波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

  オショロコマのように生きた男  第59回

2011-12-31 10:49:14 | Weblog
「電話をするのをすっかり忘れてしまって、ごめん」素直に謝った。池田はいつものように「大丈夫ですよ。色々あったようだから疲れているんだろうと思っていましたよ。どうです、良かったら一度東京まで出てきませんか。気晴らしにもなりますよ。」
それとなく気遣いをする池田の言葉に宏はほっとする思いだった。「ありがとう。いつものところでいいね。じゃあ明日よろしく」二人の話でこじれたことは一度もない。彼にはかけがいのない友人だった。
その日は家で一日のんびり過ごすと、久しぶりの東京の空気を味わうために早めに家を出た。自然に神田へ足が向く。ここには
昔文豪が通って食事をしていたと言われる老舗の蕎麦やがあった。(松や)昔食べたことがあることを思い出していってみた。
ここの「鴨なん蕎麦」を食べる。一味違う深い味を味わい満足することが出来た。
そのまま足を延ばして神保町の本屋街へ、普段はちょっと気づいたことでもう少し調べたいと思っても仕事に追い立てられ中々その内容まで掴むことが出来ない。そんな幾つかのことを調べることが出来た。やはり学習は必要だと思いながら何となく落ち着いた気分になる。本当は購入してじっくり読めばいいのだろうけど、今の状態ではそんな時間がないことを感じていた。
疲れるとコーヒーショップへ立ち寄り、好きなタバコに火をつけて休憩をしながら、通り過ぎる人をぼんやりと眺めるのも好きだった。待ち合わせ場所が東京駅の近くとあって、八重洲口へ向かう。「丸善」があるのを思い出して立ち寄る。
新刊の本を見るのもまた格別である。ここでなければ見ることの出来ない本もいくつかあった。そんな時間を過ごしているうちに約束の時間が近くなっていた。
、時間には遅れたことがなく、いつも自分のほうが遅くなることを思い出して急ぐと、すでに来ていて、にこにこと手を出した。
「暫くでしたね。元気になりましたね。今回はもう少し長く頑張るんじゃあないかと期待していたんですけど」
まだ、外は少し明るさの残っている、まだお客のいない居酒屋へ入るとハイボールを注文し、宏も薄い水割りを少し
口にしながら二人は乾杯をした。
久しぶりと言うこともあって宏は「あれから木梨の会社はどうなったか、何か聞いている」二人にしか通じない話であり、お互いに
僅かの間だが同じ釜の飯を食った仲でもある。「詳しいことは分からないんですけど、木梨社長はもう日本には居ないようですよ。」「えー。何だいそれは。一体何があったの」まったく想像できないことだった。

思いつくままに

2011-12-29 10:04:26 | Weblog
2011年度も間もなく終わろうとしている。今年一年を謙虚に回顧して整理をして足跡を省みたいと思う。まずは個人的なことはさておき、やはり3月11日の東日本を襲った大地震は震源地を中心に災害を受けた所には大きな傷跡を残し、多くの人々の悲しみと苦難を与えたことは忘れられない。何もできなかったもどかしさはあるが、せめて祈りをささげることを続けたいと思っている。日本はこの尊い犠牲と試練を通じて整然と混乱もなく、一歩一歩復興の歩みを続けることで世界に向けて大きなメッセージを発信することが出来た。原子力発電所の破壊による様々な反省点も残っているが、それらは今後の大きな学びとして努力を続けなければならないことだろう。
アメリカにおける2001年9月11日の貿易センタービル爆破事件と共に歴史に残ると事だと思う。
個人的に今年を振り返ると、やはり健康管理に大きく注意を払った年ということが上げられる。(現在も継続している)
年齢的に後期高齢者(75歳)と言うことではあったがあまり自覚がなかった。今までと同じで特別な思いしかなかったのだが
やはり肉体も少しづつ老化(退化)していることを知らされ、大きな警鐘を受けたことになる。
2月ごろから「めまい」による影響を受け、転倒することもあり、大きく自信を失い、その後半年ほど通院をした。
しかし、次第に現象はおさまり異常は感じなくなったが、血圧など体調の変化には敏感になり、注意を払っている。
内面的にはやはり「残された時間」を意識せざるを得ない年代に入ったことを感じた年であった。これからの時間をどのように
有効に生かして過ごすか。そんな意識が芽生えたことは事実だ。何も特別にとりえがあるわけではない。
ただ、「何か書くこと」と「本を読むこと」には苦痛はなかったので、気を紛らわすには良かった。そして頭休めには「TV」を適当にはさむのも悪くない。この三要素を組み合わせながら、時間を有効に生かし始めたところである。
毎日書いている「日誌」には「足跡」として自分自身を省みることにしているが、一日を充分満足できる日は少ない。
しかし、一日の終わりに「小さな幸せ、喜びの発見」として、その日の内の出来事の中から、少しでも幸せを感じたことを取り出してメモっている。
来年がどんな年になるか等と言う期待は出来ないが、どんな不幸な状況になったとしても自然体で「御言葉どおり、この身になりますように」と神の前に言える覚悟だけは忘れないで生かされたいと願っている。

