波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに   「新しい芽」

2018-03-30 11:10:23 | Weblog
小さな猫の目のような畑に数年前まで四季折々の花を植え、野菜を作り楽しんでいた。しかしここ2年程前に体調を崩し倒れてから、全く手をかけることはなくなり、放置されたままである。しかし不思議なもので春になると残り火のように水仙やチューリップの花が咲き始める。どこかに生き残っている球根が春を覚えているのだろう。飼い主のいない動物のようにそれでも生きている証を見せてくれるのが
痛々しく、又いじましく思える。私の人生も振り返ればそんなところがあるのかもしれない。
事業閉鎖、つまり倒産という経験をして間もなく一年を過ぎようとしている。当初はなんとか、再建しようともがき、焦り、悩んだがどうにもならないことが分かり、弁護士を通じて法的な処理をして無事に終わったが、それからの生活は一変した。日々の悩みは解消したが将来を見据えた時に新しい道があるのか、「生きていくことができるのか。?」その自信はなかった。
しかしそんな中で苦しみながら、模索をしてきた。そして新しい債券への「種」を与えられた。それは種である。種はその土壌によって運命が変わる。砂漠のようなところか、井原の期のようなところか、あるいは突然の害虫によって滅びるか、その運命はわからない。
しかし良い土壌で正しい管理の下であれば種は新しい芽を出し、少しづつ成長し、やがては立派な軸となり木となり、実をつけることになることもある。その種を与えられてその種を大事にはぐくんでいるところだ。
春が来て温かい気温を与えれて水と栄養が与えられることで種はやがて眼を出すことになる。その芽はよき土壌で成長することになる。
今年も春が来て桜も満開である。かつては菜種からチューリップと花見物で過ごしてきたが、車のない生活ではそれもできなくなった。
しかし、自然はいつものように私たちに春を告げている。そして新しい芽が成長するさまを見せてくれている。
私もまたもう一度新しい芽を育てる思いで人生を見直したい。
自分が無力であることは自覚している。しかし自分はまだこのまま枯れることもないとも信じている。
芽がある限り将来もあるし、成長もあると信じて生きていきたい。

足跡     「一汁一菜」

2018-03-27 17:26:31 | Weblog
高齢者になると食生活もすっかり変わる。私の家の窓から見える隣は小さな畑になっている。この畑のおかげで私の部屋は一年中風通しもよく日当たりもよい。その意味ではとても助かっていて、もしこれが建物に囲まれていたら、死活環境も毎日の気分も大きく変わっていたと思う。その畑は隣人の管理の下で一年中野菜の収穫があり、老夫婦の食生活を賄っているようだ。
若い時代とは違って高齢になればこの環境が一番理想的であろう。
若い時から食事に関する時間は一切取ったことのない私にとって食事の一切を自分で賄ることになった時はほんとうにとまどったものであった。買い物も作ることも人生で自分でしたことのない人間がすべてを一人ですることの不安は大きかった。
しかし時代とともに食生活も大きく変わってきた。何より便利なのは自分で調理をしないで、食事ができるということである。
殆どのものが手軽に入手できるし、わがままを言わなければ何もしないで、手をかけないで食事ができるのでありがたい。
しかし次第に慣れてくると、次第に欲が出てきてあれこれとほしいものが出てくる。そんな時は「取り寄せ」に頼るしかないのだが、
満足できるものを入手できないし新鮮な出来立てというわけにはいかない。そんな意味ではグルメの味のうるさい人には不満が残り、
ストレスもたまることかもしれない。生来味音痴で何でも好き嫌いがなかったことと、味もうるさく感じたことがない品音痴であったことが幸いしている。
本来ならば自分で野菜を作り、新鮮な野菜を中心に栄養のバランスを考えながら毎日のカロリーを考えるのが理想であるが、そんな贅沢はいえない。ありがたいことに高齢になってカロリーの必要も最低で済まされることで手軽であるし、こだわりもなければ
必要最低限のカロリーの補給で済ませることができる。あとはたまに外食で好きなものを食べることで、食事の満足感を味わうことで十分である。「一汁一菜」はかつての武士の習わしともいわれるが、意外とこれがあっていて実行している。
時折外食での食事の価値とありがたさが身に染みることで感謝である。

