こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年9月28日 水曜日 細野晴臣&小泉今日子「Good Good」'08.9

2011-09-28 07:51:53 | 音楽帳

映画「グーグーだって猫である」への熱が冷めないままで居たので、サウンドトラックを買った。

最近は、仕事場のパソコンの壁紙まで、この映画のポスターという有様。

アルバムは、デイジーワールドからの発売。
細野さんを囲むおなじみの面々も協力している。
全23曲からサウンドトラックは成っているが、どの曲もいとおしく優しい手触りに満ちている。
その中でも、細野さんの相棒であり片腕の鈴木惣一郎さん(ワールドスタンダード)の名前が目立つ大活躍。

映画でも印象的に奏でられたハイトーンヴォイスの曲は「パノラマの丘」というタイトルで、ハミングキッチンというユニットが演奏したものと知る。
ヴォーカルはイシイモモコさんという方。
この曲では、林立夫さんが優しいドラムを叩いている。

また、高田漣さんとの共作、コシミハルさんが2曲アコーディオンを弾いている。




***

細野さんは、このサウンドトラックを作るに当たって大島弓子さんの全集を買い込んで読んだそうですが、監督から「今頃読んでいるとは、30年遅れている!」とどやされたそうです。

『・・・確かに今までの人生に「乙女」の世界が欠けていたと痛感しました。
このことがきっかけで、現在ぼくは女性性を自分の中に育み研究する、というテーマに取り組むことになりました。
映画の挿入歌「アーユルヴェーダー」はその端緒となった、ぼくにとっては初めてのラブソングです。』(細野さん)



***

映画「グーグーだって猫である」を何度も繰り返し観た自分には「おなじみ」の曲が次々と現れて来るアルバムですが、これほど映画と寄り添ってマッチしたサウンドトラックもなかなか無いと思っています。
当然、映画を見ていない人の心にも訴えかけてくるものがあると思う次第です。

殺伐とした日々の中で、この映画と音楽が自分にもたらしてくれたものというのは、非常に大きいもの。

より多くの人に、この優しい人肌の映画と音楽が見聞きされ、それぞれの心に宿ることを祈ります。

■細野晴臣&小泉今日子 「Good Good」■
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2011年9月27日 火曜日 フィル・コリンズ「トゥルー・カラーズ」'98

2011-09-27 07:48:38 | 音楽帳


よく楽観的な人は言う。
「たった一度の人生ならば、楽しく生きたが勝ち」
そんなことが出来るのならば、とうにそうしている。
また、矛盾に満ちた世界を生きる上で、そのセリフが十分なものとは思わない。

「どうしてそんなに暗いんだい?ネガティヴ思考はやめなさい」
相当な頭数の人々からそう言われて生きてきた。
「じゃあ」と一足飛びに自分が楽観的な人にジャンプすることは何度も試行したが、成功したか?と言えば、当然成功はしなかった。

***

この世にバイバイをしかけて、兄の家に行った二十歳の自分は言われた。
兄はもうそのときに言った言葉をとうに忘れているだろうが、自分は未だに覚えている。
「二十歳を過ぎた人間が、大きな人格改造を行うことは出来ない。
これからは、今までの持ち玉で勝負して生きていくしかない。
今後、これ以上、持ち玉がプラスになることはない。
選択肢は限られるが、その持ち玉で乗り越えていくしかないんだよ。」
痛い状況の中、さらにこの言葉に打ちのめされた二十歳の自分。

***

四十五の今の自分はこう捉える。
人格はともかく、自分が師と思った先人・アーティストに教えてもらった思考方法をひたすら突き進め。
そういう、迷走の中から、何かが化学変化を起こすだろうと。

ハタチで死なずに生きたお陰で、更に多様な出会いがあった。
音楽、アート、書籍、知り合った人々、今はなき恋人、日々の出来事・・。
万物は流転する。
本質は変わらぬとも、出会いは確実に自分の胎内を変化させて来た。
「絶対」などというものがない世界に於いて、今まで出会った事から、全てがひっくりかえる事態が、この直後も起きることがあるのを知っている。

幾ら他人が自分を見て、ダウナーな状況であったとしても、だから何なのだ?