  オショロコマのように生きた男   第57回

2011-12-27 10:24:56 | Weblog
帰ってきた宏を見て久子が驚いたような顔で出迎えた。「どうしたの、元気がないわね。何かあったの。」普段はそんなお愛想を言うこともないのだが、今回帰ってきた宏の様子を見て、その様子の変わり方に驚いたのである。「いや、何もないよ。ただ少し疲れてね。ちょっとゆっくり眠りたいよ」と言うとさっさと自分の部屋へ入ると戸を閉めた。
「パパはお疲れなんですって、みんな静かにしていなくちゃあ駄目よ」子供たちにそう声をかけると夕飯の支度に取り掛かった。
何も聞かなくても何となく分かるのが夫婦というものだろう。今回はいつもと違うことは充分分かっていた。
いつもだと疲れて帰ってきても必ず子供たちに声をかけ、様子を聞いたり久子と食事のことを相談したり(食べ物には煩かったので)するのだが、今回は何も言わないで一人でいるし、何も言わない。よほど何か変わったことがあったのだと分かった。
夜になって風呂に入り少し元気を取り戻したように夕飯のテーブルについた。ビールを飲むわけではないのでいきなり食事を始める。「今日はパパの大好きな餃子を焼いたわ」と言うと子供たちはいっせいに声を上げて喜んでいる。ひとしきり食事が済むと
子供たちは思い思いに部屋へ引っ込んでいく。
「みんな変わりないようだな。」「変わったのはあなただけよ」皮肉たっぷりに久子が言う。「そうか。変わったのはおれだけか。そうかもしれないな。」とぽつんと答える。「今度は何があったの。私は何があったとしても驚かないわ。心配しないで
話して御覧なさいよ。少しは楽になるわよ。」そう言われて宏も少し気持ちが楽になった気がした。
そして長野での会社で起きた話やその後、東北の方へ当てもなく旅に出たことを話した。そして「皮肉なものだなあ。仕事が
上手くいきそうになると、何かが起きて挫折するんだ。どうしてなのかな。別に自分が悪いことをした気はないのに。」
と独り言のように言う。「あなたの責任じゃないわ。運みたいなものよ。そのうち又新しい話があるわよ。慌てないで休養してたら。」と気にした様子はない。久子は宏よりもずっと逞しく強かった。
そんな話をしているうちにふっと思い出した。そうだ池田に電話をする約束をしていたことを忘れていた。
あまり疲れて頭がぼうっとしていたのと、家へ久しぶりに帰ってほっとしたので忘れてしまっていたが、久子の今の話で気がついた。明日は池田に連絡を取らなくちゃあならないなと気を散りなおしていた。

