こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

Boyd Rice 「music martinis & misanthropy」'96

2011-02-28 10:00:00 | 坂本龍一のサウンドストリート
ボイド・ライスという人を初めて知ったのは1981年4月、坂本龍一のサウンドストリートの第2回目、糸井重里さんがゲストの回でかかったダーカー・スクラッチャーというオムニバス・レコードからかかった「クリアネス&オーダー」という曲だった。

この曲は、ミュート・レーベルの創始者ダニエル・ミラーとボイド・ライスとの共演。
ダニエル・ミラーは80年代初頭のニューウェイヴ/テクノの中の1人のキーマンである。

後に、デペッシュ・モード、ヤズーによってミュートは有名になるが。

***

1991年4月から1996年3月の大阪時代を経て、東京に戻った自分は、コテコテの大阪を経験したからだろうが、5年経ての東京という街に何かよそよそしい空気を感じていた。
元々、東京というのは、他人に干渉しないという奥ゆかしさが文化であったが。
そんな折、神保町のジャニスで借りて聴いていたのが、ボイド・ライス&フレンズの 「music martinis & misanthropy」だった。



サイキックTVを想像させる音の背景での語りや鳴るSE。
全曲が良いと言う訳では無いが、特に気に入ったのが「ディズニーランド・キャン・ウェイト」という曲。

元々、地下組織に属し、反体制活動を行っていたボイド・ライス。
この曲以外にも、不気味な静けさが、このアルバムを支配している。

ジャケットも意味深であるが、この「ディズニーランド・キャン・ウェイト」も、まるで昼の「ディズニーランド」なる異国の騒ぎの後、夜を迎えて、誰も居なくなった中、メリーゴーランドが亡霊のように回るウルトラセブン的恐怖感を漂わせており、夜という時間の持つ深い闇を表現していて好きである。

自分の中では、1996年の東京のよそよそしさとこのアルバム「music martinis & misanthropy」が微妙に意識下で繋がっている。

***

東京に無い「千葉でぃずにーらんど」に1度も行った事が無い、という自分に対して、まるでエイリアンのように「ええっ!行った事無いの!」と言うヤツが多く居る。

「行ったら愉しいよ」という彼らに、
「1983年、千葉県浦安市に出来た、ああいうバーチャルな虚構世界が、現実とごっちゃになり進出してきた様は、現実世界に何を及ぼした?
お前らはああいう資本主義の手先が、この現実をどのように変えていったのか?
善のツラを下げながら、お前らのサイフからカネを収奪して行きながら、世の中をどのようなところに導いていった?
でぃずにーらんどに行くカネあるならば、自分は風俗に行くね。
私はあんなところが善で、風俗が悪というような風潮には染まらない。
キレイごとに全肯定する人というのは、どうも気に入らないなあ。」
と言うと、彼らは黙り・説明出来ずに去っていく。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年2月25日金曜日-27日日曜日朝

2011-02-27 10:10:37 | 写真日和


毎週の仕事を終えて、浅草を降りた風景に少しほっとする。
神谷バー、うんこビル、隅田公園・・・

おなかが猛烈に空いてしまい、せんねんそばに入る。



額に飾られた浅草から見るスカイ・ツリー、墨田区役所、うんこビルの風景。
せんねんそばで頼むのはいつも同じ。
かき揚丼とおそばのセット。



家に帰り、サントリーのノンアルコールビール「オールフリー」を呑みつつ、音楽を聴く。



ニュー・オーダーの1981年11月ファーストアルバム「ムーヴメント」を聴いているうち4時近くになってしまう。
アンビエントをかけながら眠る。

***

土曜日13:00起床。
鼻がピノキオになった営業マンの渦の○comが来る。

その方は、こないだ来た遠○という3年生のピノキオの目に余る行動に、説明に現れた。
遠○も来たが「ガキのピノキオは外に出てろ」と断る。

来てくれた方は、元々他の会社でインフラ関係の仕事をされていたが、○comに已む無く吸収された方で、ケーブルテレビの成り立ちと独占でピノキオに至るプロセスをよく理解した方だった。
苦労して来た様が分かる方で、いろいろお話をした。

