天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

世界遺産ノーベル賞と騒ぎ過ぎる

2017-05-07 08:31:58 | 世相


福岡県の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」について、ユネスコの諮問機関(イコモス)は「世界遺産にふさわしい」と勧告した。一方、八つの構成資産のうち、宗像大社中津宮など四つの構成資産については「除外すべき」と勧告し、名称も「『神宿る島』沖ノ島」と変更するよう勧告した。
地元は申請した全部の登録を目指し、「逆転登録」を意図しているという。

地元や文化庁にとって、<めでたさも中くらいなりおらが春>の通告のようであるが、ぼくは中くらいでいいのであり、野球ではないのだから「逆転登録」など滑稽に思えてならない。
そもそも権威のある機関や組織に登録されることであるものの価値やあることの真価を上げようとすることに意識が行きすぎてざらざらしていないか。

ノーベル賞しかり、芥川賞・直木賞しかり、ミシュランの星の数しかり……
たしかになんらかの権威が認定することで世の中の人は安心し納得する心理はあるのだろうが、ぼくはイコモスが世界遺産と認定しなくても宗像大社やその周辺にはひかれる。
出光佐三氏の人間形成の骨子となった風土でもあるという要素も加わって宗像の神社や森はすばらしいと感じている。
城山(じょうやま)から北に続く低い山脈も照葉樹林に富んでいつ歩いても情趣がある。
それでいいのではないか。

俳句などやっていると人の認定する価値と違うところで森羅万象を見る癖がつく。
世界の深奥に分け入って自分が感じる情趣こそが意味である。
芥川賞・直木賞受賞作品より受賞しなかった作品をより評価することも何度もある。
俳句にしてもある大会の入選作を読むが選外作品を見てぼくならこれを入選に引き上げると感じることもままある。
自分が世の中と関わることの意味がそこにあるのではなかろうか。
人はもっと自分が主人公になってこの世を生きて楽しむべきではなかろうか。

世の中の権威とか大勢とかいったことがそう重要なのだろうか。
コメント
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