天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

俳句はいつもポケモン捜し

2016-08-28 16:20:45 | 俳句
きのうの讀賣新聞の「時の余白に」というコラムに編集委員の芥川喜好氏がポケモンのことから書きはじめている。

街のあちこちにひそむという架空の生き物を求めて、膨大な数の人間が捕獲器を手に一斉に歩き回っています。
ひと月前、テレビのニュースに初めて映し出されたその光景は、驚くべきものでした。
現実の風景とゲームの画面を融合させた拡張現実(変な言葉です)という技術への、驚きと称賛があります。


ポケモンをニュースの画像で見てぼくはゲーム界が俳句を追いかけてきた、と直感しました。
現実の風景の中でポケモンを捕獲するという営為は、俳句のおける嘱目のエッセンスにかなりに通っています。
たとえば以下のような私鉄沿線の風景を見て俳句をつくろうとする場合、ぼくらは何を季語にするか考えます。



そう、この風景の中にポケモン(季語)を捕獲しようとします。
朝顔がはっきりありますからある人は「朝顔」をポケモンとしてつかまえるでしょう。それをポケモンにしたくない人は空の青さに注目して、「秋の空」「秋高し」というポケモンを探し出すかもしれません。
または、朝顔をかこむ「秋草」、そこに生きる「蟷螂」(かまきりのこと)を自分のポケモンとする人もいることでしょう。
爽やかさより暑さを感じる人は「残暑」「秋暑し」をキーワードとするでしょう。
ゲームと違うのは風景の中に現れるポケモンは一種類ではなくていろいろあることです。

風景はいろいろなポケモンを含んでいます。
ゲームではどうやって捜すのか知りませんが、作句では「いける!」とある季語に電流が走ります。この季語を核に風景を再生産するのが俳句の妙味といっていいでしょう。
体調や気力の状態により季語を中心とした世界は複数発見できることになります。
同じ場所へ複数の人が繰り出して俳句を書いておもしろいのはめいめいがまったく異なる世界を創り出して見せるからです。

讀賣新聞の芥川氏の記事はどうやらポケモンの流行を危ぶむという論旨のようです。
現実と虚構の区別がつかなくなった行動、前後の見境ない無神経な振る舞いへの、驚きと憤りがあります。ついては交通事故も起きました。
…………
人間はこれほど簡単に、やすやすと、何かに操られてしまうものか、これほど無防備に、疑いもせず、一斉にはまってしまうものか、という驚きです。その薄気味悪さです。


このあたりを読むと小生のように俳句をする輩にも通じるところが多々あり、ぼくらは薄気味悪い人種かもしれないとすこし反省します。
たとえば吟行で大勢の人があちこちに散って同じような小さな手帳に字を書いています。そんな光景は一般の人から見てそうとう違和感があるのではないでしょうか。
しかし交通事故を起こす確率は低いのでまあよしとしましょうか。

いずれにせよ芥川氏の「時の余白に」を読んで、俳人はゲーム業界より先んじて季語というポケモン捜しをしてきたのだなあと感じた次第です。
俳人はシーラカンスのように時代から取り残された存在かと思っていましたが意外に先頭を闊歩しているのかもしれません。
ゲームのポケモン好きの方は言葉のポケモンである季語を捜すこともしてみてはいかがでしょう。もっとこころゆさぶられる時間が出来するかもしれません。

さあこれから季語というポケモンを探しに行きませんか。
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俳句甲子園松山大会●いざ審査

2016-08-28 12:21:52 | 俳句
8月24日に書いたぼくのブログにおいて、高野ムツオ先生の名前を間違えてしまいました。教えてくださる方がいて冷や汗をかきました。
高野先生にはお詫びするとともに修正して掲載しなおす次第です。




選手入場

審査員決起集会
8月20日(土)、審査員全員8時に本部集合。
一般審査員48名と審査員長12名が合流して全60名の審査員の配属が発表される。
「長」と名のつく者が12名もいるのはこの方たちが12ブロックに1名ずつ散り各ブロック5名の審査員団をつくりその長を務めるという意味である。
1ブロック審査員長を含む5名の審査員の旗上げ判定により勝ち負けを決める。長とヒラの権限の差はない。



