こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年5月29日 火曜日 Winston Tong 「Broken English」'84

2012-05-29 22:31:05 | 音楽帳
最初、タキシードムーンを聴いた80年代初頭、自分はヨーロッパのバンドと勘違いしていた。
とてつもなく退廃的な暗いムードの中には、そうに違いないと思わせる力があった。
サンフランシスコで結成されたバンドと知ったのは、ごくごく最近のことである。
まあ、どこの出身だろうが、良い音楽であれば、それで良いことなのだが。

このタキシードムーンの音の彩(いろどり)の中で、特に覆いかぶさる暗雲を作り出しているのが、ブレイン・L・レニンガーの奏でるヴァイオリン。
クレプスキュール・レーベルにスポットが当たった1983年には、ブレイン・L・レニンガーのソロ「ナイト・エア」を聴いた。
スティーヴン・ブラウンは、ベンジャミン・ルーと共に創った映像のサウンドトラックのインストゥルメンタルが素晴らしかった。
一方、ウィンストン・トンは、(たぶん)1984年と思うが、ミカド、ドゥルティ・コラム(ヴィニ・ライリー)と共に来日したような記憶。

***

この時代は、「西武」王国のとてつもない隆盛と躍進。
こないだ自己破産したWAVEも、今では分かれた無印良品も、(単なる旧態依然の殿様百貨店形態に風穴を開け)「陳腐化した」市場へ新しいスタイルを提示する、西武の果敢な挑戦の一端だった。
80年代前半、全く国内紹介されない海外ミュージシャンやアーティストを招へいし、新しい文化の潮流を創り出した企業、それが西武グループだった。

***

ウィンストン・トンを初めて聴いたのは、このころで、エアチェックした12インチ・シングルの「セオレティカル・チャイナ」だった。

太い声の激情型ヴォーカルだったが、曲自体非常につまらなく感じて、それ以上の詮索はしなかった。
ただ、日系の血が混じっていて、ポートレイトの写真を見て納得した記憶がある。
タキシードムーン、そしてそれぞれの存在とソロ。。。これらが自分の中で焦点を結ばず、無国籍な漂う人々という感を強めた。

【元キャロルの永ちゃんではありませぬ。】

***

そこから2年後の1986年1月の寒い冬。
浪人時代の深夜3時に聴いた「FMトランスミッション/バリケード」で、ウィンストン・トンの「ブロークン・イングリッシュ」が掛かった。
一発で気に入り、録音テープは、ツメを折られて保存された。
この日の放送はリップ・リグ&パニックの後継ユニット・フロートアップCP、デヴィッド・シルヴィアンの「ワーズ・ウィズ・ザ・シャーマン」、教授の「エスペラント」収録曲、コクトーツインズの12インチの「あばらと血管」など、リアルタイム新譜の名選曲がずらりと並び、今でも忘れられないカセットテープとなった。


***

1982年の4月頃に、アイランドレコードは、過去のLPを廉価版でシリーズとして再発した。
グレイス・ジョーンズ、ロバート・パーマー、B-52’s、バグルス、バリー・レイノルズ、パラゴンズ、そして、マリアンヌ・フェイスフルなど。
南洋のリラックスしたコンパスポイントスタジオで作られた音。
夏に向けて、自分もその心地良い音に酔っていた。

マリアンヌ・フェイスフルは、女性にも関わらず・ギョッとするような独特のつぶれた声とジャケットでの男っぽさ。
(「ギョッ」とでは、グレイス・ジョーンズの外見も同様だが。)
稀有なる存在だった。
(自分が一番好きな彼女のアルバムは、この後に出た「聖少女」。
90年代のアンジェロ・パダラメンティとの作品も、素晴らしく暗い。)

しかし、ウィンストン・トンの「ブロークン・イングリッシュ」が、マリアンヌ・フェイスフルの「ブロークン・イングリッシュ」の同一曲であり・カバーであるのを知るのは、後のことだった。

自分が「ブロークン・イングリッシュ」を聴く季節は、基本・秋冬だが、偶然、YOUTUBEにアップされているのを発見。
いつまで、この歌が抹消されずに残るかなど、アテにならない世界なので、本日早々に紹介する。

■Winston Tong 「Broken English」■


ウィンストン・トンのこのポートレイト、この目付き、良いですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする