こころとからだがかたちんば

2012年も生き抜く為に! 30代後半〜40代の同志に。80年代的音楽・文化・ART型ブログ。

2012年5月17日 木曜日 報われない死者の魂

2012-05-17 21:55:03 | 雑記帳


2011年3月11日、あれから14カ月。
国家を預かっているフリをした政治は、何もしていないし・何も進んでいない。
タイタニック号が沈没していく中、音楽隊は演奏を続ける。
終焉への葬礼歌が演奏されながら、ずぶずぶ沈んでいく。泡をぷくぷくさせながら。

毎日毎日、千葉でずにーらんど・めくるめくメリーゴーランドの如く、コドモだましのくだらない雑事を巡る雑談が、この日本の領土のあちこちで、ぐだぐだぐだぐだ繰り返されている。
既に国家として「終わってしまっている日本」。

ただ、そんな人間のしがらみの外側では、日本の風土・自然・生き物・植物・街は、まだ輝きを静かに放っている。
それを虫メガネで見ながら、過ごす。
そこにしか、自分の宇宙はない。

***

昨日、温度が少し上がった。
自分は、午後の時間帯、大手町から日本橋を歩いていた。
確かに日差しは強かったが、紫外線が強いのが5月なのは、今に始まったことではない。
また不安定な陽気ゆえ、日によって温度が上がったり下がったりするのは例年通り。

夜、ニュースを付ければ「熊谷では○○℃です!」と、1人興奮した外回りの「報道人」らしき雇われレポーター。
熱中症で、83歳の方が倒れたという。バタバタ倒れたとは誰にも認識は無い。
こういう些細な、ごくごくある微細な1件を拡大解釈して報道しながら、昨年同様「猛暑が来る。電力不足が来る。」と、報道は人々を煽り立て、人の恐怖心を煽り・経済活動に無理矢理結び付けようとする。
またもや詐欺キャンペーンの始まり。

伊集院光さんは、先日のラジオで「7月にもなれば、自分はハダカにニップレスのみで過ごす」という諧謔(かいぎゃく)を述べていたが、伊集院さんらしい風刺。

***

先日、首都直下型地震は○パーセントの確率で、震度7が○年以内に発生する、というニュース。

自分が未だに不透明さを感じるのは、天気予報同様。
「降水確率は40パーセントです」というのは、「あんまり自信が無いけど、雨が降るかもしれないかなあ。。。
だいたい自信としては4割くらいかなあ。。。」、そんな意味だろうが、今一しっくりこない。

地震についてもだが、確率論が物事を語る1つの切り口であったとしても、それだけを述べても、何も述べていないに等しい。
一部のカルト人間が大好きな「占い」とそう変わりはない。
富士山が爆発する、なんてものも、小さい頃からずーっと「ウワサ」されてきたブームの再来。
オウムも3・11も通過しながら、何を見て何を学んで来たのか理解に苦しむ。

また、震度7が来たら、ある程度の建物は崩壊するだろうし、被害全てを避けることは出来まい。

かつて、デフレスパイラルの中、日本の建築業界の常套手段=下請け丸投げ、かつ、値段を叩きに叩き・・・・
結果、家の構成物の材料を省いたり・図面には無い設計変更を行い・ごまかし工事でコストダウン。
その末で、欠陥住宅問題が、白日の下にさらされることになった。

しかも、あくまで発覚してしまったから、あたかも反省しているフリをして・正している風を装っているだけのこと。
それまでに建てられた建物の構造なんてものは、アテになったものじゃない。
阪神淡路大震災以降、建築物は耐震性を重視してきたが、下請け・孫請け構造の重圧から、結果こんな事件にたどり着いた。

その後、今度は、適当な専門家を招いて、報道は「震度7には、この建物は耐えられませんね」と弱そうなエリアを見せて回る映像を作る。
普通に考えれば分かる通り、震度7に何事も起きずに、平気である建物やエリアなどがある訳がない。
勘繰るに、単にこれは、それを利用したエリア再開発促進をしようとする動きに思えてならない。
どれだけ建築業界に金を融通すれば済むのか?
どれだけ歴史的建物を潰せば済むのか?

***

報道番組を、微妙にワイドショー番組寄りに仕立てたのは、1985年に始まった、久米宏さん・小宮悦子さんの「ニュースステーション」だった。
当時は、斬新だったこの番組だったが、あれから二十余年。
このスタイルを真似した挙句の果てで、今では、報道番組などどこにもない。
たかだが暑い日が1日起きただけで、大騒ぎする東京スポーツ的な番組を、2012年の日本は「報道番組」と呼んでいる。

東京スポーツは、確信犯であることを認識した上で「○○ちゃん、明日のトップは何で行こうか?」というノリでギャグ新聞を作る。
そこには、いさぎよい・すがすがしさと楽しさがある。彼らには罪は無い。

しかし、公共の電波を独占しながら、東スポそっくりの報道番組を放送している様は、異様としか言えない。
彼らは、そうやって、日々を適当に暮らし、為政者や影の黒幕や某広告代理店と繋がりながら、都合の悪いことになると「報道の自由」など訳の分からない屁理屈をタテにする。
「報道の自由」などと言いながら、自ら勝手に自主規制し、放送禁止用語を作り、様々な団体からの批判を回避することしか考えていない。
「報道」という言葉を使える程の主体性など、元々みじんも持っていない。
「ワッショイ、ワッショイ、祭りだ!ワッショイ!」と、事件が起きるたびに神輿(みこし)を担いでいる。

事件が起きた現地では、悲しみに暮れる人にインタビューし・いかにも同調したフリをしながら、「良いカット」を撮ろうとカメラマンが迫る。
悲しみを演出するために、誘導尋問をして、シナリオに欲しい言葉を、無理矢理吐き出させる。
現場付近に持って来させた装飾物を置いて、その場面を撮影するのも、お手のものである。