オショロコマのように生きた男  第57回

2011-12-24 12:27:42 | Weblog
「色々事情があってね。でもぶらぶら出掛けたお陰であんたみたいな可愛い娘に会えたから良かったと思うよ。さあ、そろそろ出掛けようか」まだ話したそうな彼女を制しながら宏は車を発車させた。「もうすぐ秋田市内へ入るから、そこでお別れしよう。
そこからなら大館は近いから」これ以上一緒の旅を続けることは、いろいろなことが起きるし、情が移ってくる。そうするとその流れを止められなくなり、自分の思わぬ方向へ行くことも考えられる。それはある意味危険であり、彼女のためにもなるとは思えなかった。彼女は何か不満そうな、わけが分からないような感じで聞いていたがお腹が膨れたこともあり、車が走り出すとうとうとと眠り始めていた。海岸線には夕陽が美しく波を照らしていたが、それをつかの間で何時の間にかあたりは薄暗くなっていた。秋田市内へ入り、市の明かりが明るい場所を抜け、駅に近いところで車を止めた。
「じゃあ、此処でお別れしよう。此処からなら電車ですぐだし、地元だから大丈夫だと思う。でも気をつけて帰ってください。」少しきざかなと思えたが、此処は大人としての態度を示さなければと宏は毅然としていた。「帰ったらよい人を見つけて幸せになるんだよ。と言って握手をした。「ありがとうございました。おじさんも気をつけてね。助かりました。」そう言うと、荷物も持って駅のほうへ駆け出していった。
見送ると、何となく宏も家のことを思い出していた。子供たちはどうしているかな、そう思うと何となく東京へ帰る気持ちになっていた。漠然と走っている間に何か考えが出てくるかと思っていたが、はっきりとした考えは浮かんでこなかった。
そんな時、突然電話がかかってきた。池田からだった。「野間さん、今何処ですか。」「秋田まで来ているよ。」「じゃあそろそろ寒いんじゃあないですか」「昼間は良いけど夜になると急に冷えるよ」「ところで、そろそろ帰ってくるんでしょうね。」と勝手に決めたように言っている。「まあね。そろそろ考えているところだ。」少し強がりを残しながらそう言うと、
「帰ってきたら、ちょっと相談させてもらいたいことがあるので、家で休んだら電話をくださいよ。野間さんも知っている
N製作所の松山さんから電話を受けて相談かけられているんですよ。」「私じゃあどうにもならないんで、野間さんに聞いてますといったんだけど、詳しいことは会ってから話すんで、よろしくお願いしますよ。」
電話を切ると、何となく強がっていた自分がすっかりへこんで、急に家が恋しくなっていた。

      思いつくままに

2011-12-22 11:55:55 | Weblog
いよいよ今年もまもなく終わる時期になった。最近はお天気の変わり方が激しく感じる。風がなく気温が10度を越えると温暖化と思えるが、風が吹き曇って陽が射さないとやはり冬を厳しく思わされる。つまり寒暖の差を強く感じて用心することになる。
年齢にもよると思うが、この時期は体調の維持が難しい。
そして外に出る時間も少なくなり、閉じこもりがちな日常でどのように過ごすことが良いのか、再度点検してみるのも面白い。
いろいろなことが考えられるが、その一つとして「どんなことにも楽しめる幸せと同居できないか」ということを考えてみた。
基本としてまず、「自然態」で構えることがある。人は何をするにも何かにつけ、身構えるところがある。まずそれを意識して
全てを川の流れのように、何がおきても、何があったとしてもあまりショックを感じないようにすることだろうか。
朝、起きて寝るまでの時間は長いようで短いものだ。忙しく時間に追われて自分が埋没している人もいる。何処にいて、何をしていてもその事に自分がその事に「どのように関わっているか」という事を大切にする気持ちを持つ。つまりどんな状況にあっても
その関わり方次第でその時間が人生における何よりの宝と思えるか、ただ時間を浪費しただけで疲労だけを感じることになるからだ。前者のような関わり方が出来るかどうか、又そのようにすることが出来るかどうかなのである。
理屈では分かったとしても現実には自分の思うような関わり方は中々できるものではない。あったとしてもほんの僅かな時間であり、自己満足であるかもしれない。
しかし、大事なことはこの瞬間瞬間の時間だ。今あるこの状況をどのように自分流に染めて、深め、その色を広げることが出来るかどうか、それはその人の生き方と選択にかかってくる。
それはその展開によって、結果的に大きく全てが変わることにつながる。またその事は良くも悪くもきちんと明らかになる時が来るのであり、それを誰かがきちんと見ていることも分かってくる。それが私たちをひそかに見守っている神という存在であるならばそれを信じることも大事なことと言える。
その時間をどのように過ごすかの理想的な旅を続けることになる。それは誰かに認めてもらうとか、見返りを求めるとか、
報酬を受けるとかと言うことではない。ただ自分を見守っている方を覚えて生きることの喜びを確かに感じたいだけである。