思いつくままに  「囲碁雑感」

2018-03-23 10:30:34 | Weblog
ここで改めて「囲碁」の薀蓄を語るつもりはない。私と囲碁の関係は長く温められていた課題であった。それは社会人として感謝人として
世間に出たころ、先輩から「君、これから大人の人とお付き合いをするなら囲碁の勉強は必修科目だよ」と言われたことから始まる。今から40年も前のことである。そのころ40歳を過ぎていたが、漠然と「そうだな」と感じてさほどに必要性がなかった。それよりも当時盛んになり始めていた。「ゴルフ」に夢中でクラブの左ききようを探していたり、夜は毎晩のように麻雀に夢中になっていたので、時間的にもなかったのもあった。しかし、不図落ち着いて冷静になった時には、囲碁が頭に浮かび「囲碁」もおぼえたいなあと忘れることはなかったが、機会も時間もなくいつの間にか年を取り、定年を迎え、老年を過ぎていた。そう80歳を過ぎたころ、やっと時間と心が穏やかになり、突然のように囲碁を始めたのである。しかし時すでに遅しで何をどうしたらよいか、どう学べばよいかもわからず、とりあえず碁石と解説書を買い、本を読みながら石を並べ始めたのである。
しかしこんなことでは興味も上達もするわけがない。そんな時に息子がパソコンに囲碁ゲームを挿入してくれたのだ。「退屈だろうからこれで遊んだら」ということだった。それは石を並べ、本を読むより手軽に実践に入ることができる。そして結果はすぐ消去しながらやり直しがきく。そんなことでこのゲームで毎日自分なりに汚損でいるうちに、「門前の小僧習わぬ経を読む」の例えの通り少しづつ、何となくわかるようになってきた。そして3年が過ぎた。今ではこの囲碁実習の時間が日課になり、毎日午前と午後一局づつ打っている。
最初はランクも当然ながら「最弱」からだが、この頃勝つことが続くようになり、ランクを上げて「弱い」にしている。
さすがに毎回勝つことができなくなったが、教務は一段と深くなった。そしてTVの囲碁番組を欠かさず見るようになった。
週4日の放送は待ちかねて楽しむことができる。そして棋士と一緒に自分なら「ここに打つ」と考える。棋士がどんな構想をもって
地を作ろうとしているか、それを一緒に考えるのも興味深い。
「人生いろいろ」はこんなところにも存在する。

足跡   「人生いろいろ」

2018-03-20 10:05:48 | Weblog
ある日、何気なくTVを見ていたら歌手の島倉千代子の生涯を回想する番組が流れていた。年齢も亡くなった妻と同じであったり、歌もわかりやすく歌声も「泣き節」といわれる声の震えも特色があり、聞いていて心が休まって楽しかった。
その番組の最後にこんなシーンが出てきて驚かされた。その波乱万丈な人生の最後に亡くなる三日前に(おそらく体力的には無理であったと思われるが、)自宅にスタジオを持ち込み、歌をレコーディングしたのである。(カラタチの小径)その気力に驚いて聞いてみると、確かに声に力はなくか細く、いつものビブラートも心なしか弱く聞き取りにくいものであった。しかし人生の最後の最後に歌を残すという歌手魂をそこにみて驚きと感動に誘われたのである。しかし人間は世の中の名声や美貌とは別に必ず不幸がつくものらしい。
彼女もその人生の中で十数億の借金を一時は負い苦しんだこともあったとされていたが、立場を超えて他人とある共感が持てるとすればそれは幸福ではなくて不幸の立場を理解する場合であろうと思う。つまり人間の幸福の姿は種々雑多だが、不幸な形は意外と似ていることが多いいことからかもしれない。
言い換えれば人生には病苦や貧困があるから私たちも他人と部分的に苦痛を共有することができているのかもしれない。(しかし日本の国情からすれば外国の人たちに比べれば、その程度もまだまだ良いほうだと思われるが、)そうでなければ貧困でもなく病弱でもない人は苦しみを知らないままついに「心からの同情をもつ」という人間の高貴な認識を知らないままに人生を終えることになるのではなかろうか。
そんなことを思いながら改めて「人生いろいろ」の歌を聴いていると、何となく最初に軽い感じで聞いていた時と違って、「深い」思いで聞きほれていた自分がいたのである

