こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年5月17日 木曜日 報われない死者の魂

2012-05-17 21:55:03 | 雑記帳


2011年3月11日、あれから14カ月。
国家を預かっているフリをした政治は、何もしていないし・何も進んでいない。
タイタニック号が沈没していく中、音楽隊は演奏を続ける。
終焉への葬礼歌が演奏されながら、ずぶずぶ沈んでいく。泡をぷくぷくさせながら。

毎日毎日、千葉でずにーらんど・めくるめくメリーゴーランドの如く、コドモだましのくだらない雑事を巡る雑談が、この日本の領土のあちこちで、ぐだぐだぐだぐだ繰り返されている。
既に国家として「終わってしまっている日本」。

ただ、そんな人間のしがらみの外側では、日本の風土・自然・生き物・植物・街は、まだ輝きを静かに放っている。
それを虫メガネで見ながら、過ごす。
そこにしか、自分の宇宙はない。

***

昨日、温度が少し上がった。
自分は、午後の時間帯、大手町から日本橋を歩いていた。
確かに日差しは強かったが、紫外線が強いのが5月なのは、今に始まったことではない。
また不安定な陽気ゆえ、日によって温度が上がったり下がったりするのは例年通り。

夜、ニュースを付ければ「熊谷では○○℃です!」と、1人興奮した外回りの「報道人」らしき雇われレポーター。
熱中症で、83歳の方が倒れたという。バタバタ倒れたとは誰にも認識は無い。
こういう些細な、ごくごくある微細な1件を拡大解釈して報道しながら、昨年同様「猛暑が来る。電力不足が来る。」と、報道は人々を煽り立て、人の恐怖心を煽り・経済活動に無理矢理結び付けようとする。
またもや詐欺キャンペーンの始まり。

伊集院光さんは、先日のラジオで「7月にもなれば、自分はハダカにニップレスのみで過ごす」という諧謔(かいぎゃく)を述べていたが、伊集院さんらしい風刺。

***

先日、首都直下型地震は○パーセントの確率で、震度7が○年以内に発生する、というニュース。

自分が未だに不透明さを感じるのは、天気予報同様。
「降水確率は40パーセントです」というのは、「あんまり自信が無いけど、雨が降るかもしれないかなあ。。。
だいたい自信としては4割くらいかなあ。。。」、そんな意味だろうが、今一しっくりこない。

地震についてもだが、確率論が物事を語る1つの切り口であったとしても、それだけを述べても、何も述べていないに等しい。
一部のカルト人間が大好きな「占い」とそう変わりはない。
富士山が爆発する、なんてものも、小さい頃からずーっと「ウワサ」されてきたブームの再来。
オウムも3・11も通過しながら、何を見て何を学んで来たのか理解に苦しむ。

また、震度7が来たら、ある程度の建物は崩壊するだろうし、被害全てを避けることは出来まい。

かつて、デフレスパイラルの中、日本の建築業界の常套手段=下請け丸投げ、かつ、値段を叩きに叩き・・・・
結果、家の構成物の材料を省いたり・図面には無い設計変更を行い・ごまかし工事でコストダウン。
その末で、欠陥住宅問題が、白日の下にさらされることになった。

しかも、あくまで発覚してしまったから、あたかも反省しているフリをして・正している風を装っているだけのこと。
それまでに建てられた建物の構造なんてものは、アテになったものじゃない。
阪神淡路大震災以降、建築物は耐震性を重視してきたが、下請け・孫請け構造の重圧から、結果こんな事件にたどり着いた。

その後、今度は、適当な専門家を招いて、報道は「震度7には、この建物は耐えられませんね」と弱そうなエリアを見せて回る映像を作る。
普通に考えれば分かる通り、震度7に何事も起きずに、平気である建物やエリアなどがある訳がない。
勘繰るに、単にこれは、それを利用したエリア再開発促進をしようとする動きに思えてならない。
どれだけ建築業界に金を融通すれば済むのか?
どれだけ歴史的建物を潰せば済むのか?

***

報道番組を、微妙にワイドショー番組寄りに仕立てたのは、1985年に始まった、久米宏さん・小宮悦子さんの「ニュースステーション」だった。
当時は、斬新だったこの番組だったが、あれから二十余年。
このスタイルを真似した挙句の果てで、今では、報道番組などどこにもない。
たかだが暑い日が1日起きただけで、大騒ぎする東京スポーツ的な番組を、2012年の日本は「報道番組」と呼んでいる。

東京スポーツは、確信犯であることを認識した上で「○○ちゃん、明日のトップは何で行こうか?」というノリでギャグ新聞を作る。
そこには、いさぎよい・すがすがしさと楽しさがある。彼らには罪は無い。

しかし、公共の電波を独占しながら、東スポそっくりの報道番組を放送している様は、異様としか言えない。
彼らは、そうやって、日々を適当に暮らし、為政者や影の黒幕や某広告代理店と繋がりながら、都合の悪いことになると「報道の自由」など訳の分からない屁理屈をタテにする。
「報道の自由」などと言いながら、自ら勝手に自主規制し、放送禁止用語を作り、様々な団体からの批判を回避することしか考えていない。
「報道」という言葉を使える程の主体性など、元々みじんも持っていない。
「ワッショイ、ワッショイ、祭りだ!ワッショイ!」と、事件が起きるたびに神輿(みこし)を担いでいる。