  オショロコマのように生きた男   第56回

2011-12-20 09:26:51 | Weblog
車で何時間か過ごしているうちに気持ちが変わっていた。警戒心が何時しかなくなり、むしろ親近感が沸き幼い妹を思う愛しさのようなものであった。彼女の人生に干渉する気はない。しかしそばで話を聞いているだけでも何となく分かる気もする。
あえて何も聞かないことにした。彼女が一人でしゃべっているのを聞くのさえ、心が痛むこともある。
しかし聞けばそれは受け止めてやならなければならない。そうでなければ癒されないだろう。聞いてやるだけで少しでも気持ちが休まればそれでよい。それがいつか彼女の新しい出発の力になればと思うからだ。
「そろそろお昼にしない。私お腹すいちゃった。朝から何も食べていなかったの。なんだか気持ちが楽になってとても食べたくなったの。」「そう。それじゃあ少し景色の良い静かなところを探してみよう」そう言うと、少しスピードを落として辺りを見回しながら走った。少し小高くなった所に駐車できるところがあった。そこからは日本海が展望され暖かい日差しがさしていた。
車を降りると二人は弁当の袋を下げて、坐った。「素敵だわ。こんなところがあるんだ。気持ちが良いわ。」そう言うと余程お腹がすいていたのでろう。黙々と食べ始めていた。
食事が終わると缶コーヒーでのどを潤しながら話し始めた。「あなたのお話聞きたいの。どんなお仕事しているの」
すぐには返事が出来なかった。どう返事をすべきか。本当のことを言うことは別に問題はないが、すぐ分かるということにはならないだろう。といって嘘を言うわけには行かない。「何だと思う」「そうね。学校の先生かしら。でも先生ならこんなところにいないわね。」彼女はそう言うとしげしげと宏の横顔を見つめている。その視線を感じながら少し恥ずかしく、照れくさかった。
女性特有の男を見る目を感じたからである。
「何と言ったらよいかな。あるものを造っている物作りみたいなものかな。」「そうなの。どんなものを作っているの。車とか、機械とか、洋服とか、食べ物とか」「いやいやそんなものじゃないんだ。ちょっとあまり見たことないと思うけど磁石って分かる。」「小学校のとき一度見たことあるわ。」「それを使った応用製品って言うところかな。分かる。」
「よく分かんないけど、じゃあ技術者なのね」「いやあ。そんな大層なものじゃないけど、そんなものを作っているのさ。」
「だけど、そんな人がどうしてこんなところをぶらぶらしているの。」これでは立場が逆だ。まるで主客転倒に何時の間にかなっていた。

   オショロコマのように生きた男  第55回

2011-12-17 09:15:36 | Weblog
閑散とした休憩室で二人だけだったこともあり、周りのことは気になることはなかった。二人はタバコを美味しそうにくゆらしている。「私、大館まで行くんだけど途中まででも乗せていってもらえないかしら」何気なく話しかけてきた。どうやら金がなくて
ヒッチハイクで此処まで来たらしい。宏は答える気もなく立ち上がろうとしていたが、そのままやり過ごすことも出来なかった。
「まだどこまで行くか決めていないけど、良かったら乗って良いよ」と言うと「嬉しい、じゃあ途中まででも良いからお願い。
私、清子と言うの」タバコの煙がその顔を少しぼやかしていたが、笑顔のほほに小さなえくぼがあるのを見て、憎めなかった。
特別美人と言うほどではないが、色白の少しぽっちゃりした姿に見とれていた。秋田は小野小町の出たところと言われ、美人の誉れ高いと聞いていたこともあり、初めて会った秋田の女の子が珍しかった。
「じゃあ、私お礼にお弁当でも買ってくるわ。ちょっと待っててくれる」そう言うと小走りに駆け出していた。
女性から声をかけられることは始めてではない。どこででもちょっとした二人だけの時間の中で声をかけられることはしばしばあった。それは宏の風貌と雰囲気の中に女性をひきつけるアロマのようなものがあるのかもしれない。一見すると少し冷たい感じであり、ニヒルな感じがある。
一人でドライブが本来なのだが偶には話し相手がいるのも退屈しのぎには良いかという軽いノリでもあった。彼女はばたばたと買い物袋をぶらさげて帰ってきた。少し歳の離れた兄妹のように見える二人は荷物を載せると車を走らせた。
それにしてもこのごろの若者は大胆な行動が取れるなと思う。確かに自分も計画性のない行動をするが見も知らずの他人の車で旅をするほどの勇気はない。むしろ女性のほうが大胆なことが出来るのかと自分を振り返ったりしてみている。
しばらく二人は黙っていた。テープからオーデイズの曲が流れている。「東京へ行ってみたかったの。一度はどんなところか見てみたかったし、テレビでよく見るところへも行ってみたかったわ。」勝手に話し始めた。相槌を打つこともなく黙って聞いている。「でも考えていたほど良いところじゃなかったわ。友達のところに一緒に住んだんだけど、厳しかったわ」遠くを見るような顔で何かを思い出しているようだ。宏は運転しながらその横顔を見ながら、彼女何を思い出しているんだろうと思ってみた。