要は、クズ人間の群れに過ぎない。

***

自社の流れで完結しているユニクロは、柳井さんの経営力もあって、独自の路線を描いている。

一方、堂々と「安いよ!安いよ!」と広告を打ち出ししつつ、「お客様のため」などいう平気な嘘を付く。
○ オン、○ トリ、○○○ 電気など・・・国賊にしか見えない。
これ以外も挙げればキリが無いが。
これらのバイイングパワーを持った企業が、デフレをさらに深める導火線に火を灯している。

この20年ひたすら経済が落ち続け、給与が減る中、安いものに飛びつくのは仕方の無いことだが、それが自らの首を絞めるのを主婦は判っているのだろうか?。
モノには、適正価格という一線がある。割ってはいけない一線がある。
安ければ安いほど良い、という理論は無い。

しかし、自社完結出来ないこれらの企業は、単に仕入業者の納入価格を叩き・低粗利〜赤字でやらせ、その後、その商品が売れて儲かると分かれば、仕入業者を切り捨て、同じものを海外生産で大量に作らせるシフトに切り替える。
自殺者や精神を病んでしまう人々、職を失う人々は、この手の企業からの被害者であるケースも多々ある。

自らも、日本経済の隅っこに居る中で、他人ズラをするつもりは無い。
しょせんは、その腐敗のルツボの中に巻き込まれて、もがいている。

但し、安く買えるには、その背後に安く作らされている人が居る。
(機械化に拠る自動生産、工程数を減らしたモノ作りだけが全てでは無いのは、現物を見れば明らか)
そのイメージだけは失わず、物欲から出来うるだけ離脱した世界で生きていたい。

まあ、今の自分には、本や音楽メディアくらいしか、物欲は残っていないが。。。。

■Bvdub 「This Place Has Only Known Sadness」■
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2012年5月11日 金曜日 「ジプシーたちの夢」

2012-05-11 21:59:56 | 雑記帳


ジプシー・・・。
ジプシーとならざるをえない者の行方は、様々である。

’孤’となったジプシー同志のゆるやかな連携・・・そうであれば良いが。

結果、集団心理の中に飲み込まれ、同志を殺し合った連合赤軍事件のような形もあろう。

家族から離脱し、ボードピープルと化してしまった者たちが「おっちゃん」と慕って、血の繋がらない者同志が繋がった「イエスの方舟」もあった。
(「おっちゃん」は、世間・マスコミから一方的に迫害されたが、当時の自分には、それは単なる差別にしか見えなかった。)

80年代中盤以降、発狂していく東京。
御茶ノ水駅前に、手相見やアンケートと称して、宗教関係の「たちんぼ」の女性が現れたのは、自分がガタガタの素浪人時代・1985〜86年頃だった。

近しい頃、見聞きするようになったオウム真理教。
それが組織化し・肥大化していく。
1995年、阪神淡路大震災より少し経て起こしたテロ、というよりもクーデター=国家転覆=別国家創造への夢。
ここにもジプシーたちが吸い込まれて至った、航跡の一例がある。

さまざまなかたち。
望む社会的拠点も無く・社会への足ががりもなく・はしごを奪われ、家/血縁関係からも排斥された者が、追い詰められた末、そこで手を伸ばしたところにあったのは何か?
誰と出会い・誰がその手に触れたのか?
それ次第で、彼の航路は多様に変わっていった。

***

自分個人としては、愛する童話「ブレーメンの音楽隊」を夢見る。
夢だとしても。

歳を取ってジャマだ、役に立たない・・・などなど。
虐待やイジメ。
食べたり・殺そうとする飼い主から脱出しようと、ロバさん・ネコさん・イヌさん・ニワトリさんは、ブレーメンに行って音楽隊になることを目指す。

「ブレーメンの音楽隊」と言いながら、その道中の森の家で出会った、悪だくみをする泥棒たちを驚かせ、その家を奪い取り、そこでみんなが集って安堵する場所を得て暮らすおはなし。

「彼らは、もともとブレーメンに行くつもりは無く、森に逃げたかったんだ」という解釈する人も居るが、自分にはそんなことはどうでも良い。

■一風堂 「ドリーム・オブ・ザ・ジプシーズ」'83
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2012年4月7日 土曜日 「VAIO」の復活

2012-04-07 10:08:31 | 雑記帳


マイパソコンとしての2号機、ソニーのVAIO-PCV・RZは「一目ぼれ」から8年近く経過しようとしている。

90年代後半、格安で手に入れた1号機は、ある日「ブシュッ」という音と共に焦げ臭い匂いが立ち上がった。
パソコンに詳しくなかった当時、本体を購入した秋葉原の石丸さんに、荷台に乗せてゴロゴロ引きずって持って行った。
判断は「ハードディスク交換しか、手はないですね」。
当然、ため込んだデータは全部消滅。

泣く泣くすべてのデータを忘れて、ハードディスクを交換したが、それから間もなくして再度ハードディスクがぶっ飛ぶ事件がおきた。
その事件には、さすがに堪忍袋の緒が切れた。

と共に「安かろう=悪かろう」パソコンに懲りて、即刻1号機を廃棄処分した。
そして、同じデスクトップ型でも、当時発売ほやほやのソニーのVAIO新型機を購入した。
秋葉原・石丸電気パソコン館のエレベーターを降りたところにあったVAIOの説明を受け、「これください」と即決で購入した。

このマイVAIOには、オフィスなどといったソフトは入っていない。
すべて画像・映像・音楽などを中心に使う人向けに作られたタイプ。
その目的以外のソフトは一切入っていないパソコン。
当時は、最新スペックだった。

***

・・・ところが、かなりこき使ったせいで、疲れてしまったマイVAIOちゃん。
数年前から、今の自分の心身同様に、ヒジョーに動きが悪い・次々障害が起きる・起動しないソフトが1つ1つ増えていく・・・
そういうかたちんば重症患者だった。

ごまかしごまかし使う中、システムエンジニアでパソコンに詳しいMZ師に相談。
「3号機を買った方が良い」と言われ続けていた。
自分はいろんな設定を一からやり直し、というのは勘弁願いたい、とだけ思ってきた。