以前、このエリアを回っていた女の営業マンの言行が余りにひどいので転勤させたとお話しになっていた。
「そういえば、たぶんその方、うちにも来ましたよ。
20代前半とおぼしき方で、地デジ対策はどうされているか、と言いながら商品切り替えの売り込みに来ました。
人が普通に話しているのに、私の会話に『ふふん、なるほど』と応答する生意気な生気の失せた女でしたよ。」

15:00付けっ放しのラジオは「パカパカ行進曲」になっていた。

ご飯を食べたせいで、聴きながら寝込んでしまう。
そのまま日曜朝まで寝てしまう。

時折、睡眠学習のように、流れるTBSラジオが聴こえてきた。

映画の井筒監督が「パッチギは良く出来たが、確かに他の映画は批判浴びてもしゃあない部分はある。自分も創った後になって反省する事多くありますよ。ただ『あしたのジョー』はいただけない。マンガの通り、出っ歯を映画でそのままやるのには、見る方も醒めるわな。だいたいが、あんな演出受ける俳優も駄目だ。山谷や天王寺の様を見てる人間には、泪橋の演出もリアリティ無い。」

映画『あしたのジョー』などハナから見る気もしないが、まあその程度という事は想像が付く。

朝「プレシャス・サンデイ」という番組から米々クラブの「浪漫飛行」が流れて起きる。
久保田智子「この曲を聴いていたとき、私は中学生でしたねえー。」

私はその会話に「ガーン」となりながら、白痴な話しぶりに眉をひそめる番組。



この曲を自分が聴いていたのは、大学4年生の頃で、ハブ噛み師匠とMZA有明というクラブ+ライブハウス+レストランなどが所狭しと一体化した「東京ウォーターフロント」で掃除のアルバイトをしていた。

掃除をしながら、落ちている指輪やアクセサリーを拾っては、前夜の情事・狂騒を想像していた。
東京湾を一望出来るMZA有明の庭に出て、タバコを吹かしながら、くらげがぷかぷか浮かぶ様を思い出した。

***

近所にタバコを買いがてら一周散歩する。



天気は良好。
しかし、まだ寒い。

春はすぐそこまで来ている。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

New Order 「In A Lonely Place」'81

2011-02-25 23:45:35 | 音楽帳
ジョイ・ディヴィジョンがイアン・カーティスの首吊り自殺と同時に「The End」を迎えた後。

ニュー・オーダーという新たなバンドとして出発した最初が「セレモニー/イン・ア・ロンリー・プレイス」というシングルだった。

  

「セレモニー」はジョイ・ディヴィジョンの曲であり、それをあえてニュー・オーダーの出発点としている。

「セレモニー」とは儀式を意味する。

儀式をウィキペディアから引用すると以下の記載がされている。

「宗教学においては、儀式は、思想が行動として表現されるもので、それによって特定の宗教を信仰する者と信仰しない者を具体的に判別する事が出来るとし、個人ではなく、集団で行う事で教団として社会から認知されるとする所から、宗教集団を構成する要素の1つとして位置づけている。



また、特定の宗教を信仰していなくても、所属する特定の社会に於いて、集団の結束を確認するため、或いは集団への入団儀礼、集団内でのステップアップのために行われ、社会に周知させる意味でも行われる。