***

話を音楽にガラッと変える。
80年代、シンディ・ローパーの出現は、ポップ・カルチャーだけでは無く、我々も賞賛した。
「なんだかよくわからない、しっちゃかめっちゃかだけども、良い」という彼女の有様は素晴らしいデビューだった。
彼女のファーストアルバムは、おもちゃ箱をひっくり返したような楽しさに満ちていた。
ボーイ・ジョージもそうだったが、単なるポップ・アーティストで終わらない多くの含みを持ち、ポップ・アーティストという仮面をかぶりながらも多くの事を教えてもらった。

その後「決してアタマがぶち切れているのではないのよ」と言わんばかりに、シングル「トゥルー・カラー」が出たときに、再度、この人はタダ者では無いな、と感じた。

***

「ほとんどのカバーはゴミだ」と信じる自分だが、1998年にフィル・コリンズがカバーしたこの「トゥルー・カラーズ」は原曲とは異なる解釈と味わいを持っていて好きな曲である。
フィル・コリンズ自体も単なるポップ・アーティストでは無い側面を持ちつつ、営業活動としてのポップスを奏でる一人だったから、なおさら、そういう人がカバーしたものが輝いている。

知らない人が居るかもしれないが、彼はブライアン・イーノの「アナザー・グリーン・ワールド」でもドラム・パーカッションを叩いている重要人物。
彼のソロ・アルバムは、ヒットした曲以外も面白い曲がたくさんある。
ニコニコしているからと言って、かわいいおぢさんのフリをしている人をナメてはいけない。

■Phil Collins 「True Colors」■
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2011年9月26日 月曜日 Depeche Mode 「Photographic」'81

2011-09-26 07:53:41 | 音楽帳

長い期間に渡っての付き合いと結果なった音楽には、YMOやチャイナ・クライシスや・・・様々あるが、その中の1つにデペッシュ・モードがある。

デペッシュ・モードと出会った頃、彼らに惹かれたのは、まずはテクノだったという前提はあるが、若々しい蒼い匂いと共に、そこに若いがゆえの憂いと哀愁が漂っていたことだろう。
そこに、自分を重ねて共鳴していた。

彼らの内面的な憂いは、常に正直な形で表現に現れていた。
個人的に忘れられない愛聴盤のアルバムは2枚目の「ア・ブロークン・フレーム」。
秋から冬の想い出とこのアルバムは密接につながっている。

今日、紹介するのは、1枚目のアルバム「スピーク&スペル」に入っている『フォトグラフィック』。
やっと秋がやってきた季節のおとずれに、この曲を選ぶ。

1枚目は、まだ若い明るさがあったアルバムであり、なおかつ、まだ幼い出来上がっていない形があった。
ここから2枚目の「ア・ブロークン・フレーム」への飛躍が目覚しいのが当時嬉しかった。
デペッシュ・モードはアルバムを重ねるごとに、進化していく。
デペッシュ・モードに限らず、当時のニュー・ウェイヴの優れたユニットは、アルバムやシングルを重ねるほどに進化していた。
その様は、音楽が躍動していた証拠でもあった。

この1枚目のアルバムを境にして、ヴィンツ・クラークが脱退し、彼はアリソン・モエットとデュオ・ユニット「ヤズー」を創る。

「スピーク&スペル」の中で、デビュー曲でもある『フォトグラフィック』は、特に憂いを帯びた名曲。
また2枚目以降に繋がっていく、彼らの持つ独特な鬱の影が入っている。

■Depeche Mode 「Photographic」■
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2011年9月25日 日曜日 写真日和 9月上旬

2011-09-25 10:31:51 | 写真日和
9月上旬の写真を整理した。

9月1日


9月2日

朝の空。

9月3日

土曜日、つくばで仕事の帰り道。
とある駅の夕暮れ時。


路地に佇む白いネコちゃん。

9月5日

コチャコ。

9月7日

絶望的に治らない全身の湿疹から、午後御茶ノ水順天堂に行く。
御茶ノ水駅前。
まだ暑く、汗をかく。かけばさらに痒くなる。


下着ショップのディスプレイにも、次第に秋の匂いを感ずる。


ニコライ堂のバックに巨大なる再開発ビルが立ち上がる。



昨年11・1に始めた断酒を、3・11に解禁したが、だからと言ってカラダが良い状態では無い。
3・11以降も外での飲み会をことごとく断り、外で酒を呑むのを避けてきた。
だが、この日は、3・11の夜に家に泊めた先輩から連絡があり、一杯やらないか。。。
外で呑むことが無くなった中、このようなやさぐれ者を誘ってくれる人は更に居なくなった。
そんな中でも誘ってもらうのは有難く感じ、久しぶりに外で呑んだ。