VAIOに出来るだけ負荷を掛けないように。
そうして、使っていないソフトを、断腸の思いで捨てていき。
ブラウザを軽いものに変更し。
絶え間なくクリーンアップをして。
全部のデータを外付けハードディスクに移動し・・・。

それだけやってもダメで、ウィンドウズが起動しないためシャットダウンと再起動を繰り返し、起動したとしても1時間以上経たないと操作が出来ない、お手上げ状態になった。

おまけに「ギガ・ポケット」というVAIO独自ソフトでTVを見たり録画などをしていたが、このソフトまで不気味な黒い枠だけになりボタンが見えず、まともな操作が出来なくなった。

そこで技術の方に来てもらって、診断と治療措置をお願いした。
技術の方は言う。
「相当ハードディスクが傷んでいますね。いつポックリ行くかわかりませんよ。」
親切な方でいろんな試みをしてくれたが、結論は正直だった。

***

それでも、ごまかして使ってきた。
そして、こないだの土曜日。再度、手術を試みる。

英語のソフトなのだが、CドライブとDドライブの割り当ての仕切りを変えられる。
それを使いDを一挙に減らし、その分をCドライブに割り当てる手術だった。
それは一応の成功をして、それでも軽くは無いものの何とか動いていた。

ところが、である。
いったんパソコンを終了させて、再度立ち上げた際のこと。
エラーが生じるのには慣れていたが、何度も何度も立ち上げ直すが、画面に妙なメッセージが出ることから逃げられなくなった。

「システム32に、○○というファイルがないのでウィンドウズを起動できない。
たぶん破損したと思われる。」
セーフモードで立ち上げようとするが、どうやってもこのメッセージよりも先に行かない。
ついに一巻の終わりか・・・。
そう思って土曜日の夜は、ラジオを聴きながら寝た。
ふて寝に近い状態で。

***

日曜日の朝起きた。
ついに最後の試みしかない、と決行を決意する。
多くの人がたどるであろう「リカバリ・ディスク」の投入である。
Cドライブはすべて出荷時状態に戻る訳なので、さまざまなソフトや何か(中に何があったかは見えないので不明)がすべて消え去るのはやむを得ない、とあきらめて。。。

最後の最後の手段だったが、なんと驚くことに、リカバリを経たVAIOは、実になめらかに動く。

以前に来られた技術の方は、こう言っていた。
「メモリが不足している。
買った当時は良かったが、その後パソコンを守るためのウイルスソフトが重い容量を喰うものになった。
それが逆にメモリに負荷を掛けている。
パソコンを開いた途端にウイルスソフトが作動して、CPUがパツパツになってフリーズする。
そういう悪循環の構造にこのパソコンは陥っている。」

しかし、ノートンくんも作動している中、パソコンはちゃんと動いたし、ネットも問題なく繋がった。
結構「目からウロコ」だった。
広くしたCドライブの領域は維持されていた。

***

まあ、プリンターとの接続、メール設定のし直しや、購入した音楽作成ソフトなどのCDが見当たらないなど、どうしたものかな・・・
というのは頭の痛い話ではあるが、とりあえずは無事に「出会った頃のように」
VAIOが動き出したのに、ほっとする。
また、リカバリをしたことで「ギガ・ポケット」も正規の形で動きだした。

録画しようと思いながら、結果録画出来なかったドラマ「カーネーション」が終わろうとしていた3月末のさなかだった。
それも残念ではあるが、DVDを購入すれば見れるんだから、と自分を納得させている。

PS:アマゾンでドラマ「カーネーション」DVDを買おうと思ったら、品切れ状態。
やっぱり大人気らしい。
BOXセットは、3つに分かれている。
1、2は購入するつもり。
3はどうするかな・・・と迷ってはいる。

***

あまりにも出来すぎた、静かな憂いを帯びた、優秀な音楽家三人の出会い。
そこで出来た賛美歌のような「サム・スモール・ホープ」。
ささやかだけれども、小さな幸福。

■ヴァージニア・アストレイ、デヴィッド・シルヴィアン&坂本龍一「サム・スモール・ホープ」■

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2012年3月11日 日曜日 「雪の上の鐘」(三木露風)

2012-03-11 07:41:57 | 雑記帳
Variant 「The Setting Sun」


心の上に暮れ方の
追憶(おもひで)の雪は静かにふりつもる。
単調にしてあぢきなく
柔らかにふるえつつ。

埋もるる愁(うれい)は下に眠りたり。
わが声は閉じ、覆われて
燃ゆる墓標に胸をおく。

されども響く鐘の音の美しさ
晴れし涙の涼やかさ
静かに。
静かに。
うち揺らぐ。

わが心はうち夢む
はてなくあゆみ行かんとぞ。
ああ彼方なる谷間の風
ゆるく幽(かすか)に我が胸をよびさます。

愁(うれい)の銀の日没は
わが身に深くほほえ(=微笑)めり。
かよわき雪の青草よ
ああ青草よ
汝のごと慕ひいでん
彼方に。
彼方に。
手も繊弱(かよわ)く。
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2012年3月5日 月曜日 - 劇団る・ばる「八百屋のお告げ」〜ドラマ「カーネーション」糸子の交代 -

2012-03-05 22:27:20 | 雑記帳


異常にだるく、眠気と疲れが取れない1日。
外は一日雨が降るブルーマンデイ。
明日も雨らしい。。。。

***

日曜日は、ハブ噛み師匠・MZ師と3人で「座・高円寺」へ。
劇団「る・ばる」の『八百屋のお告げ』千秋楽公演の芝居を見に行った。
約2時間10分のお芝居。

『八百屋のお告げ』を見るのは、実は2回目。
初回は2006年の公演。6年ぶりに再度見ることになった。

「る・ばる」は、松金よね子さん・岡本麗さん・田岡美也子さんの友人3人組。
今回も、「われらがヒーロー」元カクスコの井之上隆志さんが、ラーメン好きの配達の仕事をしている「カッパちゃん」役で出演。