・・・文化人類学的意味合いを含んだ秘密結社の一部などの閉鎖的組織の中では合言葉や符牒などの形式を持っていることもある。」

***

自分は、「セレモニー」よりも、B面になっているこの「イン・ア・ロンリー・プレイス」という曲が今でも好きだ。



「これほどまでに暗い曲は無い」と思った方も多いと思うが、私はこの曲が昔から好きなのだ。
荘厳で死の匂いを漂わせた、まるで亡霊のような曲。

しかし、実に穏やかに神聖なる絶望の底での身動き取れないほどの(逆に)安定感。

死を浴びて逃げ場の無いその渦中というのは、自然に冷静沈着なものである。
それは、もう恐れるものが無いからである。

【From「ジョイディヴィジョン」|To「ニュー・オーダー」】の「|」部分の峠を通過する儀礼としての曲と捉えている。

ほっかり1人抜け落ち残った3人+ギリアンが、新たなる結社を結ぶ時の通過儀礼。

記号論・構成主義的ファースト・アルバム「MOVEMENT」で格闘実験する前夜。

コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かたちんば徒然日記  : 「労働組合」なる欺瞞

2011-02-24 12:30:00 | 雑記帳
2011年、一番割りが悪いのが、さらりーまん。

私は「さらりーまん」という言葉が嫌いである。
非常に侮辱的なコトバにしか聴こえない。



「さらりーまんは、気楽な稼業と、来たもんだ」

と植木等は歌っていたが、そんなカテゴリーは2011年存在しない。

「一番割りが悪い」という根拠は、毎月の給与明細を見れば分かる。

①所得税
②住民税
③健康保険料
④介護保険料
⑤厚生年金保険料
⑥雇用保険料

これだけのさまざまな保険料と税金を丸々差っ引かれた状態で残ったものだけが、MZ師同様、私も、敵としてマーキングしている「銀行」という悪の権化に振り込まれる。

税金逃れをしている連中がうじゃうじゃ居る中、我々は既に出元で自動カットされている。

こんなくだらない公的じゃぶじゃぶの為に、我々は労働していることになる。

ゆえに、自分の兄は、自分で会社作って個人経営した方がマシとドロップアウトした訳である。

***

実際は、この①~⑥以外に「割りが悪い」ムダ金が引かれる。
それが⑦労働組合費である。

しかも、私の仕事場では、全員がずーっと日本国の低落と共に給与は減り続ける中、⑦は20年間定額なのだ。
この「労働組合」も1つの団体であるからして、効率運営によって30パーセント・40パーセントカットは当たり前なのだが、そう言うと「これは運営上、最低限必要な金額なんです」。
「お前らアホか」。

私は、こういう「労働組合」の連中と取り巻きを、心の底から軽蔑してる。

何かと言うと人を集め「組合活動」と言いながら、そこで語られるのはチンケでレベル低い会話。
それに付き合う馬鹿共。

無駄な時間ロス排除を誓う自分は一切出席拒否。
出るときは爆弾の固まりを持って、一生に1回出席し、「労働組合解散命令」を筆でしたため全員にプレゼンするのみ。
馬鹿は所詮馬鹿なのだから。
感染しないよう、予防は怠らずに出席せず、馬鹿の放射能を浴びないようにするのが賢明。

「残業問題は、まず意識改革からです。」などと、偉そうに言っているテメエの仕事はどうなんだよ、というとロクな成果も出せない連中ばかりで、実の所、彼らは「労働組合」を喰いっぷちにしているに過ぎない。

「支部訪問」と言っては、我々の組合費で遠隔地に平気で交通費掛けて行って、そこで飲んで喰って騒いで、挙げ句の果てが旅行気分で遊んで帰ってくる。

はっきり言って「人間のクズ」以下。

***

こういう連中は、①素馬鹿と②狡猾なヤツに分かれる。

①素馬鹿
「みんなで話し合おう」と言い、人を集めては「人にとって一番大事な時間」を無駄に費やして、話し合っているフリをしながら、3時間近く拘束を定期的に行う。

片方で残業を減らそうと叫びながら、仕事そっちのけで無駄な「残業」を強いている訳である。

挙げ句の果てが、その対策が、タイムカードを必ず打刻義務付けし、管理を強化、だって。
幼稚そのもので、お話にならない。

私のように仕事では外に出たりして、セミナーやら展示会やらと様々な人との出会いと発見、それをビジネスに生かそうとしている一方、仕事外では別の活動組織に属しているものには、はた迷惑そのもの。

