波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「仕えるもの」

2019-04-29 10:29:34 | Weblog
私は学生のころ親を離れて厳しい10歳上の厳しい兄と暮らしていた。兄は敗戦まで海軍にいて敗戦後父の仕事をついでいたが、その手伝いとして弟二人を預かり共同生活をしていたのである。軍隊での生活習慣が抜けないのか、兄弟でありながら家長としての権限と指導でわがままを許さず、すべての行動は許可制であり自由はなかった。弟はその暮らしに耐えられず岡山の親元は逃げ帰り暫くは蔵に閉じこもり引きこもりないっていた。
私は何とか我慢して、兄の言うことを聞きながら我慢していた。仕事以外には教会だけが許された時間であり、それ以外は自分の時間としてはなかった。そんな生活から解放されたのは東京へ店ができてその責任者で結婚と同時に独立ができてからであった。それでも兄の管理は続き、毎朝、早朝に電話が鳴り、その日の予定の指導があったのを覚えている。そして数年後私は父の会社の東京営業所を任されて数名の部下とともに独立することになった。(兄の管理からこの時離れることができた。)人間は勝手なもので厳しい躾から解放されるとその反動が来るものらしい。無意識にその言動に出てしまっていたようである。ある時社内会議の発言である担当者を厳しい言葉で批判し、注意をしたことがあった(らしい。当人は意識がなかり
った)後日その注意した当人から、その時のことがトラウマになって寝言にまでその影響があったと聞かされて、猛省をした記憶がある。
人はその置かれた立場で人との交わりや接し方に大きな違いが出てくるものなのだろう。しかしその意識は人によっても違うがその影響は大な
り小なり影響されて出るものである。兄がそうであったように私もまたいつの間にか自分の身分であったり権限であったりの意識の中で人に強く言うことにその影響を考えをなくしてしまう時が出てきたようだ。
自分は何でもできるし、人の言うことは聞い。自分の思うとおりにすることに抵抗を感じない。そこに規則や相手の考えがあろうとも無視する。
そんな習慣が抜けきらなくなるのだ。
先日ニュースで高齢者の事故が伝えられたが、その記事を読みながら自らを戒める機会となった。注意していてもつい言動はなかなか改まらないものである。謙虚にして自らを省みることを忘れないようにしたい」

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