思いつくままに   「大相撲雑感」

2018-03-16 10:15:08 | Weblog
毎日を持て余し気味に過ごしている私には「大相撲」のTV桟敷は欠かせない楽しみである。しかしこの春場所は過去にない雰囲気が漂っている気がした。初場所ではさほどに感じていなかったが、今場所は今までの雰囲気と違った熱気を感じている。
本場所の住もうとは関係ないところでの協会に関する問題も抱えている中ではあるが、それは関係ない。場所の入りも今まで以上に連日の満員御礼の垂れ幕が下りて、観客は一部の富裕者の升席と女性、外人を含めた人たちでにぎわっている。
その中で行われている場所であるが、その原因のきっかけは「栃ノしん」の平幕優勝にあるのかもしれない。横綱のけがによる欠場に相まって毎場所役力士に優勝がほぼ決まる慣例が変わり、(モチベーションアップ)に力士間で盛り上がってきつつあるようなのだ。
今までの壁がなくなりチャンスが出てきたという思いが強くなったのかもしれない。何かしらのびのびと力いっぱい相撲を取っている感じてある。しかしそんなに相撲は甘くない。だからそのまま下位の力士が勝つということにはならないが、のびのび相撲を取っているような
かんじである。しかしみているとやはり相撲は「自分の型」をもち、その形に持っていく力があり、戦えないと勝ちにつながらない。
そんな意味では気持ちだけでは勝てないことはわかっているが、そんな各力士がどんな努力をして上に上がっていくのかを見るのは、
今まで以上に興味と関心がある。それにはまず怪我をしないことであろう。横綱がけがで苦しんでいる状況を見れば。それは歴然としているし、そのためには正しいけいこがなされているかであろうか。
今場所もそんな中で行われているのだが。「五日目」今場所の優勝も全く予想のつかない様子である。第二の栃ノ心が出ないとも限らない戦国時代の大相撲春場所である。
言い換えれば今年から20代の若者への若返りの時代に入ったということかもしれない気がしている。
出来得ることなら全員一致でこの大相撲を支え、盛り上げられる体制が伝えられる日が来ることを期待したいものである。

    足跡  「思い出はいつまでも」   

2018-03-13 10:18:26 | Weblog
3月11日が東日本大震災の記念日として迎えられた。もう7年も過ぎているのだが、まだその傷はいえていない。様々な形でその影響は残りその傷を抱えて苦しんでいる人が多くいることを聞かされて胸が痛む。私も福島に約10年ほど住んでいたので、あの東北の雰囲気は何となくわかる気がする。まして津波のために身近な人を失った経験を持てば「思い出すことがつらい」という面と「思い出すことがせめてもの慰めになる」という二つの気持ちが残されていることだろう。まして亡くなった人の遺留品を集めて思い出のよすがにしている人にとっては、やさしい気遣いを必要とされることだろう。そしてその思い出がもたらす苦しみが時間とともに和らいでいくことを願わずにはいられないのだ。言い換えれば思い出を育てつつ生きていくことになると思う。
そんなことを考えながら私も身近になくなった人のことを思い出していた。私の周りには家族といわれる人は子供、孫を除いて一人もいなくなった。父、母、兄、弟、妻と親しい友人も含めて今幼い時からのことを語り合える人はいないのだ。私もまた「思い出の人」を育てつつ生きる一人なのである。
最近夢で時々父との出会いがある。やはり私にとって忘れられない強い影響を残した人は「父」だったかもしれない。父は一言でいえば「寡黙」の人だったと思う。と言って話ができないというのでもない。必要とあらばきちんとその目的について語れる人であったが、ふだあんは余計なことを話すことはなかったし、まして人を傷つけるようなことは一言も聞いた覚えはない。
しかしその存在感は大きく、強く私にとっては年々強く、大きな存在となっている。なぜなのかわからない。常に私の頭のどこかに存在していているような気がしている。
30年前11月に亡くなったその年の1月にもらった葉書を肩身の品として毎日眺めているが、そこには私の妻(療養中)への見舞いと息子(孫)の成人式への祝いとが書かれていて、最後に彼の信仰の書から聖句の一説が書かれている。
思い出は悲しみをよみがえらせるものでもある。しかし同時にその悲しみを和らげる。思い出を育てながら生き続けることが大事であろうと考えている。

思いつくままに   「人はそれぞれに生きる」

2018-03-09 10:39:11 | Weblog
「あの親子はそっくりだね」とか、「子供は親に似るものだね」と昔からきかされ、、聞いてきたこともあって私もこの年になるまでずっとそんな先入観にとらわれて、他人をそんな感覚で見た来ていた。そして世間の感覚も人間の「DNA」を基にしてまるで同じような人間が存在するかのように扱うような傾向がある。日本人は島国で単一民族であることも含めて歴史的に成り立ってきていることことからも
外国人との交流が比較的に少ないことも影響しているかもしれない。
したがってどの世界でも二世、三世の世継ぎがあたりまであり、親の世代を子が継いでいく傾向がある。そして良くも悪くも世間もまたそのような目でその人を評価してしまう傾向がある。「あの子はあの人の子だから」という目で見て評価するし子供もまたそんな気になって意識、無意識にそんな気になって育っていく。確かに医学的に親と子供関係が無関係ではないし、似たような素質を持った存在であることは無視できないことである。しかしそれはあくまでも素材、素質であって同じではない。(別人格であるはず)跡は育っていく過程でのそれぞれの努力と鍛錬で別人格が形成されていくはずである。
人間というものは実に精巧に作られていて一人一人違うのである。この個性的な人間の存在をどれほど貴重なものと思うべきかを子供たちを育てながらはっきり認識させることも親としての務めであろう。なぜなら一人一人その時代の環境や状況の中で成長していく過程で考え方も目的も新しいものが生まれてくるものだからである。
私も自分の子供(娘、息子)を育てたが自分と似ていると頃もあり、(良くも悪くも)そんな目で、感覚で接してきたが実はそうではなくて彼らは彼らなりの人格を形成していたのだ。あくまでも素材的にはお文の血を引いているが、別人格であり、別人であって同じではない。もちろんその人の幸不幸も実は半分以上、自分の性格から出てきていることが多いように思われる。
親は子の責任を自己責任として考えることもあるが、それも基本的には限度があるだろうし、当人のこととして干渉してはいけないのかもしれない。
そしてこどもが自分に持っていない言動や人間関係を築いていく姿を静かに見守りつつ、楽しむことができればよいのではないかと思っている。

足跡   「読書離れを憂う」

2018-03-06 09:48:39 | Weblog
読書週間は秋だが、最近本を読むことの時間や本の話が少ないのがきになっていた。そんな時、新聞で大学生の一日の読書時間が「ゼロ」と答えた学生が5割を超えたとあった。しかしそれで勉強をしていないというのではない。つまり読書以外の方法、つまりスマホやパソコン情報収集ができるので、手軽にその手段で必要な学習をしているのだという。
高校生も「不読率」が半分くらいだといわれている。先日寿命の長くなったあことで人生計画が変わりつつあると書いたが、ここにも新しい変化が生じていることが分かった。と言って世の中に何かが起きたのではない。
ただ自分の人生を顧みて日本も世界並みになったといえばよいのか、新しい日本になったといえばよいのか、昭和も遠くなったといえばよいのか、隔世の感をかんっじ得ない。
思えば私自身もどれだけ読書によって、様々な影響を受けてきたことだろう。まして本を離れた生活は考えられなかった。年金生活をするようになって時間ができて運転ができている間は市の図書館へも通ったものである。しかし最近の図書館も来ている人は、見るから任意もすることなく時間つぶしを主に来ている人冷暖房が聞いていて居心地が良いので「昼寝」場所として利用している人が多く、まじめに目的をもって真剣に本に接している人が少なかったことを思うと大人もまた読書離れをしているのかもしれない。
事実年齢とともに視力が衰え、持久力がなくなるとわずかな時間読むと目が疲れて続かないのを避けることはできない。
しかし「読書」知識力の収集だけではない。文字から与えられる作者の人柄からくる人生観、信念、主張など得られることはとても多いのだ。その内容もさることながら文字から伝わってくる、魂の息遣いを得るような気がしていた。
中にはその本を読むことで自分人の生き方を反省し、奮起して生き方を変え自分の甘さを改めて「燃え尽きよう」と努力して立派な成績を上げた人もいると聞いている。
読書の効用は時代を超えて変わることはない。そんな読書から若者が離れている姿を見ることはとても残念な気もするが、果たして?

思いつくままに  「寿命と人生観」

2018-03-02 11:46:25 | Weblog
ここ数年の変化を少し慎重に考えると人生観が変わりつつあることを感じる。自分自身も80歳の峠を多少の身体変化を経験しながら無事に過ごしてみると、何となく一山超えた達成感がある。つまり日本人全体の生命力が大きく変わりつつあり、それは年齢平均寿命とともに世界でもトップ水準になりつつあるということだ。(世界一の長寿国は中国の香港といわれている。)
かつては「人生50年」と言われ、事実寿命もみじかかったが、これほどまでになったことは日本自体の国力がついたことも無縁とは言えない。むしろ国力が「衣、食、住」の生活環境に大きく改善されたことや、治安もよいことや物価の安定もあることでしょう。
世界では(特に欧州)中近東からの移民の影響と負担を国として負いつつあることが影響していることでしょう。
そこで日本は「人生計画」自体も大きく変わりつつあるといえるようです。大きく言えば「人生100年計画」とでもいえるような時代になりつつあるということです。具体的には60歳定年説はおろか、働ける内容においてできることは何歳といわず働くということであり、
(当たり前かもしれないが)車の運転は当人の自覚に任せるとしても、副業禁止制とかの見直したとか解雇規制の緩和とか、法的にも
全体で見直してもよいような気がしている。事実日本の就業者数も団塊の世代のピークの時と同じくらい(6500万人)を維持したままで推移しているのだ。これは高齢者の労働市場への増加、女性の労働市場への参加、そして外国人の労働参加が徐々に増えていることを示しているのだろう。
自分自身で考えても何かできることはないかと考えることがるくらいで、(現在は自分なりの日課)を考えつつ学んでいるが、できることはないかと探してみたくなる時がある。
こんな恵まれた環境に置かれているのだから、ただ無為に時を過ごすのではなく、いろいろな意味で「働き方改革」をお互いに考える時期に来ていると提案したい