思いつくままに

2011-12-15 09:33:55 | Weblog
この時期になると忘れていた紅白歌合戦のことを思い出し、どんな歌手、どんな歌が聞けるのだろうかと気になるのだが、それも年々関心が薄らぎ、今年は殆ど関心もなくなりつつある。知らない歌手、知らない歌、聞いていても心に響かないようになるとそれは騒音でしかない。残念だが、新しい時代感覚から外れてしまったことを自覚せざるを得ない。
しかし、歌は何時の時代にも年齢とともに生きていくものだ。だからその年齢、心境に合わせて楽しめばよいと思う。
私にとって歌との出会いの最初は10歳ぐらいであったろうか。ある夏の暑い午後、学校から帰り疲れて(4キロの道のり)
昼寝をしていたら、聞いたことのない軽快でリズミカルな音楽が夢の中に聞こえた。それを聞いたとたん踊りだすように起きて
身体が動き出したことをこの年になってもはっきりと思い出す。昭和23年ごろ日本にも入ってきた「ボタンとリボン」の
曲だった。あれから何十年「歌は世につれ、世は歌につれ」の言葉どおり、嬉しいにつけ、悲しいにつけ音楽とともに人生を歩いてきた感じがする。
その中でも忘れられない一曲を選ぶとすれば、昭和48年にレコード大賞を受賞した「襟裳岬」であろうか。この歌を聞いたとき
すぐこのメロデーと詩を覚えた。そして機会あるごとにこの歌を歌い、今でもこの時期になると一人で口ずさむことがある。
当時はサラリーマンとして仕事に熱中していた。多くの人との出会い、交わり、特に組織の中での生き方には多くの問題があった。表面的には楽しそうであり、華やかさがあり、そこには貧しさはなかった。どんな場面でも賑やかであり、全てが活動的であった。しかし外面的に派手で目立つほどに内面的には空虚さが芽生えていた。
人間関係においてどんなに親しく話し、信頼されていると思っていても裏切られることがあるし、それは自分だけの一方的な思い過ごし出あったり、心を許して話しているようでいて、それはそのときだけのことであったり今まで経験したことのないものであった。勿論家庭での時間は殆どなく、本当に心の安らぐ時間がなかったことを思う
そんなときに出会ったこの曲は「北の町ではもう悲しみを暖炉で燃やし始めているらしい、わけの分からないことで悩んでいるうちに」と始まる。そして最後は「寒い友達が訪ねてきたよ。遠慮はいらないから温まってゆきなよ」と歌い上げる。
そこにはどんな人との出会いであっても、こうあるべきだと教えられ、こうありたいたいねという気持ちが伝わり、いつも
全てを忘れさせる暖かいものが残ったものである。