フレックスタイムでは無いが、自由に飛び回っているので、タイムカードなどという計測器には縛られない。

ただ、素馬鹿が「タイムカードを必ず打刻義務付けし、管理を強化」とか経営側と手を結んだお蔭で、無駄な1か月分の打刻を月末まとめてガチャンガチャンするハメに。

素馬鹿への嫌味込めて全部の日付に公務員のように9時-5時で打刻してやったら、素馬鹿は何を狂ったか「打刻を義務付けた事で意識が芽生え、時間短縮となりました」とメールで報告。

「お前は、救いようの無い白痴だな」とメール打ち返してやった。

自分のパソコンのメールでは自動的に「労働組合」からのメールはゴミ箱行きに設定してある。
また「1か月分の打刻を月末まとめてする」=私の数十分がムダなので、最近は何もしないことにした。
馬鹿の片棒担ぎはゴメンだね。

②狡猾なヤツ
こちらは「労働組合」なるものが経営側との接点がある事を利用して、情報入手と自分の売り込みの場に使うことに熱心なヤツ。
こういう奴は体制側の犬になるケースが多い。
ある意味、生き抜く戦略なのだろうが、180度逆転する立場を平気なツラで、転向する様はお笑い者だ。
彼らも私の「死ぬまでに殺すリスト」に入っている。

大丈夫だよ、安心してくれ。
お前らの悪事は全部分かっているから。
いつか安らかにしてあげるから。

***

ウィキペディアには、「労働組合」はこう定義されている。

「賃金労働者が、その労働生活の諸条件を維持または改善するための恒常的な団体である。」

全然現実と違うじゃんかよ、となる。

私の仕事場は、ユニオンショップ協定に基づき、自動的加入と義務となっているが、その結果がこの惨状。

これは、自由意志に対する権利の侵害ではないのか?
そう20年間言い続けている自分と、耳を貸さない「他人の目・場の空気を読んで」嫌々出ると言いながら「組合活動」に加担し・出席する馬鹿。

そういえば、小泉が規制緩和したことによって生じた労働形態の変化(契約社員・パート・アルバイトなど)により、利権のラインが経営側に大きく舵を切り替えたことにも「労働組合」なるものは、知らないフリして、何の答えも出していない。
まさに確信犯である。

過去にさかのぼって、こういう行為に関与した連中は既に「死ぬまでに殺すリスト」にリスト化してある。
既に数十人に及ぶ実態。

こんなまがい者連中・狡猾な悪人は、計画的に殺すしかないと思う。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かたちんば徒然日記 : 20110223Memo-Random

2011-02-23 23:38:51 | 雑記帳
『ランダム(Random)とは、でたらめ(乱雑)である事。
何ら法則性(規則性)がない事。』【ウィキペディア】

***

苦しみたいのか?
楽になりたいのか?
「砂を噛むような砂漠」に陰鬱になることある
一方で、今日は暇になり20時に仕事場を去りながらも、何も無い事に空白感を覚える

何かが足りない
仮想敵・闘う相手が居ないと、それで安穏とすれば良いのに



自分は徹底的なマゾ

その裏に、死への願望が潜む

***

帰り道、本屋BOに寄る

本を探すうちに疲れてしまった
「処世術」的分野の本の、まー多いこと
当たり前のことを書いた本が多い
「それが出来るなら苦労はせんわい」といったことの羅列・精神論

結果、『日本は「神の国」ではないのですか』(小学館文庫)を買う
本屋の中を1時間さ迷っていたら疲れた

いつからか自分は本なるものを、数冊平行しながら、辞書的に、ランダムに、その時気になる箇所を読む・エンピツで線を引く
そんな形を採っている
過去、教授がやっていたこと(OMIYAGEに記載)と同じことをしている

小説は、起承転結に時間を要すので、色川武大さんの「狂人日記」みたいな歴史に残る作品・引き込まれる作品しか、頭→尻迄読み通せない
現代において、リアリティ薄い小説は実に非力
興味も無い