いつもの隠れ家だった兜町の居酒屋に行くと、閉店の店主の張り紙。
残念。
仕方なく、別のお店を探して呑んだ。


9月9日

再度、ラチがあかず順天堂に行く。
朝早く出て、早い順番を取る。


御茶ノ水交差点。


昭和からの懐かしい喫茶店のあった駅前通りの路地。


空気がおかしいな?と思ったら、震災の影響もあり立て直しとなったことを知る。


野ざらしとなった喫茶店。

この夜、信頼する別の先輩から誘いがあり、ごちそうになった。
2人きりでの話が盛り上げってしまい、終電になってしまう。


既にいつもの経路の電車は無く、南千住で降りて歩く。


深夜のタバコ屋さん。


泪橋バス停。


泪橋にあるいかがわしい夜の店のホステス募集看板。


月夜。

9月10日

墓地の向こうに淡く煙るスカイツリー。

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2011年9月24日 土曜日 土屋昌巳 写真集「Alone」'83.5

2011-09-24 14:09:58 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ




「窓に灯りがともる前に」

子供の頃 僕にはひとつの約束があった

日が暮れようとしている時間に
今自分がここに居るということが
その約束を破るということにつながる

僕は自然と駆け足になり
心は喩えようのない不安でいっぱいになる

それはひとつのときめきでもあった
しかし、今の僕は早く家に帰りたい
窓に灯りがともる前に・・・・  (土屋昌巳)







1983年5月15日発売 土屋昌巳写真集「ALONE」より
写真:鋤田正義

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2011年9月23日 金曜日 David Sylvian 「Back Waters」'84.7

2011-09-23 12:54:23 | 音楽帳

【台風一過の朝のベンチ。雨でしなった新聞が放置されている。】

自らがヒール役と認識しつつ仕事をしているが、非常に難しい役割だと思っている。
プロレスならば、その「芝居」の演出に一役買うが、現場が仕事となると、それは邪魔者と表裏一体。
こちらが、あくまで妙な道に歩むことを回避すべく軌道修正を促したとしても「うるせえよ」と言われたら、意図は機能しない。
しかし、だからと言って「あついら馬鹿だなあ」という道に船が行ってしまうのを・失笑を買う様を許す訳にはいかない。

***

水曜日上陸し、全土に影響した今回の巨大台風は、規模は大幅に違えど震災と同じ天変地異では同様。
にも関わらず電車に乗ると、車掌さんは「すみません。この電車は〇分遅れてしまっています。お急ぎのところすみません。」
なぜ、まず謝ってしまうのか。
日本人は、こういう通常では無い状態でも、自分がまず悪いと言ってしまう。

一方、雨風が強くなり仕事場もミシミシ言い、まずい事態になっても、根を張って「ここで私は愛する仕事と寝起きして心中します」という意思表示のように机を動かない人々。
自分は、これ以上居ても仕事の相手側も同様の事態の中、仕事は何も進まない。
そう分かってさっさと帰る。
帰る際、千葉の同僚から電話あり。
彼は震災でマンションが被害を受けていて、母子と別れた状況にある。
「もう電車が止まっているので、車で帰ります」と言っていた。
「風で看板やら大木やらが車に倒れてきて浴びたらまずい。
これ以上、踏んだり蹴ったりは避けねばならないから注意してよ・・。」
彼は忍耐強いから、笑って誤魔化していたが。

最後、ネットで気象情報と2ちゃんねるをチェックして、外の世界を判断して外に出た。
2ちゃんねるで、JRの車掌さんが「行けるところまで行きます」と言ったという言葉が掲載されていた。
誰にも行方は分からない中での正しい発言と思え、意志を感じる言葉だと思った。

