ジプシー・・・。
ジプシーとならざるをえない者の行方は、様々である。
’孤’となったジプシー同志のゆるやかな連携・・・そうであれば良いが。
結果、集団心理の中に飲み込まれ、同志を殺し合った連合赤軍事件のような形もあろう。
家族から離脱し、ボードピープルと化してしまった者たちが「おっちゃん」と慕って、血の繋がらない者同志が繋がった「イエスの方舟」もあった。
(「おっちゃん」は、世間・マスコミから一方的に迫害されたが、当時の自分には、それは単なる差別にしか見えなかった。)
80年代中盤以降、発狂していく東京。
御茶ノ水駅前に、手相見やアンケートと称して、宗教関係の「たちんぼ」の女性が現れたのは、自分がガタガタの素浪人時代・1985~86年頃だった。
近しい頃、見聞きするようになったオウム真理教。
それが組織化し・肥大化していく。
1995年、阪神淡路大震災より少し経て起こしたテロ、というよりもクーデター=国家転覆=別国家創造への夢。
ここにもジプシーたちが吸い込まれて至った、航跡の一例がある。
さまざまなかたち。
望む社会的拠点も無く・社会への足ががりもなく・はしごを奪われ、家/血縁関係からも排斥された者が、追い詰められた末、そこで手を伸ばしたところにあったのは何か?
誰と出会い・誰がその手に触れたのか?
それ次第で、彼の航路は多様に変わっていった。
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自分個人としては、愛する童話「ブレーメンの音楽隊」を夢見る。
夢だとしても。
歳を取ってジャマだ、役に立たない・・・などなど。
虐待やイジメ。
食べたり・殺そうとする飼い主から脱出しようと、ロバさん・ネコさん・イヌさん・ニワトリさんは、ブレーメンに行って音楽隊になることを目指す。
「ブレーメンの音楽隊」と言いながら、その道中の森の家で出会った、悪だくみをする泥棒たちを驚かせ、その家を奪い取り、そこでみんなが集って安堵する場所を得て暮らすおはなし。
「彼らは、もともとブレーメンに行くつもりは無く、森に逃げたかったんだ」という解釈する人も居るが、自分にはそんなことはどうでも良い。
■一風堂 「ドリーム・オブ・ザ・ジプシーズ」'83