天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

ほぼジャングルの新河岸川

2017-05-29 03:54:00 | 紀行

朝霞市立朝霞第五中学校。左側が新河岸川

きのう西国分寺駅で武蔵野線に乗り五つ先の北朝霞へ旅した。武蔵野線ははじめ北上し徐々に東へ方向を変え荒川を渡る。
荒川の2キロほど手前、西を新河岸川が流れている。
ここに自生する桑の実をいただこうと遠出したのである。
北朝霞駅からひたすら東へ25分ほど歩くと新河岸川に着く。今回は朝霞市立朝霞第五中学校のわきの道を通って川の土手を上った。

一面の草。その中に桑の木が点在する。生えている樹木の7割は桑の木である。桑の実採取人にとって願ってもない楽園にしてほぼジャングルなのだ。


青々とした感じがしない土手。ノギのある麦系の草と袋状の種を持ったアブラナ系の草が多い。麦はないが「麦秋」の気配が濃厚。]



草茫々日傘放つて消えし人


妻には行き先を告げずに出た。
この川の野性味を話したとき「ダニをつけて来ないで」と嫌悪された。それでこっそり出かけたが草叢に入る前に、登山用のスパッツをつけ首に手拭を巻いた。ダニ防止策である。

おととしの代掻きのころここへ来たとき身の丈を越すような草叢と桑の木を遠くから眺めた。ここへ踏み込む人はなかろうと思ったが、きのうは草をなぎ倒した跡がありうれしくなった。
桑の実を採ろういう同好の人は朝霞にもいるのだ。
1時間40分草叢を掻き分け、踏みつけ、桑の木をあれこれ訪ね実を採取したが、ぼくに近づく人はいなかった。視界の中に桑の実を摘む人もいなかった。
朝霞第五中から新宮戸橋まで距離はせいぜい300mほど、河川敷の幅は50mほどであるが桑の実を摘む時間はすごく長い。歩く距離も数字を越えて長い。
人を圧倒する草の量が時空をゆがめている。


桑の木の中から見た新河岸川





桑の木の中から見た草叢。桑の木の中は直径10mはあり涼しい。テントが張ることができる空間がある。


桑の実は完熟していてぼろぼろこぼれる。
人に食わせるために彼らは実をつけるのでもあるまいに、なぜかくもたくさん実をつけるのか。
精子もムダ使いする。
生涯につくる子供の数はどんなに頑張ったって10人。
それなのに男は精子を昼夜つくっては放出する。無益だ。
女の持つ卵子は生まれたときから総数が決まっていて合理的なのだが時期を過ぎると受胎しなくなる。
いま桑の実は最盛期。時期を過ぎると赤や白の桑の実も黒くならずに地に落ちる。これは虚しい。熟して落ちるより虚しい。
ぼろぼろ落ちる桑の実を摘んでいると生のはかなさを感じる。




どんより濁った新河岸川。対岸の木もほとんど桑の木。来年は対岸へ行ってみるか。

妻はいいかげんである。
帰宅した妻は卓上の完熟した桑の実をみると「おいしそう」とってむしゃむしゃ食う。このとき「ダニを持ちこまないで!」と言ったときの言葉の棘はまるでない。気分だけで生きている。
コメント
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