原作は鈴木聡さん。
鈴木さんの関わるお芝居は、ラッパ屋も含めて3人でいつも楽しみに見ている。
かつて、そんな話しを兄にした際に、鈴木さんの話しをしたら「元同じ会社だよ」と言われて「へぇー」となったことがあった。
闇を仕切る某組織D2のライバル企業出身者。
兄も中学〜大学時代にはずっとお芝居の原作・演出を行い、大学時代には学生ながら固定客が付いた芝居をしていた。
自分が兄の芝居を見たのは1回しか無いが。。。

まだ幼い当時はわからなかった感覚。
その後、高校時代〜浪人時代に、鴻上尚史さん率いる「第三舞台」、如月小春さん率いる「NOISE」・・・そういった芝居を背伸びして見た。
その地点を通過し、「小劇場の芝居を見る」という「楽しみ」に目覚めたのは、大阪時代に短期間付き合った彼女と見に行った、阿倍野近鉄の上で見た、中島らもさん&わかぎえふさんの「リリパットアーミー」の『こどもの一生』。
それ以外にも、1人であったり、2人であったり、といくつもお芝居を見に行った。
阪神淡路大震災のあった1995年6月以降のこと。
自分は南大阪エリアを営業する29歳。

その後、東京に引き戻された自分。
同じ美術研究会に居て東京に残った3人が、そこから集まるようになり、お芝居を定期的に見に行くことになった。
あれから16年のてくてく。
暗闇で繰り広げられる、その瞬間と空間にしか存在しない役者とお客さんとの一体化した世界に、30代以降の自分は惹かれ続けてきた。
日常には見えない違う世界にいざなわれる心地よさ、そしてほんのりした温かみ。
『八百屋のお告げ』もそんな温かみに満ちていた。
若い人から高齢の方まで幅広い年齢層のお客さんは笑い・微笑み・拍手した。

・・・疲れて帰ってお風呂に入って全身のコリをほぐす。
昨夜は、早々に明かりを消して、真っ暗闇の中、NHKラジオ深夜便を聴いて眠りに堕ちる。
新日曜名作座「春を背負って」(原作:笹本稜平、出演:西田敏行・竹下景子)。

***

土曜日のドラマ「カーネーション」の終わり数十秒は衝撃的だった。
そして、今朝からの今週分のスタート。。。。

尾野真千子さんが消えて、そして周囲を包み込んでいた多くの味わい深い人々も亡くなってしまい、72歳の糸子が夏木マリとして現れた。
おかあちゃんも岸和田の通りの人々も理事長さんも、そして北村(ほっしゃん)も、みーんな居ない。
居ないのだ。
おもかげの痕跡すらない「オハラ洋装店」の街角通り。
正直、キツネに包まれた朝だった。

まるで、津波が全てを奪っていった後、それでも残った者は、亡くなった人々を心にしまって生きていく。
・・・そういうことを透かし絵として意図しているかのように。
啓示的なシーンにも思えなくはなかった。
戸惑いを覚えながら、あぜんとしながら、朝のドラマ「カーネーション」の不思議な15分は過ぎ去っていった。
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2012年2月2日 木曜日 20120202 - ドラマ「カーネーション」のまたたきは終わってしまったのか? -

2012-02-02 22:07:20 | 雑記帳
人それぞれ好きになったドラマの見方は違うものだから、あくまでこれは自分個人の感想ではあります。
それを重々承知のうえでも・・・今週のドラマ「カーネーション」には耐え兼ねる部分が多し。

・・・正直かなり落胆。
というか、ひどい落胆。
「ええっ?まさか」という落胆。


尾野真千子さん自身に恋してしまったゆえのこともあるが、それでも、自分の勘違いでなければ・・・
このドラマの基本線であり醍醐味であったのは、糸子の生き様だったのでは無いのか?

自分が行きたい・行くべきと思う道に何が何でも行く、そういう意志の現われが小林薫さん演じる親父さんとのいさかいだったり、家族とのわあわあしたゆれ動きだったり・周囲含めた温かい支援だったり・・・
笑ったり泣いたりしながら、糸子=尾野真千子さんと取り巻く人々が生き生きと輝く姿・活気が、このドラマ「カーネーション」の魅力だったのでは無いのか?

今週月曜日以降、このドラマ自体の中で、焦点はすっかり三人娘に行ってしまい、いきなり糸子は脇に追いやられてしまった。
とても違和感あるのが、糸子をあえて奥に配置して、会話のキャッチボールの中にも入らず、話の展開の目線の中心線から外れたという点。

そこに糸子は居るのに、居ないようなヘンな感じが、画面から伝わってくる。
今までとは明らかなる温度差。
違うドラマを見ているような感覚。

確かに時代は、昭和30年近くの戦後一番安定した時代に移ったものの、いきなり「弛緩」し切った様相は、この「カーネーション」の4ケ月間の魅力をまるで捨ててしまったように見えてしまう。
非常に残念である。
この後、どう展開していくのかは分からないが、みんなを魅了してきた世界が壊れるならば、見るのをやめたい心境も生まれるかもしれない。
今週、実家に寄った際、同じように毎日「カーネーション」を楽しみにしている老齢の親も同じような気持ちだったようである。

老親「なんだか、そのへんにある普通のドラマになっちゃったね。つまらない。」
自分「まったく。。。。」

老親「あんな時代に、立体裁断なんて難しいものを実践したおかあさんは本当にえらいねえ。
しょせん、妖怪みたいなぶさいくな三人娘なんか親のスネかじりなのが、ようく分かる。」
自分「どうやら・・・歳を取ったら、糸子は夏木マリに変わるらしいよ。」
(夏木さんは女優として優れていると思いますが、それとこれは別)

老親「やだね。あの人(尾野さん)だから楽しみだったのに。」
自分「んんんんっ・・・・・(σ′д`。)。」(うなる)

このドラマのDVDのBOXセットをAmazonで予約しようと思っていたが、やめて別々に購入するかなあ・・・
と悩み出している。
「BOXセットゆえの特典もあるだろうからなあ・・・・。」
「恋した人が輝いた瞬間を収めた、愛するドラマだったし・・・・。」
そう思いつつ。