***


今週はたった3日しか働いていないが、それでも疲れは溜まる。
台風は去ったというのに、昨夜は予想外の雨の中、傘が無いので雨を浴びたまま帰る。
頭の中はひたすら沈み行きよどんでいて、デヴィッド・シルヴィアンの「バックウォーターズ」が繰り返しかかる。
家に帰って、何度もこの曲を聴く。
ひたすら死に向かう「孤」の道を独りで歩き、行方の判らぬ道を分け行っていくたくましいデヴィッドの偉大さが胸に響く。

■David Sylvian  「Back Waters」■

【映像は、ヴィデオ「プレパレーション・フォー・ア・ジャーニー」より】

デヴィッド・シルヴィアン 「バックウォーターズ」(邦題:よどみの中に)

ボクはまた よどみの中に身を隠して
あっちこっちと 駆け回り
喜びを生み出そうと 必死になっている
(見えない落とし穴に 気をつけろ)

恩をアダで返そうと 躍起になり
あっちこっちと 駆け回っている
(別の可能性もあるのだから)
あっちこっちと

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2011年9月21日 水曜日 マイケル・フランクス「タイム・トゥゲザー」'11

2011-09-21 17:01:21 | 音楽帳

この3連休は、やっぱり永遠に骨休み。
ひたすら横になって、音楽やラジオを聴いていた。

ラジオはやっぱりええなあ〜と今更ながら思ったのが、マイケル・フランクスの2011年の新譜との出会いのこと。

「荒川強啓デイ・キャッチ」の中の「サウンド・キャッチ」。
かつてマッピーと小西さんがやっていた名番組「ストリーム」にあったコーナー「サウンド・パティスリー」を継承したもの。
萩原健太さんの紹介する音楽を強啓さんと2人やりとりするコーナー。

自分は、AOR=アダルト・オリエンテッド・ロックと呼ばれるものでは、中学生の頃、すっかりボズ・スキャッグスに心酔していたが、他のミュージシャンは特に聴く間も無く、テクノ/ニューウェイヴに行ってしまった。

実は、自分が意志を持って買ったLPレコードの洋楽は、1枚目がABBA、2枚目がボズ・スキャッグスの「ミドル・マン」だった。
その後、過去にさかのぼって彼のLPを聴いていき、彼のライヴにも行った。

AORということでは、ボビー・コールドウェルも聴いたが、当時、マイケル・フランクスの名は知っていたが聴くことなく今に至った。

萩原健太さんが紹介してくれた彼の新譜「タイム・トゥゲザー」。
ちょうど17時を過ぎて、夕闇が迫る部屋で聴いた、このアルバムからの曲は本当に心に染みた。

マイケル・フランクスは1944年生まれというから67歳。
細野さんが64歳だから、細野さんよりも上。
・・・というのに、未だにつややかなアルバムを出していることにも驚いた。

ボサノヴァの色が濃厚に漂う静かなヴォーカルと曲の佇まいに、一聴してべたべたに惚れた。
次の休みには、このアルバムを買って聴こうと思っている。

今日は、このアルバムのタイトル曲がYOUTUBEにアップされているので紹介する。
夕暮れ時にはピッタリな曲。
みんな忙しく憂鬱な時間を過ごしていることだろうが、そういう時間の谷間に、仕事の手を休めて、夕暮れを見ながらこの曲を聴きたいものだ。

■Michael Franks 「Time Together」■
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2011年9月20日 火曜日 コーギス「永遠の想い」'80.6

2011-09-20 07:31:02 | 音楽帳

コーギスとの出会いは、中学3年生の受験勉強(らしき)さなか、クロスオーヴァーイレヴンで、1981年11月20日にエアチェックした「キャント・ウィー・ビー・フレンズ・ナウ」という曲だった。


FM雑誌のLP新譜紹介でジャケットと評論を見てはいたが、聴く機会が無くて出会ったのがこの曲だった。
とても甘い曲調は、イギリスというよりアメリカを思わせて、彼ら2人が売れない・評価されない理由も何となく分かった。