事件が起きた現地では、悲しみに暮れる人にインタビューし・いかにも同調したフリをしながら、「良いカット」を撮ろうとカメラマンが迫る。
悲しみを演出するために、誘導尋問をして、シナリオに欲しい言葉を、無理矢理吐き出させる。
現場付近に持って来させた装飾物を置いて、その場面を撮影するのも、お手のものである。

要は、クズ人間の群れに過ぎない。

***

自社の流れで完結しているユニクロは、柳井さんの経営力もあって、独自の路線を描いている。

一方、堂々と「安いよ!安いよ!」と広告を打ち出ししつつ、「お客様のため」などいう平気な嘘を付く。
○ オン、○ トリ、○○○ 電気など・・・国賊にしか見えない。
これ以外も挙げればキリが無いが。
これらのバイイングパワーを持った企業が、デフレをさらに深める導火線に火を灯している。

この20年ひたすら経済が落ち続け、給与が減る中、安いものに飛びつくのは仕方の無いことだが、それが自らの首を絞めるのを主婦は判っているのだろうか?。
モノには、適正価格という一線がある。割ってはいけない一線がある。
安ければ安いほど良い、という理論は無い。

しかし、自社完結出来ないこれらの企業は、単に仕入業者の納入価格を叩き・低粗利~赤字でやらせ、その後、その商品が売れて儲かると分かれば、仕入業者を切り捨て、同じものを海外生産で大量に作らせるシフトに切り替える。
自殺者や精神を病んでしまう人々、職を失う人々は、この手の企業からの被害者であるケースも多々ある。

自らも、日本経済の隅っこに居る中で、他人ズラをするつもりは無い。
しょせんは、その腐敗のルツボの中に巻き込まれて、もがいている。

但し、安く買えるには、その背後に安く作らされている人が居る。
(機械化に拠る自動生産、工程数を減らしたモノ作りだけが全てでは無いのは、現物を見れば明らか)
そのイメージだけは失わず、物欲から出来うるだけ離脱した世界で生きていたい。

まあ、今の自分には、本や音楽メディアくらいしか、物欲は残っていないが。。。。

■Bvdub 「This Place Has Only Known Sadness」■
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2012年5月17日 木曜日 愛しのフェロモン・レコード~Newton Family 「Sound Of Summer」'81

2012-05-17 07:13:29 | 音楽帳
若干なりとも、暗がりの気分から逸脱しよう。。。。

***

70~80年代初め、海外での評価とは違い、日本国内では好かれていた海外ミュージシャンというものがあった。
チープ・トリックなどは、その一例。

また、それとは微妙に別として、日本国内でメジャーヒットした海外ミュージシャン。
ABBA、アラベスクなどは、土曜日昼からの洋楽チャート番組=FM東京「ポップスベスト10」でよく聴いた。

またまた、それとは別にして「世界歌謡祭」なる、今思えば珍妙な国内外のミュージシャンを集めた祭典が日本では行われていた。
「世界」といいながら、じゃあ海外の一流ミュージシャンが出るのか?
といえばそうではなくて、そこでしかお目にかかれない人たちが居た。

ニュートン・ファミリーというバンドもその1つ。

***

自分は、ニュートン・ファミリーは好きだったのか?
そう聞かれれば「ニュートン・ファミリーの音楽には興味が無かったが、エバに興味があった」と答える。

ニュートン・ファミリーのエバを見て、当時の少年が感じたのは「海外というのは進んでいるなあ」なる感想。
ピンク・レディーの洗礼は受けては居たが、エバはそれをも超えていた。
それは、容貌と不一致な罪の無い笑顔。

2012年の日本女性は、一般人がえらい格好をして外を跋扈し、どこまでが水モノで・どこまでがフツーの人か境目が無い。
そこから30年前、ホットパンツにキラキラのブーツ姿で、なんのてらいも無く、純朴な笑顔を浮かべるエバは、当時少年だった自分に、海外の遠さを感じさせた。

***

師匠・みうらじゅん先生が作り出した分野の1つに「魅惑のフェロモン・レコード」というものがある。
中身の音楽ではなくて、ジャケットの珍妙さを味わうという発想。

現代のようにYOUTUBEでほとんどの音楽が聴ける時代と異なって、視聴も不可能な少年の頃、自分もレコード盤のジャケットは購入判断の1つの基準になっていた。
「ジャケ買い」なるコトバ。

「これを買いに行こう」とレコード屋さんに向かうが、ついついフェロモンを放つジャケットに惹かれて、それを購入してしまったり・・・。
そこには、まじめに音楽を聴きたくて買ったものもあれば、一方では、当然そうでは無くて、ジャケットの女性の様に惹かれて買ってしまうもの・・・。

***

てなことでニュートン・ファミリーの「ザ・サウンド・オブ・サマー」である。
このレコードは、90年代以降に手に入れた。
手持ちのお金の少ない、少年時代に買えなかった郷愁も含めて。
みうらじゅん先生同様、このシングル盤は、一度もターンテーブルには乗せていない。
あくまでエヴァの様に導かれて買った。

ニュートン・ファミリーのメインに立っていた女性は2人居たが、片方のウルトラマンのようなメガネを掛けた女性には一切興味が無い。

右側のエバの健康そのものな、ピチピチした眩しいビキニと笑顔がたまらなく、自分の中の少年心をくすぐる。
当時、鼻血ものだったきわどい水着と肉感的な姿。
エバは、本当に可愛かった。

だからと言って、今エバがどうなっているかは知りたくない。
また、中身のサウンドも聴きたくはない。
このジャケットさえ見れれば、それで十分である。
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