どうせならば・・・10月〜1月終わりまでのお話し+中間を省略形にして+最後だけをくっつける。
そういう手術をほどこして、それを6ケ月の構成とすべきだったのではないか?
そんな風に思ってしまう。
原作に忠実であったり・三人娘をあえて描く必要なんかどこにもない。なぜ、現実をなぞらねばならないのか?
本来あったスジから、関係の無いところに力点を分散しはじめたことに、どうも納得が行かない。

とはいいつつも、収録は既に終わっている。
仕方がないので、尾野真千子さんが出る限りは全面肯定で、彼女が出る良い部分だけを見て過ごそうかと思いつつある。
稀有な出来の、思い入れ深いドラマだったゆえ、複雑な気分になってしまったのは事実。


PS:大晦日の日の朝を振り返っていた。
宿泊した本郷の古旅館・朝陽館で、無理矢理、MZ師・ハブ噛み師匠を引きずりこんで見た「カーネーション」の朝の特番。

舞台裏での糸子さん=尾野真千子さんのリラックスした様、笑顔がステキでこちらも笑顔でしあわせだったのを想い出していた。

「おいおい、黙ってこれを見るんだ!」とMZ師に無理矢理、酔っ払いの絡みのように強要した日も近くて遠い日。

幸福は、あっという間に、ささっと足早く逃げ去る。

そのときそのときの幸福を逃がさずに「そのときしか無い」という意識で、「今」を味わわねばならない。
そう意識を新たにする今日。
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2012年1月20日 金曜日 20120120 - 連合赤軍の深い闇 -

2012-01-20 21:34:02 | 雑記帳

30代以降、自分は80年代より前の生きてきた時代の確認をしてきた。
本や映像や人からの話を含めて。
それは、1つには自分が生きてきた時空と自分の関係性の確認作業であり、もう1つには自分が生まれる前までをも含んだ・私が生まれ育った日本・東京を確認する作業であった。

その自分の位置確認作業は未だに続いている。

***

その一部として、70年代について近時の関心は偏っている。

私が1970年4歳のときに大阪・吹田での万国博覧会に家族で行き、岡本太郎の太陽の塔の前で・当時熱中していたフィンガー5のアキラのサングラスを掛けて撮ったむじゃきな写真。
まさか、当時、その一方でこの年に三島由紀夫師が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げたことなど思いもしなかったことだった。

1986年精神を病んでふらふらで自殺前に最後の挨拶に行った兄との会話で知った「三島の死に方のように・・・」というセリフ。
そこから神保町をふらふらとさまよい歩きながら買った三島由紀夫の「仮面の告白」、そして「太陽と鉄」。
ハタチで知った三島由紀夫の死に様が自分に与えた衝撃はすさまじいものだった。

三島先生がどうあろうが、それとは無縁に、結果論として、自分は自殺へ向かうこととなるのだが・・・。未遂に終わる。

***

66年生まれのおぼろな記憶〜70年代の記憶は、生まれ育った下町・三ノ輪のモノクロームの風景と密着につながっている。
それと共に、今は亡き家の真裏の幼稚園〜越境入学させられた千代田区永田町小学校に通う中の日常ともつながっている。

1963年・昭和38年に起きた「吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐殺人事件」は三ノ輪に近い入谷で起きたものだったので、よくわがまま言ったり・暴れた幼少時には「あんたも吉展(よしのぶ)ちゃんみたいに誘拐されなさい」と母親に近くの公園に抱きかかえられて捨てられた記憶がある。
自分は泣きながら、素足で土を踏みながら、夜の暗闇の中、家を目指して母の後を走った。

その前の年の1962年・昭和37年の「三河島事件」。これも三ノ輪に近い場所。
幼い頃からようく親や親戚から「火が付いたままの燃えた電車が走ったんだよ。みんな歩いて現場見に行ってなあ・・・。」と話された記憶。

小学校に入ると、1968年・昭和43年に府中刑務所前の道路で起きた三億円事件の「例の」モンタージュ写真は、街のあちこちで見た。

1972年・昭和47年のあさま山荘事件で、テレビでの中継でクレーン車が鉄球を山荘に打ち込む映像を見ていた記憶。

1974年・昭和49年の三菱重工爆破事件では、霞ヶ関オフィス街で爆破した頃、その地下にある地下鉄に乗っていた。
テレビで血まみれの人々の姿の映像を見て初めて事態を知る。

永田町小学校は、自民党本部のまん前にあるので、トイレ行ったり・手を洗ったりする中、窓ガラスの向こうでのデモ行進、右翼や左翼がやってきての拡声器での叫びは日常茶飯事だった。

さまざまな事件が、濃淡を付けながら、記憶の中に沈殿している。
しかし、それらの本当の意味を知るには、時間をはさまねばならなかった。
同じ時空で起きていたはずの事柄は、まるで二重構造の世界のように、二つの世界は二つの川のまま、流れていた。
そこに接点があるとすれば、6つ上の兄の長い髪と無頼なありさまであった。

***

その真意に近づくのは、ゲバ棒をふるっていた坂本龍一や糸井重里を知って以降のこととなるが、学生運動が何を意味していたのか・・・。
・・・・・全共闘と東大安田講堂をめぐっての戦い、その制圧以降、逆に先鋭化と地下潜伏化していくその後の左翼活動。
・・・・・連合赤軍の結成・・・・その後の活動と、あさま山荘に結果至る道とそこでの鎮圧による左翼活動「ブーム」の終息。
残党たちによるテロ活動。

その一連を本や学生運動を経験した人々のインタビューを通して知る。
そして、連合赤軍の山岳での悲惨を極める事件を知った。

素浪人〜ハタチの頃、兄が結婚して家を脱出してしまい、もぬけのカラと化した部屋に残った大量の書籍の渦からさまざまな本を引っ張り出して見る中で、とある一冊。
「昭和の犯罪史」という5〜6センチの分厚い本。
これを興味深く読むことによって、戦後の昭和の犯罪の数々の詳細を知る。
その中の一つであった連合赤軍の記事内容。山岳で起きた事件は、みずからコトバとしては発しがたい重さがあった。