読むに値するは、哲学・思想・歴史・ノンフィクション・評論

***

常日頃、三島由紀夫先生と楯の会の事は頭の何処かに必ずある

以下は、今日のネットでの拾い物



《三島の成功は、戦後日本の市民的幸福にシニックな冷嘲を浴びせる作品を量産したことにあった。
記憶が定かでないけれども、「日曜日」という短編があったと思う。
日曜日だけにデートできる貧しい恋人が、一年先の分まで日曜日の予定をギッシリ立てている。
ところが、その二人はデートの帰りに、プラットホームから落ちで電車に轢かれるのだ。
そして、この作品は二人の首が線路脇にごろりと転がってしまうところで終わるのである。
丹念に作り上げた予定表も、ちょっとした事故で簡単に崩れ去る。
市民的幸福なんて、そんなものだよと三島は言うのである。

「私の修業時代」で、三島は敗戦を恐怖をもって迎えたと書いている。
「日常生活」が始まるからだった。
彼は、市民的幸福を侮蔑し、日常生活への嫌悪を公然と語り続けた。
「何十戸という同じ形の、同じ小ささの、同じ貧しさの府営住宅の中で、人々が卓袱台に向かって貧しい幸福に生きているのを観て彼女はぞっとする」(「愛の渇き」)
市民的幸福に対する呪詛に近いまでの攻撃は、福祉国家否定へと発展。》

***

ヒゲハゲ男は、如何に生活からロス排除し、シンプルにするかに終始している

衣類など考えるだけ無駄なので、そのへんにあるもので済ます
摩滅したら捨てて行き、全てオセロのように黒に切替集約していく

既にスーツ、コート、帽子は全て黒
黒靴も所詮作業着の一部なので、潰れる迄履いて、どうしようも無くなったら捨てる
一貫して動物の皮等は見に付けない
たかだか人間が動物殺戮などおこがましい
合成物で用は足りる

「これは本革を使った…」と言う者には侮蔑感しか抱かない

かばんは黒のリュックに半年前切替した
大竹伸朗さんの影響

夏は黒Tシャツ以外着ないのもそう

残った衣類は春になったら、全部洗濯し良品を段ボールに詰め、ボランティア団体を通して海外に発送しようと思っている

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かたちんば徒然日記  : 地デジ化の欺瞞

2011-02-23 09:00:00 | 雑記帳
所謂「地デジ」に対する総務省の下手なプレゼン手法には「?」マークが沢山付く。

また「地デジ化対応TVは消費電力減らします」=エコポイント対象品なる、裏づけデータさえ怪しいウソ。

もともと暗躍する闇世界での、通信業界への利益誘導目的の「地デジ化移行」だから、彼らにとって民間人が『?』でも別段構わないし、彼ら自身は何ら傷まない。

TV放送の下にうるさいように帯を流している総務省窓口に電話してみればわかる。

試しに電話確認してみた。

***

当方「移行に際して、君達は何をしている?」
に始まり話を切り出したが、期待通り小役人の世間知らずなズレた受け答え。

最後は、窓口(=民間では営業窓口を意味)の癖して「ここは【あくまで「窓口」】に過ぎないから、技術、法的な難解な事は解り兼ねます。」

当方「えっ?はっ?」
そして技術窓口の50代男に回して逃げられる。

***

当方「技術部門など公務員にあるのか?」

技術「いや公務員じゃ無い。」

当方「要は紐付き業者か。」

技術「外部だが紐付きじゃ無い。」

当方「技術サポートは星の数程ある中、君らが選ばれた事を紐付きと我々は呼ぶ。
なぜ0か100で地デジ対応を強引に進める?」

技術「我々が選んだ国会の法律で決定した事ですから。
それに従い進めるだけだ。」

当方「あなたの言う【我々】が何を含むか知らんが、私は選んでない。
馬鹿言うな。
ではそれに盾付く者は法律違反か?
そもそも、何もするべき仕事をしていないじゃないか。」

技術「法律違反とはならない。
だが我々も一生懸命やっている。」

当方「一生懸命とは、自動的にテロップを延々流す事か?
一生懸命なんて言葉は大人の社会概念には無い。

要は、中身を老人にも伝わる様に噛み砕く事がきみらに課せられた指命だ。
しかし、その目的に対して決定的に徹底的に行動が欠落している。」

技術「説明会したり色々苦労している。」

当方「"してやっている"と態度が偉そうだが、きみも民間の癖して、所詮は我々の納めた税金から金貰い、今そこで働いているんじゃないのか?
なぜ目線が上からなのだ?

