらいではないだろうか?

砂原さんが、このままで終わるなどは思ってもいない。
早く次の新しい視点に立ってもらえることを、自分は期待している。

■砂原良徳 「アースビート」'01
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2012年5月8日 火曜日 - 「九段下ビル」 2011年12月30日 / 2012年5月4日 -

2012-05-08 22:31:30 | 想い出かたちんば
中学2年の後半から3年生を通して、神保町にある塾に通っていた。
2人の親に挟まれて、もんもんとしつつ・やむなく「通わされた」塾は多かったが、唯一と言っていいほど、ここだけは先生も仲間も好きで、通うのが楽しみだった。

大学生3人(友人2人+「たぶん」片方の彼女)が、靖国通り・専修大の交差点のビルの一室で教えていた、小さな塾。

2人の先生は、まるで兄貴分みたいに、とても身近で親身な人だった。
また、ここでは普段交流の無い、ヨソの九段中学らの同級生と出会い・友だちになった。

ひたすら、放浪し、街の風に漂っていた者が、居場所を見つけた感じがあった。
家でも学校でもない、貴重な第三の空間。
十数人程度での、なごんだ授業。
ツッパリもいれば、可愛い女の子もいて・・・気の良い人が多かった。

その塾に通うのに、自分は九段会館付近の東西線・九段下駅出口から、外に出ていた。
(当時、都営新宿線はあっただろうか?)

そして、神保町に向かっててくてく・・・靖国通りをよく歩いた。
歩くと、俎橋(まないたばし)という風情ある橋を渡る。
(夏にセミが鳴く中、ギラギラとアスファルトに光が反射する中、橋を渡ったシーンが思い出される。)

橋の上には首都高速。
その高速をくぐると、向かって左側に古い歴史的建物「九段下ビル」が現れた。
昭和二年に建てられた建物。

当時は、カメラなど持っていなかったから、写真には納めることなく、ただ歩いて・見る。
それだけを楽しんだ。

***

・・・・あの地点から30年。
2011年末のハブ噛み師匠・MZ師との歩き旅。
本郷の宿で一泊二日の、昨年最後の集まり。
御茶ノ水で待ち合わせ、駿河台を下り、神保町を通って、靖国神社に向かう途中。

いつもの通り現れた「九段下ビル」。

この年末12月30日の眺望は、「九段下ビル」解体決定後の残り時間無き中。
これが、長年見てきた「九段下ビル」への最後のあいさつの日となった。

この休みに、雨の中歩くと、えぐられるように更地と化していた。
「九段下ビル」も約85年の歴史に幕を下ろした。

***

■2011年12月30日撮影






















■2012年5月4日撮影



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