クロスオーヴァーイレヴンでは何度かコーギスをエアチェックしたが、そこで自分は彼らとの付き合いは終わっていた。
そういううちに、数少ない国内LPレコードも廃盤。

よく実態も掴めぬまま時は過ぎた。
そうして、2000年以降だと思うが、ジャニスでCDを漁っているうち「ベスト・オブ・コーギス」という中古CDを発見して購入した。

このCDの1曲目に入っている「永遠の想い」。
LPレコードのタイトルでもあったこの曲は、コーギスの曲の中でも一番世界では有名な曲であるよう。

コーギスのこのCDには、明らかにYMOの影響が伺えるテクノ・ポップも入っている。

この「永遠の想い」は1980年1月にシングル発売され、アメリカのトップ20にも入ったらしい。
しかし、イギリスでは?とは書いていないことからすると、地元ではめためただったんだろうと想像する。

なんとこの曲は、ドリーム・アカデミーがセカンド・アルバムでカバーしているらしい。
「んんん?」となる。
ドリーム・アカデミーは最初3枚は持っているが、いかにちゃんと聴いていなかったかを思い知る。

コーギスとドリーム・アカデミー・・・いかにも結びつきそうな関係ではある。

こういった「甘い世界」は、好き嫌いが人それぞれはっきりする「踏み絵」のようなものだが、まずは聴いてもらってそれぞれ判断願いたい。

■Korgis 「永遠の想い(everybody's got to learn sometime)」■
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2011年9月19日 月曜日 写真日和 : 東京を歩く旅(8月27日の写真より)その3

2011-09-19 13:46:51 | 写真日和
その3

神保町を大荷物で起ち、小川町、淡路町、須田町を歩き、秋葉原へ向かう。

優美堂。


道端の植物たち。


ジミ・ヘンドリックスが貼られた電気のボックス。


美味しそうなエビチリ。


顔のYシャツのある交差点。
右手の角ビルの上に、頑固おじさんのレコード屋さんがあり、かつては通っていたが最近は行っていない。
「別に気に入らなければ買ってもらわなくていいんだよ」と言わんばかりのおじさんの態度がかなり凄みがあったなあ。






昔からある近江屋洋菓子店。






このへんを歩くと必ず撮る麻雀店。


スナック「シルバー」。


居酒屋「銀ちゃん」。






再度、再開発エリアへ。




秋葉原に向かう。




東京ラジオデパート。


地震の影響や老朽化という理由が本当か嘘かは不明だが、建て直しとなったラジオ会館。


2時間ほどCDを探索して、また重くなった荷物を抱えて帰ることにする。
この日の歩く起点であった和泉橋たともで一服。
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2011年9月18日 日曜日 永遠なるラジオ放送「UVB-76」について

2011-09-18 09:01:41 | 音楽帳
「UVBー76」の存在を知ったのは、MZ師に教えてもらってからだった。

自分は、80年代以降、教授経由で教わったスロッビン・グリッスル、フライング・リザーツ、DNA、ザ・ノーマル、初期のDAFに始まり、ワイヤーとは別に行動したカポル〜ドーム(ルイス&ギルバート)、コリン・ニューマン、キャバレー・ボルテール、アインシュツルツェンデ・ノイバウテン、マウリツィオ・ビアンキ、カール・ストーン、デヴィッド・トゥープ・・・等々とノイジーや生身な音楽を聴いてきた。


どうも、世間で披露されるポップ・カルチャーへの欺瞞や抵抗が自分の中で膨らむと、こういったアンダーグラウンドな音に聴くものが傾いたり・・・この振れ幅がとてつもなく広くなってしまい、当時は両方に自分が引き裂かれていたが、そこからはるか彼方となった今では違和感なく、両方が自分の中で共存している。

MZ師から教えてもらったという「UVBー76」は、そういう自分の音楽的嗜好での捉え方と同時に、世界の闇が垣間見れて、ぞくぞくした。

***

「UVBー76」って何?
カンタンに言うと、ロシアからずーっと昔から短波で今も流れ続けている繰り返し音のことである。

要約するため、以下ウィキペディアから引用する。

「UVB-76とは、通常周波数4625kHzで放送を行っている短波ラジオ放送局のコールサインである。
その放送内容から『ザ・ブザー(The Buzzer)』という名称でも知られている。