そのもやもや感は今も変わりない。

***


実は、今週のスタートがひどい鬱状態ではじまってしまった要因の1つが、14・15日の土日に、2008年に公開された映画、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」というものを見てしまったせいである。
そして、そこから再度、あの70年代時点での左翼のあり方、そして共産主義へと駆り立てたものは一体何だったのだろうか?
そういう振り返りから、さまざまな本を引っ張り出して読むうちに、血も凍るような地点に行ってしまったことによる。

現段階では、明解な何かを語ることは出来ないが、共産主義化・革命を果たす為に、山ごもりをして訓練を積む中で、仲間が仲間をリンチで殺すという事態。
「自己批判しろ!総括しろ!そうせねば、共産主義化への革命戦士にはなれないんだ!」という森恒夫と永田洋子がほぼ主導権を握りつつ、結果12人が亡くなるというおぞましい集団状況に至った。

森は獄中で自殺し、永田は昨年・刑務所内で病死する。
果たして、死刑囚であった永田洋子へ死刑執行をせぬままにして、病死まで行き延ばさせたこと自体、是なのか?非なのか?
また、本当の意味での山での事件の「総括」がなされないまま・あいまいなままとなっている。

追い詰められたモノたちの集団心理という面では、底流を流れるものは、オウム真理教へとつながっていったのではないのか?

大塚英志の「彼女たちの連合赤軍」を引っ張り出し、改めて「昭和の犯罪史」を引っ張り出し・・・・
さまざまな想いが浮かんでは消えて、先週の土日は、闇のような室内で過ごしてしまった。
結果、自分の中でも、これという結論なり・意見というものが出せないでいる。


再度、もやもや感が募ったまま、月曜日を向かえてしまったのである。
「あそこ」から40年と言う時間の差は、朝のまぶしい光景と2012年の様。
「とてつもない遠くに来てしまった・・・」そういう感覚。

歩くのがおぼついていた。
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2011年12月20日 火曜日  山椒魚の夜間飛行 とある拾肆夜  - サブリミナル -

2011-12-20 21:53:56 | 雑記帳


たまに近くに居たりすると、会話が気になって、思考回路が乱され・ストレスを感じさせる人がいる。
彼は、30代だが、妙にカッコ付けたダイナミックで大げさなしゃべり方を、周囲がうるさいほどの声でする。
こういうタイプは、地方から出てきた人に多い。
「げーのーじん」と呼ばれている人にも多い。

まあ、よくあることではある。

ただ、それより心配に思うのが、彼のしゃべり方が、彼の過去の上司にウリ2つなこと。
反射神経と呼ばれるものや、サブリミナルな刷り込みの存在は知っている。
単なる影響ならよく受けることではあるが。。。

***

過去読んだ「サブリミナル・マインド」という本はとても面白いものだったが、反面怖いものでもあった。
神田正輝・若い頃の高島礼子が出ていた映画「さまよえる脳髄」を同時に思い出した。
映画は、サブリミナルと殺人が絡む話しなのだが、行動と言動の不一致がキーとなった不気味なB級ホラーだった。

ユング等々の研究も含めた、無意識という領域の不可思議さ。。。。

本人が意識で認識するより前に、肉体が「おのずと」行動するというのは事実。
この今叩いているキーボードの文字も、
「A=あ」がこの位置で・「E=え」がこの位置だなあ・・・などと考えてから叩いているわけではない。
既に無意識下に刷り込まれてしまった何かは、すでに本人すらも掌握・解釈不能な領域に入り込んでしまい、うごめいているのだ。


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話しは、逸脱する。

自分が持つ森田療法の医学書の一冊で、継承者である鈴木知準と森田療法の体験者との対話の中、雑念恐怖というくだりを思い起こした。
この本は、1986年の自殺未遂直前に、ふらふら歩いた神保町の三省堂本店で手に入れたもの。
雑念恐怖とは、頭の中でさまざまなものが湧いて湧いて止まらない・・・そういうことを「取り払おうとする」神経症。
誰にもある、ごく普通のことなのだが、それが許せないで、取り払えるまで悩みぬく、袋小路に入ってしまう類の病。
強迫神経症の中で潔癖症が、手がすりむけても手を洗い続けないと「気が済まない」のと同類。

ここで、鈴木知準はこんなことを言っていたような記憶がある。

・・・「カラダを動かし『今に行入(こうにゅう)』していくうちに、雑念は心の底流を流れて行き、次の地点へと自然に移り変わっていく。
雑念は流れていく。だから、そこに取り合っていてはいけない。いくら気にしたくても気にして強迫行動に出てはいけない。
目の前のやるべきことに、行入していきなさい。」

森田療法は、森田正馬が作り出した神経症に対する行動療法。
西洋医学にはない・東洋ならではの思考回路が生み出した手法。
上にあるような「人なら誰にもよくあること」を流せない人に対しては、行動を習慣として身心にプログラムとしてインプットすることで、神経症症状をクリンチして回避セヨ、と説く。

この森田療法については、多くを学んだ。
しかし・・・。
行動療法、とコトバにするのはカンタンだが、実際は異なる。

時には避けている「恐怖突入」などを含めて、リアルに必死にならなければ峠を越えることは出来ない。悟りに近い鍛錬(ディシプリン)が無いと越えられない。
まるで「根性論」のようであるが、生きるなんてものは、そんなもの。キレイごとで済むわけが無い。


***

話しは戻る。

森田療法はあくまで神経症レベルの話しに過ぎない。
上記のサブリミナル・マインドや脳障害などとは、わずかにしか接近する部分は無い。

最初に戻って、過去の上司にウリ2つなしゃべり方をする「彼」だが、見ていて他人事では済まない部分がある。

例えば、とある外部の職場とお付き合いして、日々電話などしたり応答をしていると、同じ場所で働いているのは幾人も居るのに、
みんな言動・行動が、あるいは、話し方のトーンやイントネーションが微妙に似通っているのを体験してしまうことがある。

