こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年5月26日 土曜日 「1988年5月のメモ帳より」~Adam F 「The tree knows everything」'97

2012-05-26 08:50:23 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


6時半起床。
朝日がまぶしい。

深い緑茶を入れる。

過去のメモ帳を入れた重いダンボールを発見。
1冊を取り上げ、しげしげとめくっていた。


手近に近いところにあるCDをまさぐる。
昨年JANISの野外の風にさらされた200円・300円の山から、数枚視聴の上買ったCDから、
アダムFの「カラーズ」というのを聴く。


ところどころに出てくるアンビエントな部分が好きなのだが、ほとんどは定型パターンの「ドラムンベース」。
この中に、トレイシー・ソーンがヴォーカルを取っている曲があったので掲載する。

■Adam F 「The tree knows everything」 (with tracy thorn) '97■


***



<1988年5月11日の日記よりのメモ>

今の自分は、つくえに向かえば、怖くなり・顔がバリバリいうものの、
少しは、学問とやらをやるが、飲み込まれそうだ。(飲み込まれていたのだ・今までが)

その分を補うのが、人とのコミュニケーションであり、
それによって、たんなる文字(もじ)は客観性を帯び、ただ文字(もじ)にひたることを防ぐ。
現実を認識できる。

だが、この数年おろそかにしていたせいで、文字(もじ)そのものに、自分を見い出し、
話す方の自分を軽視していた。
GAPが産まれる。

外国語は、両方をつなぐには、良い材料。
だが、それとて、双方が足並みをそろえるのは、ある程度までで、
そこから先は、別で考えねばならない。

しゃべりコトバやコミュニケーションが、文字(もじ)に打ち勝てず、
文字(もじ)の方が、上に立って難解に事をしてしまう。

文字(もじ)を扱う人があらわれ、しゃべりを職とする人が出てくる。
両方をうまく、とは、実に難解である。


帰り道に、ビンゴやマージャンで数千円「スル」。
一度、一発デカいのを、当てたいものだ。

武蔵野線に乗ると、好いねえちゃんが居た。
バクチを打った後の肩切るヤクザのように、つい、じーっと舐めるように見ていた。

私は、自分が男として、不能などでは無いと分かった。

「性欲はチカラなり。
誰一人として、持たぬ者なし。
しかし、扱い方によっては、危険にも幸福にもなる。」

ヤクザな気分は、持続しない。
立ったペニスも、そのうちしなった。





コメント
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