きみも技術にうとい人相手に不安煽り、撹乱し、通信事業に金落とし、いっときのバブルにジャブジャブまみれる戦略の手先に過ぎないな。

きちんと噛み砕かねば、地デジ化を絡めた老人詐欺が横行する。
幾ら苦労しても伝わらなければ無駄な税金が無駄に使われるのみ。

世間の営業なる概念とは、そういう事を指している。

一生懸命と自己満足に浸るのは勝手だが、自分の目・耳には甘いとしか感じられない。」

技術「解らなければ量販店にもチラシある。
ケーブルTV会社もある。
相談したらどうか?」

当方「きみの役割は何だ?
民間人の癖して電気屋の片棒担ぎか?

逃げるのが役割か?
役割放棄だな?

最後に1つ質問。

世間ではTVなど映れば十分な人は多い。
時期が来たら、アナログTVが映らなくなると思い込んでいる人も多い。
本当にそうか?」

技術「1万円もしない専用チューナー介せば見れる。」

当方「じゃあきみらは何故それを前面に世間に伝えない。
君らは所詮利益誘導の片棒担ぎ。

まあ馬鹿な地上波TV会社等は潰れるし、自分は見る気も無いが。
いつまでも税金投入して私腹肥やし、そこに紐付きぶらさがって、バブルの中でジャブジャブしてなさい。

きみ自身の馬鹿な態度に対して、胸にやましい事無いかどうか手を当ててみなさい。
まあ、紐付き馬鹿には馬耳東風だがね。

俺はお前らのような腹黒い連中は、最後の最後まで絶対に赦さない。
これだけは言っておく。」

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Echo And The Bunnymen 「The Killing Moon」'84.06

2011-02-22 18:00:00 | 音楽帳
80年代前半のイギリスには、キリング・ジョーク、サイケデリック・ファーズ、U2等々アルバムが出るたびにチャートには顔を出すが、時流のムーヴメントやポップスの領域には入らないバンドがあった。

そんな中の1つにエコー&ザ・バニーメンも居た。
私が彼らを知ったのは1983年の「ポーキュパイン(やまあらし)」というアルバム。
この中に納まっている「ホワイト・デヴィル」という曲に「やられた」。
そして、イアン・マカロクのシングル盤も聴いた。



その次のアルバムとして「オーシャン・レイン」というアルバムが1984年6月に日本発売され、これは輸入盤で買った。
だが、どうも「ポーキュパイン」のようには受け入れ難かった。
当時盛んに「良いアルバムだ」と言い続けていたのは高橋健太郎だったが、高校生青二才の自分は「んんんんっ・・・」と唸りながら同意出来なかった。

但し、シングルカットされた「キリング・ムーン」というポップな曲は、いまだに「月の妖しさ」を感ずる夜には聴き続けている。
何も、目に見えて「月」が出ていなくても良い。
これを聴く妖しい夜であれば、私はこの曲を聴く。





バニーメンの熱心なファンには「お前、それは違う」と言われても「私は信者ではないし、オーシャン・レインのジャケット写真はキレイだが中身をこなれるほどに聴けていない」というのが、2011年になっての惨状である。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

静かの海

2011-02-21 20:13:33 | 音楽帳


寝る前に飲んだノンアルコールビールのせいで
夢を中断してトイレに駆け込む

夢の中では映画「ウィークエンド」のように
古いアメリカ車で、どこかに数人乗り合わせて行く
私は向かう場所を知らされていない

着いた所は墓

緑の丘
平面に均等に並ぶ埋まった墓
それぞれを覗く
エピタフと名前が刻まれているが、それはレコードプレイヤーになっていて
そのBOXの中に1枚のレコードが乗っかっている