空気感染のように、サブリミナルな領域で、異なる人が「同期化」するのを目撃すると、気味が悪いものである。
だが、そういうことが起きているのは真実。

気が付かないあいだに、サブリミナル世界は、その人の多くの領域を覆っている。
あるいは、世界もそういうものに覆われているとも言える。
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2011年12月19日 月曜日  山椒魚の夜間飛行 とある拾参夜  - 他者 -

2011-12-19 21:46:43 | 雑記帳


■ぐるぐる回る
今日は、まだ旅の疲れが取れぬまま漂った。
日中の仕事のさなか、頭の中を鳥肌実せんせいの会話がエンドレスに流れていた。

当初は、あくまでお笑いの延長線上で右翼的な発言スタイルを取っていた鳥肌せんせい。
・・・・ところが、今ではお笑いでも芝居でもなく、本物の真性右翼におおむね変態した鳥肌せんせい。

もはや、逆戻りは出来ない。
鳥肌せんせいの「行くところまで行くしかない。退路は絶たれた。」まま、本物へと突き進む様は、自分が愛するものの一部。

今日、頭の中をぐるぐると回っていたのは、2004年ごろ、鳥肌さんのCDで聴いていた初期のスタイルのコトバたち。
当時、42歳厄年男の設定だった鳥肌さんは、山崎パン工場内のサンドイッチ班・ピクルス担当として「朝の6時から朝の6時まで(=24時間)」働いていた。

あの頃の、鳥肌さんのルサンチマン発言は、今でも新鮮で、ニーチェじゃないが「人間的な、あまりに人間的」に私の体内をぐるぐる回る。

「ああ、今日も、単純作業のお出ましだ。」
「きゅうりは2枚だと、あれほど言っただろう!」
「巨大なジャムパンが攻めてくる。」
「オレはなあ契約社員なんだよ。。。。年下のくせに、アゴで使いやがってぇ。」
「尊敬するアーチストは、池田大作です。」
「休憩時間には、アムーウェイの勧誘に努めております。」
「土日は創価学会員と殴り合っております。」

そんなくだりが、頭の中をめぐりめぐる日。。。

■「空気」
話しを移す。
もしも、災害・事故・病気をまのがれて生きることが出来たとしても、何年生きられるか?
という未来予測は不可能。

ならば、如何にして、自分と大事な人との残り少ない時間を大事にするか?
それしか無い。

家族旅行から帰った私の思念は、さらにその念を強めた。
旅行帰りの翌日のお勤め。
朝から「ひとびとの振る舞い」を見て、「相変わらず、しょーもないなぁ・・・・・」とつぶやき・思わず苦笑。

距離を置いて見える者たちは、何か大きな勘違いをしたまま生きているように映る。
違和感を覚える。

まだ読めてはいないが有名な山本七平の著作「空気の研究」、近時ハヤった「KY(空気読めない)」なるコトバ。
「は〜い右に曲がってぇ〜」「は〜い、今度は左にぃ〜」・・・
インストラクターとのエアロビクスのように「は〜い、ワン・ツー、ワン・ツー・・・」。
目に映る者たちが、周囲の空気次第でしか動けない烏合に見えてしまう日。

良い意味で、楽で効果を産むような・・・positiveな生きる方向への動きならまだしも、どうも彼らはそんなことまで考えている気配は無い。

■三人称「彼・彼女」
「わたし」にとって、しょせん他人以上の存在では無い人。
そんな他人は、彼らにとっても他人である「わたし」の命を保証しない。
むしろ、ああだのこうだの「わたし」の命を削る目的としか思えない方法で、小じゅうとのように口うるさい。

他人にしか過ぎないのに。
そういう者ばかりで形成された組織なり社会。

幸福だった「あのころ」とは異なって、実はハラの中には、誰も周囲が仲間だなんていう馬鹿な意識を思っては居ないはず。。。
と思うが、未だに構成員=仲間と勘違いした時代錯誤者が居たりする。

ごく一部の親しい仲間以外は、当たり前だが=(イコール)居ても居なくても良い登場人物・ボトルネック抱えた人だったり・・・。
六人部屋の病室に入ってしまって、単に同じ部屋割りになったときみたいに。
他人が身近に居るときに、体内が発する不愉快・不快感。

いっぽう、電話で他部門や外の人と会話を交わしたり・そこへ訪問して話すことは、お互いの歩を進めることであり、不快感はない。
そこで萌芽した何か小さいものは、最終的に影響効果が「ご利益」として還元される可能性があり、努めてそこには熱心たろうとする。

彼らとは仲間という意識が芽生え。/その一方で、近くに居る者への違和感を感じるちぐはぐ。

■「空気」×「彼・彼女」=「珍妙空間」
単に偶然同じ部屋割りなだけなのに、気が狂い「勘違いした他人」は、勘違いしたまま暗黙の了解を越えて「構成員だから・・・」と、他人の身内が亡くなれば、本人に会った事すらないのに、土足で他人の葬儀にジャマしに上がりこみ、不遜にも焼香をして、酒や食い物を飲食ちらかして帰っていく。まるで盗っ人みたいに。酒を呑みに来て去っていく者も多い。

元々、葬儀・結婚式含む冠婚葬祭とは、血が繋がった親戚縁者・友人・身近な者だけで行うもの。それ以外は関係が無かった。

しかし、他人の身内の葬儀にでかい迷惑花輪やら、結婚式の仲人だの・・・筋違いはなはだしい「余計なお世話」が頻繁に発生する。
そこに家族的融和が実現しているならまだしも。頼む方も頼む方だが。

まるで新興宗教や細木数子が、勝手に他人家系のDNAに介入してくるのと似ている。

バブル後、どん底まで没落した日本・やっとカネが尽きたお陰で、近時は、そういった勘違い者を排除・お断りする傾向はあるし、自分も一切お断り。
もし、自分の身近にそういうことが起きたら、一生の「仲間(グル)」「友人」「身内」と認識する者以外は塩をかけて追い返すしかない。

