優しい母は何とか義男の希望をかなえてやりたい、次男で在るゆえに何もしてやれないことが哀れであった。津山の城のある町に住んで居るいとこから手紙が来た。親戚の叔父が朝鮮の釜山というところで警察署長しているから、義男のことを頼んでみてあげるということだった。母は藁にも縋る思いで頼んだ。「何とか、勉強させてやりたい」それだけの思いであった。しばらく返事もなくやはり無理でダメだったかとあきらめて忘れかけていたころ、「義男は一人で釜山まで来られるか、もし来ることが出来るなら引き受けてやるぞ」という返事であった。母は喜んで義男に伝えた。義男は勉強ができるならというその一心で「おらあ、行くよ。そして
勉強するだ。」「わかった。そんだら支度してやるから」母はまだ幼い子供を手放す寂しさを感じながら、へそくりの金を使って旅支度の用意をした。
父も兄も驚いていたが義男の決心は変わらなかった。初めての旅であり、乗り物すべてが初めてであったが、夢中であった。津山駅から岡山へそして下関を降りると関釜連絡船の船に乗り、釜山へと向かった。船は日本を夕方出帆し、翌朝着く予定である。玄界灘の激しい波に揺られて船酔いに会い、義男はフラフラになりながら、これから自分が勉強できることの思いで我慢し、そのことだけを思い続けていた。「船が無事着いたら学校へ行ける」それはどんなにうれしい夢であったろう。そのためなら何でも我慢できる」。まだ10歳を過ぎたひ弱な体の義男はふらふらになりながらデッキのふちをつかみ一生懸命我慢したのだ。
そして一夜明けて船はようやく釜山の港へと近づいた。「ぼうー」と汽笛が着岸の合図とともに近づいた。
義男は外へ出て岸壁を見た。たくさんの人が旗を振って出迎えている。まだ見たこともない叔父さんは迎えに来てくれているのだろうか。朝鮮人の中にいる日本人の叔父さんが分かるか。心配であった。
勉強するだ。」「わかった。そんだら支度してやるから」母はまだ幼い子供を手放す寂しさを感じながら、へそくりの金を使って旅支度の用意をした。
父も兄も驚いていたが義男の決心は変わらなかった。初めての旅であり、乗り物すべてが初めてであったが、夢中であった。津山駅から岡山へそして下関を降りると関釜連絡船の船に乗り、釜山へと向かった。船は日本を夕方出帆し、翌朝着く予定である。玄界灘の激しい波に揺られて船酔いに会い、義男はフラフラになりながら、これから自分が勉強できることの思いで我慢し、そのことだけを思い続けていた。「船が無事着いたら学校へ行ける」それはどんなにうれしい夢であったろう。そのためなら何でも我慢できる」。まだ10歳を過ぎたひ弱な体の義男はふらふらになりながらデッキのふちをつかみ一生懸命我慢したのだ。
そして一夜明けて船はようやく釜山の港へと近づいた。「ぼうー」と汽笛が着岸の合図とともに近づいた。
義男は外へ出て岸壁を見た。たくさんの人が旗を振って出迎えている。まだ見たこともない叔父さんは迎えに来てくれているのだろうか。朝鮮人の中にいる日本人の叔父さんが分かるか。心配であった。