この放送局は、1日のうち23時間10分(グリニッジ標準時7:00~7:50の間は、送信機の保守点検を行なっている)の間、1分間に約25回のペースで短く単調なブザー音(サンプル音)を繰り返し流し続けている。
また、現在まで5回のみであるが、ブザー音の合間にロシア語による音声メッセージが放送されたことがある。

この放送局の目的は公には明らかにされていないものの、その意味については様々な見解が唱えられている。」

もっと詳細はウィキペディアに掲載されているが「UVBー76」は延々と同じような音を繰り返しながらも、この数十年の中の一瞬、途中で何度かロシア語のメッセージが登場している。

■「UVBー76」の一部


世界にはスパイというものが存在する。
誰が誰に送る暗号かはわからないが、こういった短波を通じて暗号を伝える方法というのは、この21世紀の2011年になってまで存在する。


よく幼い頃、その頃も「眠れぬ不眠少年」だったが、ラジオ好き少年は、いつも寝床でラジオを聴いていたが、日曜日の夜は24:00になるとほとんどのラジオがお休みに入った。

そこでチューニングをしつつホワイトノイズの中をさまよっていると、朝鮮や中国の放送だの、あるいは単なる信号音にぶつかり、その不思議な音の世界に興味深く漂っていた。


ラジオ博士ということでは、ホルガー・シューカイがラジオマニアで、よくこういった短波放送を録音して、それを自分の音楽に使った。
有名な「ペルシアン・ラヴ」に用いられたコーラン、その制作前後にはイーノはデヴィッド・ヴァーンと「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」で同様の試みをしているが。

***

実は「UVBー76」を知って以降、様々な国の様々なスパイ通信らしきものに凝ってしまい、またそういった音を集めたCDも存在することを知り、たくさん聴いた。

逆に今、ちまたに溢れている音楽のほとんどが、自分にはゴミに見える。

本当は、相当なお金を掛けて、色んな楽器を使い、歌詞だとか作曲だとかを人は行なっているが、そういう「人の意志」や「段取り」や「概念」が入ったものがいかにつまらないものが多いか。。。「そんなつまらない音は聴きたくない」と出会ったのが、80年代以降のニューウェイヴの広がりだった。

かつて、砂原良徳さんが、細野さんの「デイジー・ワールド」にゲストで出た際の対談でも語っていたが、「モンド」という分野もそうだが、創り手側がいくら意志を込めようと、聴き手側には別に伝わる。

音楽はいわゆる論理で構成されてはいない。
そういったものから開放されていることが、音楽が音楽たる醍醐味。

様々な誤解とやりとりが音楽上でも交錯し衝突するのは当たり前だが「もっと音そのものを楽しめば良いのになあ。でも、だんだんとそういう音の楽しみ方がわかる時代になってきたね。。」と2人は語っていたのが記憶に残っている。

***

元来、パンク〜ニューウェイヴが価値あるものだった部分とは、そういう「音」そのものへの目覚めとまなざしだった。
譜面が読めなくとも・主要楽器と「言われている」ものがなくても・扱い方やテクニックがなくとも・構成が無くても・・・・何かが出来る。
そういったところでの音楽の輝きがあった。

ブライアン・イーノと言う人は、その点では知的でありつつ、そういう概念の外で音そのものの不思議さと楽しみを発見し、それを塊としてとらまえられる天才だった。



【イーノの「ビフォア&アフター・サイエンス」の中でもとりわけ好きな「Energy Fools The Magician」】

***

社会に接していると嫌でも、まさに世間とちまたに溢れるゴミ音楽と接してしまう場面がある。
そういうときは、いっつも家に帰って、良い音楽を聴いて解毒しよう。。。と思う。

この「UVBー76」並びに短波を通じた暗号等の放送の持つ音のエネルギーと面白さは、お金を掛けて創られた経済流通音楽のつまらなさと反比例している。
しかも、当人たちは「音楽」という意図・意志で流している訳では無いところに、自分などは安堵する。

よく「能書きやMCは要らないから、良い音を聴かせてちょうだい」と言いたくなる場面があるが。。。
お金を掛けなくても良いアートを、という部分では、イーノ、DNA、DAF、ルイス&ギルバートなどに影響を受けた大竹伸朗さんの志向も同様だろう。
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