何のために働くか?=それは生活費のため「だけ」。
それ以上もそれ以下も、何も無い。
そんなドライが正しいことなのに、まだ日本人はウェットな「空気」や他人に引きづられる。

ただ、一定時間拘束されるからには、楽しい方が良いし・やったことが報われた方が良いし・良い事が多くあった方が良い。
また、拘束されながらも主体的に動けば、学ぶことも多くあり。それだけのこと。それ以外、自分には意味が無い。

■「忘れてええんかい?」−Forget Year Party−
先週金曜日「大忘年会」とやらが唐突に出現した。自分は「NO」と断った。

というのも、用事があり・もてなす先客が居るから。
土曜日〜日曜日の家族旅行は既に予約されており、金曜日の夜は親の準備の手伝いも元々あった。
心の中で「だいたいが数日前になって、さあ大忘年会ですよお」と表明する女へ理解不能と疑問符。

「いろいろあった1年ですが、皆さま、1年を振り返りながら楽しくのみましょう!!(幹事:KY)」

「いろいろあった1年って、何だよ?ネエちゃん。それで済ますんかいな。お気楽やねぇ。」
3・11後の日々の混乱の中での地道な人々の苦労も知らない。
3・11当時居なかった4月からの新人ネエちゃん。
そんな者に、そういうセリフを言われる覚えはない。
冗談にもならん、と頭の栓が切れた。

3・11発生前からあった(いつかのための)危機管理マニュアルなるモノもリアルな現実の前で、何の役にも立たないコトが見事に証明されてしまった2011年という年。
そういう年に「年末だから・・」という誘い・結ばれてなど居ない糸の者に付き合う「ナゾの日本人」的世界(外国から理解されない)の中に入るほど、自分も人で無しではない。

同席するVIPの好み中心にしか飲・食・場所を考えない女子幹事。しかし、それでも何も言われないのは、女に何かを言うと面倒な取り巻きが居ることに拠るだけ。ハチの巣をつつくようなもの。
女子力なる、あまり聴いたことの無いコトバを言っている人を見たことがあるが、昨今世間で呼ばれているのは、どういう意味なんだろうか?
意味を調べたこともなく、テレビ番組も選んでしか見ないので、最近のコトバには無知なのだが。
ただ、見た目はどう引いて冷静に見ても、自分の目には、キャバクラ・風俗の延長線上にしか映らない。

■「オシャレな方々」
最近、20代、30代と言った、自分より若い世代が、コビへつらう場面を見ることが身近に多くなった。
自分は(関わると単純に面倒なだけの陰湿女以外は)じかに「こうした方が良いんじゃないの」と言うようにしている。
「まだ、20代、30代の段階から、そんな折れ曲がり方してたらどうないすんねん」と思いながら。

今年は、見事・あっぱれなことがあった。
聖職者と打合せした議事録を、同席した30代後輩が書いた。
配布されたものには、自分が話したくだりは全部カットされ、聖職者に都合の良い部分だけで仕上げられていた。
フィクションの世界。
「お前は情けないヤツだなあ。30代にして、偽造議事録か。。。。自分が何を言いたいかは分かるだろう?
今度から録音機器持ち込むのでヨロシク。」

正直、社会の中に居ると役にも立たないアイデア、明白な三文芝居に、案外コロリとだまされる「見るチカラ」の無い人がたくさん居るものだ、と感じることが多い。
童話の「裸の王様」じゃないが、みんな笑いをこらえているのに、安っぽいモノや考えが道の真ん中を、堂々と平気なツラ下げて歩いていたりする。

・・・・これを世間の現場に展開してみると、マンガとしか言いようの無い状態。
しかし「そんなものだ」とサブリミナルに刷り込まれていたりするケースも多いようだ。
(ちなみに、マンガとは日本が作った偉大なカルチャーということを理解した上での言い回し)

●優しいフリや如何にも他人を気遣ったようなフリを、見せる人の居るところでのみ指導や差配を見せる人。
●電話での会話で、都合の良いエッセンスの部分だけ、周囲に聞こえるように大声でしゃべる人。

しゃれにしては、キツすぎる事象は、あげていくと尽きない。。。。

***

明日が分からぬ時代。

自分が日々意識しているのは、生活費をもらうに課せられたに相対するミッションを果たすことに集中する、それのみ。
といっても、それが十分出来ているとは思っては居ないが。

しかし、それ以外の「空気」だの「結束」だのを強要されるのは、筋が違う。
私は、お勤めで死ぬつもりはない。
もっと大事なものがある。さらに残り時間さえも少ないかのだから。。。
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2011年12月17日 土曜日 二千拾壱年、師走の旅

2011-12-17 07:56:07 | 雑記帳


近時、不意にミュージシャンや俳優を見て、その老いに驚愕することが多くなった。
まあ、みんな同じく歳を取っているのだから、当たり前なことだが、その様を目の当たりにすると感じるものは多い。

そういう感覚は、身近な身内に対しても同様。
11月に、家族4人+兄の奥さんで、お袋さんの81歳の誕生祝いをしたときのこと。
お酒も入る中、ロックなお袋さんの歳を感じさせない突き抜けた会話と笑い。

さまざまないさかいや争いがゼロになったわけではないのだが、昔では親に言えなかったコトも次第に言えるように・・・
というか、もう全て明日は無いという意識の中、いまさらどうでもいいと、他人同士の家族は、今、溶け合い出している。

この5人がこうしていられる保証は明日も無いならば、今しかないだろう、と思った。
そこで決断。

全てお膳立てをして、一泊二日の伊豆への温泉旅行を企画した。
4人への、今年最後のプレゼントゆえ、思い切って老舗の旅館を取った。
最後の旅になるのかもしれない、そう思いながら。

これから東京駅に向かい、踊り子号で旅立つ。

コチャコさんも連れて行くことを視野には入れていたが、最終的には、トイレやストレスを考えたら逆に可愛そうだという結論に至った。
コチャコさんへ 寂しい思いをさせてすみませんが、お留守番ヨロシクね。
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