夏井いつき審査員長から審査の心得について具体的に説明がされる。
俳句の見方はいろいろあるのが当然である。おどおどしていてはいけない。自信を持って判定すること。自分の判定の根拠をはっきりわかりやすく語って納得を得ることが大事。
価値を点数化するという乱暴なことに対してきちんと話ができることが不可欠である、というような内容。
ことごとく納得した。地方大会でもいつきさんのいうようにやってきた。


次に小澤實審査委員長。
小澤さんは開口一番「この大会は俳句存続の命綱である」と老年化していく俳人のことに触れ、高校生と俳句交流をすることの意義を強調。「高校生は毎年進化しているのに審査員が進化していないのではないか」と転じた。
「この場で現実から自分を切り離して審査員になるんだという意識をはっきり持つことが大事。そのために今年から審査員決起集会という時間を設けた」。
こちらは意識を強調した観念論であったが、夏井さんの具体的を要素を補強する効果はあっただろう。

高野ムツオ先生を長と仰ぐ
選手入場、選手宣誓、あいさつなどの儀式が終って試合が開始したのが9時20分。
ぼくはLブロックを担当した。
聖マリア女学院高校(岐阜県代表)、就実高校(岡山県代表)、徳山高校A(山口県代表)のリーグ戦を午前中行なう。
アーケードの一番端で比較的風を感じた。背中に扇風機が回って中のブロックより過ごしやすいかもしれない。
審査委員長は高野ムツオさん。ぼくの隣である。あいさつすると「鷹を見て天地さんは知っています」とほほ笑まれる。
あらかじめ配られる対戦オーダー用紙。審査員はここにある出場全選手の全句を一気に読み、試合の始まる前に点数をつけてしまう。夏井さんがそうアドバイスしたことを地区大会からぼくもずっとやっている。
採点して3チームの力が拮抗していることを知り審査は紛糾するだろうと思った。

高野さんとの仕事は楽しかった。
俳句は大きくみてリアリズム派とファンタジー派がある、ぼくはリアリズムを重んじるタイプであることを講評のとき選手、観客のみなさんに伝えた。
高野さんはぼくの発言を補強して自分はファンタジー派であるが、どちらがいいとかいうことではないとさらにこの論を進めてくださった。
高野さんには盤石の信頼感を抱くとともに一緒に仕事できる充実感にひたった。

最低採点は6点か5点か
高野さんが初期の対戦で平然と6点をつけた。驚いた。地区大会で6点を一度つけたとき清水の舞台から飛び降りるような覚悟をしたものだ。
6点がはやばや出たことで自分の採点を見直す。
いやいや7点をつけた4句を6点に下げた。6点はよほどのことがなければつけられない点数と思っていたが松山の審査員長たちは平然と出している。これを知ったことがここへ来た最大の収穫であった。
朝食の際、小澤さんと一緒した。
点数のことを話題にすると「甘いよ」と言われた。「開成にも6点をつけたよ」と小澤さん。
また昼食の席で一緒した今井聖委員長が5点を出したことで座が熱狂した。
ぼくが「それはないでしょう。なぜ側近がいさめなかったのですか」というと当の今井さんが「5点という評価が(紙に書いて)あるんだから」とまったく悪びれなかった。
5点は教育的観点からつけられない点数であるというのが今井さん以外の審査員の考えであろう。

午後の審査は地獄
Lブロックは接戦で就実高校が勝ち上がった。
午後はKブロックを制した広島高校と就実高校のどちらを上に上げるかの審査をした。
午前9回、ここで6回旗を上げたのだが旗は3-2に割れることが多くきつかった。作品点がほぼ一緒ゆえ鑑賞点(ディベート)で決まる。
それも似たり寄ったりで高野さんが「広島の弁を聞くとこちらがいいかなと思うが就実の話を聞くとこちらかなあと揺れ動く」といったことにぼくも深く共感した。
就実が上へ行ったのだが、箸の倒れたほうでいいやというデカダンな気持にさえ陥る接戦であり、俳句を点数化することの残酷さを痛感したのである。

仕事が終わったあと誰とも合わずホテルで寝っころがった。疲労困憊。


Jブロックの対戦風景






松山市民は俳句好き

コメント (1)
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