天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

自衛隊の展示演習を見る

2016-08-30 04:55:36 | 世相


8月28日、日曜日、つれづれにテレビ番組表を見ていてチャンネルNECOの次の番組に注目した。

2:00 ウェポン・フロントライン 航空自衛隊
3:30 ウェポン・フロントライン 海上自衛隊
5:30 ウェポン・フロントライン 陸上自衛隊


はじめは『戦国自衛隊』のような劇映画かと思った。現代と戦国時代が交錯するファンタジーは好きであった。
その種の劇映画かと思ってテレビをつけるとドキュメンタリーであった。

劇映画とは違う迫力にひきこまれた。
テロップが出るとともにていねいな解説がされるがドッグファイト演習で何が要点であったかわからなかった。
また、海上自衛隊編でイージス艦に必ず護衛艦が付き添うことも知らなかった。護衛艦の対潜水艦対策のノウハウの複雑さ、それを鍛錬する方々の集中力などの凄さに敬服する心境であった。
陸上自衛隊の10式戦車の高性能に驚くとともに橋を短時間に作る工作機に目を見張った。

市中を走るクルマの銘柄にほとんど興味のないぼくは軍事にかかわる飛行機、船、戦車などのことをもっと知らなかった。
軍事の基礎を知らないで日本の平和も安全保障も語れない気がした。
インタビューに答える自衛官の方々の毅然とした対応に好感を持った。
自衛隊広報部が中心となって作った番組であろう。
F-4ファントム機はそうとう古く近代戦には後れを取るようなニュアンスがあり新機種導入を図る意思を強く感じた。
そういった自衛隊の意図はあるのだが兵器は新しくないと自分たちが死ぬというのはわかる。

自衛隊の諸君はいざ戦闘となったら逃げだす人がそうとう出るのではと思っていたがここに出る自衛官の方々の発言を聴いていると身を粉にして任務に当る気がして心強い。
そういう人を選抜して答え方をマニュアル化していたにしても日本人特有の論理観とまじめさが出ていた。

しかし海上自衛隊員にかなりの数の女性がいて乗船して活躍しているのを見て奇異な感じがした。男女平等といっても国の戦闘行動に女性が加わるのは妙な感じがしてならぬ。女子プロレスラーが我を忘れてことに邁進するように彼女たちも戦闘に参入していくのだろうか。

軍事演習を日々するのが仕事というたいへんさ。その訓練はほんとうは実現しないほうがいいのである。
これはオリンピックという晴れの場で力を出し切るための訓練とはまったく異なる。
オリンピックは必ずその時が来るが、自衛隊員にその時は来てほしくないものである。来てほしくない事態のために過酷な訓練に明け暮れ戦闘に習熟する人生とはなんだろう。

軍事の展示演習は考える糸口をたくさん与えてくれた。
水と平和はどこかからやってくる、ただである、というのが一般的な日本人の考えである。北朝鮮のミサイルがいつ来るかわからぬ情勢になってもそれは誰かが、自衛隊かアメリカ軍が打ち落としてくれるだろう、と漠然と考えている。実際に日本の陸に着弾することをほとんどの人は想像していないだろう。
しかし撃たれたミサイルを迎撃するのはそうとうむつかしいらしい。
迎撃のためにどんな武器がありどこまで守備できるかを具体的に知らなければ安全保障は語れないだろう。
抽象的平和論では国が危ないと思う。
政権を担っていない国会議員は軍事を知らずに平和平和と唱えている風潮がある。

平和平和と唱えている隙間に戦争が忍びこむ、といったのが小室直樹であった。
軍事の基礎を教えてくれるこういった情報はそれがどこの筋のものであろうと知るべきだろう。
市民と自衛隊員が近づくことが国の安全保障にとってきわめて重要であると思う。
大手テレビ局は馬鹿笑い番組を減らしてもこの種の軍事情報を伝えるべきではないか。抽象的平和論は戦争をもたらす。
とにかく物事は具体的に押えるべきだろう。
コメント
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