波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「隣人」

2020-08-31 11:40:12 | Weblog
コロナがなかなか収まらない。これって端的に言えば治療法と治療薬が完全に把握できていないことを示しているのだろうか。治療薬があり、その手当てが確実に出来れば徐々にでもやるであろうし、少なくても減っていく筈である。しかし連日の新聞に掲載される感染者は日本でも一万人を超えたままである。日によっては増えることさえある。これではオリンピックをはじめ生活形態自体が改善されず、様々な悪影響が予測され心配である。
ここでは世界が一緒になって切り札的決定的治療法の発表を期待したいものである。そんなことを願いながら日々「自助」「自立」をモットーに頑張っているのだが、週に一度の「地域新聞」の配布作業は私にとって大きな影響がある。ただポストインするだけの作業だが、その作業中に小さな出会いがある。朝庭の手入れをしている人ペットの運動をさせている人、お掃除をしている人など様々だが、そんな人に声をかけて挨拶ができる事だ。
そしてその時の何気ない会話が思いがけない触れ合いを生むのである。「きれいなお花ですね。」「かわいいワンちゃんですね」「新聞読んでいますか」等一言の会話が見知らぬ人をつなぐのである。「私も何か仕事をしたい」「どこへ行けばよいかしら」そんな会話も出てくる。今まで全く見知らぬ関係だったのが、いつの間にかお互いに助け合いたいという気持ちが生まれてくる。そんな自然体の在り方が嬉しい。
今はコロナもあって人間関係に疎外感だけが強くなり、そうでなくても冷めた関係になりやすい時にどうしたら温かい人間関係をはぐくむことが出来るかと望むときにわずかなチャンスを生かすことが出来ることをうれしく思っている。
「隣人」が生まれるののは特別なことではない。ちいさな、そして目に見えない糸から生まれるものだと思うからだ。

「コロナ禍と健康管理」

2020-08-24 11:15:25 | Weblog
いつまでもやまないコロナの犠牲者の数を見るたびに自らの健康管理のことが気になる。私が体のことを気にし始めたのは定年を迎えたころであった。それまで全然気にしていなかった血圧が急に変化し会社の医者に行った時「これからずっとこの血圧の薬を続けることになります」と言われたことだった。「まさか、一時的に薬を飲めばすぐ収まるのだろう」と思っていたが、あれから20年以上飲み続け今日に至っている。その後年を取るほどに薬の数は増えて現在は毎日飲む薬が5種類になっている。その薬を二つの病院で処方してもらうために毎月2か所の病院へ行くのが仕事になっている。
一か所の病院では薬の処方だけは出さないで、必ず血液検査を伴る。従って血液検査のたびに尿検査、場合によっては便検査と毎回検査を進められる。悪い事ではないが年齢的にも体調的にもそんなに変化はなく、よほどの救急状態でなければ、少々の変化は影響もないかと思われるが、病院もつごうがあるのだろうとおとなしく聞いている。然し大事なのは薬もさることながら日常の生活であろうか。一人暮らしでもあるので、子供たちに迷惑をかけ内容と日々健康管理はきにしている。血圧、体温、そして食事、睡眠、など一つ一つが気にかかるところだ。
体重もコロナ以後少し太り気味で食べるのを減らしているつもりだが、デスクかTVの前に座る時間が多くなり、運動不足で少し太り気味になっているのが気がかりだ。おかげでこの真夏でも睡眠だけは今のところとれているのでありがたい。とにかく明日の保証がないだけに油断ができない。いつ変化してもおかしくないのが高齢者の泣き所だ。できれば早く涼しくなってくれればよいのだがと、願いながら日々を過ごしている。