  オショロコマのように生きた男   第54回

2011-12-13 10:56:56 | Weblog
電話の声を聞いているうちに無性に池田に会って話がしたくなった。やはり心の中に空白のようなものが出来ていて、それを満たすものがなかったからだ。セミの抜け殻のような自分の存在が哀れにも見えた。いつも孤独であることには慣れていたつもりだが、やはり人の子であり一人の人間であった。誰かに空白を満たしてもらいたい、そして自分の気持ちを汲んでもらいたい。そして理解してほしい。そんな思いが迫っていた。「しばらくご無沙汰しちゃったので、又何処かでゆっくり話したいね。」
「良いですよ。野間さんの都合に合わせますよ。今何所なんですか。」「ここか。此処は何所なのかなあ。よく分からないが東北の何処かの海岸沿いの道端さ」「じゃあ、又例によって放浪のたびをしているんですね。すぐと言うわけにもいかないでしょうから千葉の家に帰ったときにでも連絡してくださいよ。いつでも都合つけますから」電話は終わった。
池田と話が出来たことで暖かい風が宏の心を少し満たし、癒してくれた。すっかり暗くなった道をホテルへ向かって引き返しながら、明日の事は明日考えればよい。今日は何も考えずに寝よう。
翌日車はそのまま北へ向かっていた。道路標識を見るとすでに秋田県へ入ったようだ。急に岸壁に当たる波しぶきが強くなっているのに気がつく。途中サービスエリヤで休憩を取りながらコーヒーを飲む。
何時しかぼんやりと自分の足跡を振り返っていた。人にはそれぞれ人生がある。それはその人が望むと望まぬとにかかわらず
その人に備わった運命かもしれない。そして運命の道をそのまま歩き始める。その道は安全な道なのか、獣道なのか、でこぼこ道なのか、まったく分からないままに歩き始める。勿論目的地は見えない。何所へ向かっていけばよいのかも良く分からないのだ。
その道は途中でいくつかにも分かれているときもある。そんなとき、右か左かそれすらも見当がつかない。
今の自分は今、そんなところへ来ているのだろうか。その道は隘路なのか。行き止まりなのか。
いつものようにタバコを吸い、コーヒーを味わっていると、背中で声がした。「すいません。火を貸していただけませんか」
その声で後ろを振り向くと若い女性が立っていた。この辺ではあまり見かけない派手な衣装で、濃い化粧が印象的であった
「どうぞ、」といってライターで火をつけた。
「失礼ですけど、何所まで行かれるの」と聞いてい来る。とっさに返事に困った。「別に」とは言ったものの後が続かなかった。

  オショロコマのように生きた男  第53回

2011-12-10 13:32:07 | Weblog
宏は家の整理をすると必要なものだけを車に積んだ。家具はそのまま残すことにした。後のことを考えて始末する余裕はなかった。そしてここの生活に未練はなかった。そのまま車に飛び乗ると何も考えずに車を走らせた。どこと言う当てがあるわけではない。ただ、ひたすら走るだけである。車は何時の間にか東北道に入り、北に向かっていた。
やがて日が暮れてきた。どこと言うこともなくその町のビジネスホテルに立ち寄る。行き当たりばったりの旅はなれていた。
仕事で動いていたときもきちんとした予定で歩いていたわけではない。訪問先の仕事が終われば、その町をぶらついたり、名所があれば立ち寄ったり、そんな行動には抵抗はなかった。
酒を飲まず、ギャンブルをするわけではない。ただ珍しいものや美味そうなものを見つけては、それを味わい楽しんでいた。
それが嫌なことを忘れ、ストレスを解消し、新しいエネルギーを生み出していた。
だから誰もいなくても、しゃべらなくても淋しいとか、悲しいとかそんな孤独感に浸ることはなかった。
ホテルのある道路からは海が真正面に見えていた。何時の間にか海岸線を走っていたのだ。チエックインを済ませると、まだ少し明るさのある海岸を歩き始めた。
「俺は今まで何をしてきたのだろう。結局何も残らず、何も出来なかった気がする。」後悔の様な空しさがちらっとよぎったが
それを打ち消すように又歩き始めた。決して相手に迷惑をかけたつもりはない。むしろ新しいものを作るために挑戦し、戦ってきた積もりでいる。しかし、現実は厳しかった。その裏には会社自体に歴史的な基盤がなかったことやその蓄積がなかったこともあった。又、人間関係が希薄だったこともある。宏も人付き合いが上手とはいえなかった。お世辞は嫌いだったし、だから余計なことは一切言ったことはない。それは何時の間にか人間関係を薄くして、用件のみの関係しか出来なかったのかもしれない。
歩き疲れて海岸の防護壁に座ると、不図、池田の顔を浮かんだ。「あいつ今頃何しているんだろう。こんなときあいつがいたら
何でも話せるんだが」たった一人の話せる友だった。
無意識に電話をしていた。電話の向こうで驚いた高い声が帰ってきた。「野間さんですか。どうしているんですか。いつも突然電話してくるから驚くじゃあないですか。」その声を聞くと急に元気が出てくる。
「池田か。ご無沙汰している。元気しているか。」「私は変わりませんけど、野間さん今、どこからかけているんですか。」
「そうだな。ここどこだろう。」そういいながら辺りを見回していた。