みんなでそのプレイボタンを押す
丘の上の数十の墓から出る音が風の中でミックスされる

7:10温かいお茶を煎れて飲む

***

日曜日、朝7:30~17:20電話で起こされる迄寝ていた

そのバイオリズムの狂いは、月曜日朝の疲れだるさに、どーんと堕ちてくる

元々朝は弱く、もう駄目だ、と死にたくなることはよくある

朝の弱々しい生命力

日常の、時に徹底的な悪魔の如き攻撃性は微塵も無い

私が死ぬも殺されるのも、たぶん朝だろう



私には、こんなときこそ静かの海に繋がる音が見分けられる

見えない静かの海で手が結ばれることを

その時空間を理解している、ごくわずかのアーティストたち

今朝も、きわめて少ない時間の中で
そんな空気の一端をまさぐる

ENO&BUDD『鏡面界』『ザ・パール』

ディップインザプール『黒いドレスの女』

坂本龍一『AFTER ALL』

朝の静けさ

含んだ緑茶を舌で味わいながら、湯呑みの水面のへりをしげしげと見る

窓から空を見上げる

曇りの濃淡
カメラのシャッターを切る

電車に乗る
温かい

座り眠る人々

自分はまだ世界の外側に居る

社会に染まる前の虚ろ

静かの海

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真日和 : まみちゃんの母=コチャコさん

2011-02-21 07:30:00 | 写真日和
1996年4月8日にまみちゃんは生まれ2009年10月12日、13年半の付き合いに幕を下ろした。

そのまみちゃんのお母さん=コチャコさんは、自分が大阪から1996年3月末に戻ってきたときには居た。

幼くして捨てられたらしく、とても警戒心が強くて、実家にいったん戻った自分は「よそ者」。
それ以来、15年経っても、いまだに「身内」とは認めてくれない。

実家の老夫婦にさえ一定の距離を置きながらも、時に寄って来ることもあるが「あとはほっといてくれ」と言わんばかりに「孤」である。

飼う/飼われる、という関係など、コチャコには全く意識など無いのだろう。

ネコとは元来そういう高貴な生き物。
「孤」を生き抜くコチャコさんには、眺めていて感じることが多い。

誰も教えてもいないのに、ネコは生まれた幼少の時から、自分で排泄したおしっこやうんこの後には、きちんと自分の手でその上に砂を掛ける。

クソ垂れてそのまんまであったり、人の様子を伺いながら体制に擦り寄ることもしない。

「孤」を生き抜くネコという生き物の偉大さと自由さ。











庭にひょっこり顔を出したコチャコを、老夫婦が必死に餌付けしながら、家に招きいれた時間を勘案すると、15歳半~16歳くらいか?と思う。
外に遊びに出る事は少なくなったが、ほとんど医者にかかったことのない健康体。

老夫婦はよく「コチャコが先に死ぬか・こちらが先に死ぬか」と笑って言う。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かたちんば徒然日記 : 健康神話に於ける欺瞞

2011-02-20 22:22:34 | 雑記帳
夜,必死に走る人,異常な速度,体勢で歩く人とすれ違う。
寄り道・迷い道も時に愉し、と写真を撮り街をあてども無く放浪する自分には「あんな苦行をしていたら風景の瞬間の輝きも味わえんだろうに」と気の毒に思う。
ジムではラットの如く室内のベルトコンベア上を歩く人。
昔「紅茶茸」がブームになったが,絶え間無い「あれが健康に良い,これは健康に悪い」。
ジョギング提唱者自身が,その最中に心臓発作で死んだように「予測の域」を出ないのに迷信に躍らされ続ける一部の人々。

「今」の直後に死ぬかもしれないのに。

そんな人の隣で,コーヒーとタバコで一服し,音楽を聴き・本を読み・浮遊するCUEと漂い,街を撮りつつ歩く。
今夜は,DIP IN THE POOL『オーロリー』を聴いている。



コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする