波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「2月は逃げる?」

2019-02-25 15:45:58 | Weblog
今週で2月は早くも終わってしまう。1年のうち一番短くまるで「逃げるかのように去ろうとしている」そして寒かった印象と雪
が降る心配だけの不安と影響だけに気が残り、早く春を運んでくる3月を待ち望む気持ちで2月は何の印象もなく過ぎようとしている、私はそんな2月の日々が愛しい。如月、着更着ともいわれ寒さのためにさらに重ね着をする当て字を考えたことももっともらしい思いがする。そんな中で2月は「啓蟄」ということが言われる。はじめは何のことかさっぱりわからなかったが、この言葉こそ2月を象徴する言葉だと分かった。土の中の虫たちがこの寒さの中で春の気配を本能的に感知し土の中で春を待ってその準備を始める時だというのだ。この言葉こそ2月に相応しく思うのだ。
昨年の秋にオフシーズンに入ったスポーツ界もキャンプインして動き出した。その他の世界もそれぞれに今年の計画を立案して検討を始める。消費業界も閑散期で動きが止まっていたがこれからの動きに合わせてその効果を最大にするためにどうするかそれぞれに準備をしていることだろう。
それは今年の命運を決める一番大事な時なのだ。目立たず人目に知られず、誰にも分らぬように検討して計画と実行案を作成する時期なのだ。
そんな意味では2月は一年のうち一番大事なつきなのかもしれない。
今年は何でどのような実行案ですすめるか、それは3月では遅い。4月はシーズンである。まさに2月こそがこの一年を決める月なのかもしれない。
寒さで行動が鈍く思考力が力を出せない時こそ大事なのだろう。私はそんな2月を意外と無視されているのではないかと改めて見直している。
そんな時期、外に出ると「蝋梅」の香りが道端から香ってくるのが嬉しい。白梅も良いがそれに先立って咲いて人知れず消えていく小さな蝋梅の存在も2月に相応しく思う。
あまり誰にも知られず印象の薄い2月だが、この2月の存在こそが一年を制していることを改めて考えてみた。

「バレンタインデーを考える。」

2019-02-18 10:11:17 | Weblog
先週バレンタインデーがあった。このイベントは元来日本の習慣にはなく昭和30年ごろからのことらしい。どこかの菓子メーカーの便乗ではないかと思っていたが、案の定調べてみるとそれに近いことが分かった。「あなたのバレンタイン=聖ウァレンテニス愛しい人に贈りましょう」というキャッチフレーズがあたったらしい。何しろ日本では女性から男性への愛の告白など想像できないことであり、できないことでもあった。
ちょうど日本も戦後の復活から新しいものを取り入れてできる時代でもあったこととがうまくマッチングしたのだろう。一時はとても盛んにおこなわれ芸能人やスポーツ選手と手の届かない人への思いが集中したようだ。
身近では家族をはじめ、職場の上司、教師などへの日頃の感謝を含めていたようだ。これらは決して悪い事ではなくむしろ感謝を込めて相互に尊敬しあうことでもあり、大事なことでもあろうかとほほえましく考えられる。日本でも古来春には「お雛祭り」なども予定されているが男女を対象にしたものはない。この辺が外国からの習慣で取り入れられたことは興味深いものがある。
しかしこのことをもう少し深く考えてみると大きな「壁」に突き当たるのだ。女性からにせよ男性からにせよ、「人を愛する」ということは究極的な問題であり、重要な意味を含んでいる。チョコレートで済まされる問題ではない」。そしてまた人間として人を愛することの大事さは(それぞれ違うが)重要なのである。人は元来自分中心に生きている。自分が第一であり、それから周囲ということになる。ましてそのほかの人を大事に思い、愛するなどは簡単には言えないことだ。それは一時的な感情での言葉であり、思いであろう。だから事が起きると争いになり、自分中心に動くことになる。
まして自分を犠牲にしてまで愛することなどできないことであろう。そこには犠牲という言葉で大きな痛み、苦しみを伴うことでもあるからである。
若い時には気楽に使い、行動していたことが年を取るにつれてその重要性に気つかされているが、「愛」ということが人間にとってどんなに大切かということが身に染みてくる。バレンタインデーはそんなことを学ぶ時でもあるのだろうか。

「春節、そして台湾」

2019-02-11 11:06:47 | Weblog
嘗て(約30年前になる)アメリカ、そしてドイツ、フランスを仕事で周ったことがある。どこもが初めてであり、訪ねるところは都会ではなく工場のある地域であった。言葉が話せなかったという不便さに加えて食事も日本食とはいかなくて困ったことを覚えている。そんな時目安になるのは「中華料理」の店であった。小さな町であれば、探すと必ず見つかり、中華料理で日本食に近い食事が出来てほっとしたことが今でも忘れられない。現在ならおそらくよほどの僻地に行かない限り、さらに増えていることだろう。それほどに中国人の世界進出は大きいと思う。そんなことを思いながら「春節」を迎えて改めてお正月を考えると、かつての日本のお正月風景をこの春節が思い出させてくれる気がしている。知人に華僑で同業の方が赤い小さい袋にお金を入れて春節に台湾へ行くことをとても楽しみにしていた。何しろその数何十袋にもなっており、どこへ配るのかと聞くと家族はおろか、遠い親戚の小さい子供にまで一人一人配るのだと説明していたが、今でもそうなのであろうか。私にとって台湾は忘れられない国でもある。
サラリーマンになって間もなく仕事で台湾との取引を始めるチャンスが巡ってきた。想像もできないことであり(40年以上前)若かったので夢中であった。仕事は準備されていた通り順調に進み、私は初めての外国ですっかり舞い上がっていた。予定の1週間はあっという間に過ぎ、気が付いたときは明日帰国になっていた。帰国前夜も遅くまで過ごしホテルへ帰ってから「日本へのお土産」を用意することをすっかり忘れていた。
ホテルは台北の駅前にあったが、階ごとにフロアーサービスがいた。私の階についた女性は日本語が堪能な人で(台湾では日本語で不便はない)事情を話してお金を預けて寝ることができた。翌朝忙しく身支度をして帰国、ほっとして家で土産物を開けると、台湾名物のケーキや飾り物のほかにプラチナの指輪が入っていた。一瞬戸惑ったが妻に黙って渡しておいたが、この指輪は本当に土産でよかったのか、今でも謎である。(台湾にそんな習慣があるのか、それとも彼女に何か思惑があったのか、)
今ではお正月の内容も変わっているのだろうが、家族で祝うこの春節は家族で祝うイベントとして楽しんでいることだろう。
台湾の食事も日本人には味も優しく私はその中でも「おかゆ」と「びーふん」が忘れられない。

「春遠からじ」

2019-02-04 15:20:50 | Weblog
2月に入ると何となく雰囲気が変わる。節分、バレンタインデーが行事として取り上げられるとまだ寒い日が続き雪も予想されながら季節の変わり目を
気にしてしまう。私はサラリーマンをしている間、このような季節の変化、情緒感覚を知ることなく夢中で人のはざまの中を朝から晩まで駆けずり回っていたのだ。妻や子供と家庭の団欒とか、自然を愛のことなど全く頭になかったことを今になって後悔している。日本には古来四季折々の季節の変化とともに豊かな自然が織りなす美しい光景を享受できるのである。そんな中で定年を過ぎるとあっさりと仕事を離れ(妻との別れが大きな遠因)ほんらいの自然との触れ合いの中に飛び込んだのだ。それは季節ごとに見ることのできる「花暦」である。2月になるとあちこちに花便りが聞こえてくる。
最初は「かたくりのはな」である。この花はなかなかどこにでも見られないが地図で探して見ることができた。寒さの中でひっそりと小さなうす紫の花が密生して春を告げてくれる。そのたおやかな美しさは目立つものはないがそれだけに一層日本的な美しさを見せてくれる。それからは次から次へと春は私たちは美しい花によって歓迎される。一つ一つの花に思い出とドラマもあるが、割愛しまたの機会に花にまつわる思い出をは語りたいと思う。
秋の夕暮れが寂しく影を落とし真っ赤な紅葉が今年の花のドラマの終わりを告げる。
そんな一年を車に乗っている間(80歳)まで続けることができた。従って場所も関東一円を中心にそれぞれの名所を訪ねることができた。
今、私の机上には一鉢の植木鉢がぽつんと置かれている。昨年のクリスマスに民生委員の方が地元の中学生をともなって一人暮らしの老人を対象にプレゼントしていただいたものである。それも昨年のうちに花はかれ残った茎が寂しげに残っているだけだが、私は日当たりのよい場所にその八を置き、水をやり、今年もなんとか、一花咲かせたいと努力している。
今年も春はやってくる。長かった寒い冬をすごし、華やかな花を見ることができる春である。何となく元気が出てシーズンを迎える気持ちにさせてくれる。