「自粛生活の日々」

2020-08-17 09:39:06 | Weblog
2020年を迎える時、大きな期待と希望とがみなぎっていた。オリンピックの年で世界の人を迎えて多くの人を招き日本の良さをアピールする時として今年を迎えたはずであった。しかし現実は念頭から始まったコロナ災禍に襲われその影響は様々な対応にもかかわらず沈静化せず、現在もその猛威を振るっている。一体この病気はいつまで続くのであろうか。そしてその影響は私たちの生活をすっかり変えてしまい、まるで見え居ない暗闇の中を歩くような不安を感じている。しかしいつまでも不安と恐れの中にいるわけにはいかない。そろそろ新しい生活環境を考え、新しい生き方を考えなければならないだろう。そこで考え方を変えなければならない。最近はそれぞれにオンラインシステムとか、新しい連帯期間を考えている人も増えてきたが、簡単にできる事から考えてみよう。まず基本的に自らを演出家となることから始める。つまり演出家であり、プレイヤーである。「今日一日をどのように演出し、ストーリーを仕上げるか、そしてどのようにこの日のドラマを盛り上げるか、そしてどれだけ感動を呼ぶことが出来るか、」日々変わる家の中の環境と普段使用されていないものも生かしてどう効果を上げるかを考えたい。普段しないこともしてみよう。普段使わないものを使ってみよう、そして基本的に一日を楽しむことを考えよう。年齢は関係ない。高齢者はそれなりに、できる事をすればよい。無理をすることはない。若い人は蜜と接触を考慮して行動しよう。そしてこの貴重な時間を大切に生かしたい。

「オンラインシステム」

2020-08-11 15:47:16 | Weblog
コロナ災禍が日本に上陸して半年を過ぎた。初めは間もなく下火になってワクチンも出来て終わるだろうと高をくくっていたが、日々患者も増え続き
全く油断のできない日が続いている。特に高齢者である我々にはその影響が大きいとあって、どこへ出るにも、するにも神経を使わざるを得ない。
しかし」これといった処方箋があるわけではないので、ただ家にこもっている。嘗ての戦争時代の空襲時を思い起こさせるほどで、息苦しい家の中にこもっている環境は長い時間の中で様々な影響を派生させる気がしている。
そんな中で「人材センター」から取材の依頼が来た。「オンラインシステムせみなーについて」ということでさっそく出かけてきた。場所は市内のとある仮事務所の一室であったが、そこ係のスタジオになっていて、関係者が各自パソコンを開いて待機している。中央に特別なライトとマイクを容易さ荒れて、司会者の人がゲストと並んで座っている。どうやらこの人たちが申込者のスピーカーの人たちと直接棚がっているようだ。今回は最初とあって25名ほどの数であったが、この人たちと子のスタジオが連携しているようだ。つまり自宅と子のスタジオがつながって、直接顔を見ながら話が出来るようになっている。
従ってこのようにオンラインがつながるにはその為の設備と準備が必要なになってくる。費用もそれなりに架るようだ。そして場所は問わずに同時会話と通信ができる設備が始まるのだ。そして同時並行的に情報が交わされることになる。今では学校も通学しないで行っているところも多くなっているようだ。
コロナが新しい知恵を生み出したともいえるが、同時に新しい問題も起きてくるような気もする。
出来ればマスクを外して蜜を心配しないで暮らせる日が来ることを願いたいものだ。

「大相撲余聞」

2020-08-03 17:17:35 | Weblog
この年齢になると身体が動かなくなる。従って現在のようにコロナ自粛生活で家の中で静かに生活しろと言われると家でゴロゴロしているのが、正当化されるようで気が楽である。従って大相撲があった15日間は余裕でTV桟敷を堪能したわけである。そこで私は思いがけない感動を受けることになった。
それは優勝力士になった「照ノ富士関」がまだ怪我をして休場中に偶然会って言葉を交わしたことがあることを思い出したからである。関取の所属する伊勢ケ浜」部屋の親方とは偶然交わりがあり、クリスマスにはゲストとしてご一緒にお祝いをしたことが何回かあり、趣味のマジックを何回かご披露してもらい、私は指導まで受けたことがあったからです。その関取が序二段まで下がり、治療をして幕内に上がり、優勝を遂げたのです。今朝の新聞で親方が優勝旗を弟子の照ノ富士に渡している写真を見てどんな思いであったろうかと感動を覚えるのを禁じえませんでした。「辞めるのはいつでもできる。しかし身体を治してからだ」の言葉が口癖で関取は思いとどまりけいこに励んだとエピソードがありましたが、嘗て日馬富士、安美錦などの名力士を育てた親方がこの怪我をしてくじけそうな力士を5年間かけて温かく導き優勝という錦を勝ち得たことはすばらしいことと心から拍手とエールを贈りたいと思います。