こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年5月27日 日曜日 Peter Cusack「The Horse Was Alive,The Cow Was Dead」'00

2012-05-27 18:08:03 | 音楽帳
最初、JANISでレンタルして聴いていたピーター・キューザックとマックス・イーストレイの「デイ・フォー・ナイト」。

ブライアン・イーノのオブスキュア・レーベルから出したマックス・イーストレイのレコードが好きだったことから、借りたもの。
後に、ちゃんとCDで購入。



その後、偶然CDショップで発見した、ピーター・キューザックの「The Horse Was Alive,The Cow Was Dead」。
全46曲(?)、71分48秒のアルバム。

ロンドンの郊外とおぼしきエリアで、人の語り・動物の声、川の水・水門の開く音・ボートをこぐ声や音・・。
それらをおさめた、フィールド・レコーディング。

***

この休みに、自分はまたもや室内に引きこもっていた。
上空には、スカイツリー様々(さまさま)を写そうとするヘリコプターがうるさい。
いつか事故が起きるか?テロのまきぞいを食らうか?
ハネが回る音を聞きながら、そんなことをよく思う。

スーパーに買出しに行けば、さわやかな晴れで、それはそれで気持ちが良いが、それ以上、動こうと言う気が無い。
下手に歩けばスカイツリーさま&そらまち関係の「連中」とぶつかってしまう。
今の自分は、気の知れた近所か昔なじみの街に潜むことしか出来ない。

***



室内で、御茶を飲んだり・ぼうっとこんなCDを掛けていた。
一方で、パソコンで夏の海や山の写真を見ながら、かなりアゼンとした。
あざやかな色の写真。

「そうだ。なんやかんや言いながら、夏はいずれ、またやってくるんだ。」
当たり前のことなのに、全然忘れていた感覚。

季節を感ずる胎内機能に3・11後、微妙な異変を感じ続けながら、夏なんてものを度外視しすぎていた。
それは、無意識に夏を避けようとしていたんだろう。

***

夏には、夏休みがあり、多くの人が「ここではないどこか」を目指して、レジャーの幸福を満喫しようとする。
非日常に向かおうとする。

海やプールは、イモ洗い状態になり、はじけて通常では無い状態になる。

また、夏には祭りがあり、フェスティバルがある。
そこでも、通常時と逆なトランス状態に入ることで、人は何かをリセットし、再び日常に戻ろうとする。

***



デヴィッド・ボウイが、ブライアン・イーノとベルリンで、「ロウ」や「ヒーローズ」などのアルバムを共同制作していた頃。
その頃のボウイの発言。
当時、ボウイは音楽を聴くことが少なくなり、夜、水道の蛇口の水がしたたり落ちる音や、窓の外で鳴く虫の音を聴いていたという。
イーノがボウイにもたらした影。

イーノの関わる音楽への姿勢には、日本という国にも底通する「沈黙の中にあるエネルギーを理解すること」が、よく感じられる。

***



フィールド・レコーディングや単なる自然のなりゆきの様に導かれて、耳を傾けるのは、なにゆえだろう。
それは、ブライアン・イーノが環境音楽という概念を、病床で発見したのと同じなんだろう。

YMOで寝るヒマも無かったボロボロの頃の細野さん。
一番つらかったであろう時期、家に帰ってまで音楽を聴きたくは無かった、という細野さん。
その細野さんは、イーノの「空港のための音楽」などのアンビエント・シリーズを低い音で掛けながら、心身を鎮めようとしていた。

自分にとっても、当時そうであったが、この音楽に救われていた。
一種のセラピーと言えばセラピーだろう。

この世には、沈黙なんかクソ食らえ、という類の元気なうらやましい人が居る。
常に活動し続け、疲れない人。

そうなれない自分のような者は、ほぼ沈黙に近いCDなどのメディアを掛けながら、ぼうっとする。

「こんなCD聴いて、何が楽しいの?」
「かたちんばさんの掛ける音楽、聴いていると眠くなるんだよね」

そう言われることは多々である。今後も変わらないだろう。

■イーノ 「空港のための音楽」より「2オーヴァー1」■
コメント
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