波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「新しい交わり」

2019-09-30 11:14:21 | Weblog
隣の「婆友」が突然亡くなってもう数年が過ぎた。それまでこちらに引っ越してから10年近く毎日のように顔を合わせ、何かと交わりを持っていた。夕方になるとよく夕飯のおかずのおすそ分けにと「鍋を持っていらっつしゃい」と呼ばれてごちそうになったことを思い出す。もう一人の爺友は元気だが、婆友が居なくなって縁が切れたように会っても話すこともなく通り過ぎるようになった。そんな関係で私の環境では子供たちと新しく孫との交流が現在の状況である。そんな中で最近新しく交わりのきっかけができた。昨年入会した人材センターの所属分会の集まりのお招きであった。一度お断りをしていたが、熱心なお誘いで今回は出てみることにした。(出席者が少ないとのこと)15名ほどの集まりであったが殆どが同年配であることであることがその場の空気を和らげてくれた。センターの現状を責任者の報告で知り、普段無関心でいる問題を知らされ多少様子が分かってきた。そして出席者一人一人が現在の様子と趣味を中心に自己紹介の形式で話す時間になった。
それぞれ何らかの仕事をしながら趣味を生かして生活をエンジョイしていることが次第にわかり、私も「趣味はブログと囲碁」と話すとさっそくブログを読みたいとの希望者がでたのには驚かされた。もう一つはスーパーのカート係をしているエピソードで「ゴキブリ事件の話」がでた。
ある場所でゴキブリが見つかり騒ぎになったところ、その売り場の係は何も対応しないで「清掃係」へ電話して済ませたとのこと、その場ですぐ処理をすることなく他人任せにする状況は現在では普通であり、自分は言われたことだけすればそれで終わりというのが習慣になっている
その場で臨機応変に行動して処理することは規則で禁じられているのか、その内規が分からないが常識的には、判断できない問題を提起しているようであった。(他の部署でも同じらしい)そんな世相の一端を聞きながら世の中の動きも知ることができた。
無事に会合は終わり三三五五にお別れとなったが、新しい交わりが始まるのだろうか。楽しみである。

「世代交代を確認する」

2019-09-23 13:03:12 | Weblog
9月も半ばを過ぎてようやく秋の涼しさを感じる時を迎えた。暑かった今年の夏も無事に耐え過ごしたことを感謝とともに、体力の継続ができたことに少し自信もできた気がしている。秋分の日とはまさにこのような時期をいうのであろうと変わらぬ四季の移り変わりをうれしく思うこの頃である。今年の春からシーズンに入り、楽しませてくれている相撲も千秋楽を迎え。他の競技もいよいよ今年の優勝を決める時期が迫っている。一年の間楽しむことができたことを喜びたいと思うと同時に、今年は特に若い人の活躍が目立った年だったと思わざるを得ない。
囲碁、将棋の世界では十代で大人を凌駕する力を発揮しプロの資格を持つ人が出てきたし、ゴルフでも20歳になったばかりの選手が世界のメジャーのタイトルをとって驚かせると同時に日本の全体を活気づけてくれたことは本当に励まされる思いだ。
来年のオリンピックを迎える準備としてはこの上ないモチベーションを与えてくれている。しかし日本がこのような状況であることは、背景に政治的にも経済的にも安定した状況にあることとそれに基づいた生活力と身体能力の充実であろう。ただ問題はこれが果たして世界の舞台に出たときにどこまで発揮できるか?である。とかく日本人は恵まれすぎているだけ、国内では力を発揮できるが、海外での成績がもう一つでなところがある。これは語学力もさることながら環境の変化に対する対応が十分でないところに欠陥があるのではないだろうか。この点ではこれからは恵まれすぎた日本から海外へ出て世界で通用する力を持ってもらいたいと思う。それでこそ日本人の本当の力が発揮できるのではなかろうか。、自らができなかったこんな思いを先日も訪ねてくれた孫に話して語学力をつけてほしいと託してみたのだが、ぜひかなえてもらいたいものと願うばかりである。

「敬老の日」を迎えて

2019-09-16 10:48:19 | Weblog
率直に言ってこの日を素直に喜べない思いがある。確かに立派な人も多く今日まで世のため人のためまた家族のために尽くしてきた人は多数いることだろうが、昨日も牧師から敬老の日を記念して祝福の言葉を受けることができたが、何となく心苦しい思いがあることを感じる。それは自分がこの年になるまでの人生を振り返るときに、どれだけのことをしてきたかを考えて恥ずかしくなにも自慢することはなくむしろ懺悔の人生であったことで心が痛むばかりであるからだ。「お前は一体今まで何をしてきたのか。」と聞かれて何もないこと、否むしろ懺悔の告白をしなければならない気持ちになるからである。こんな私であるが、何度も命の危険もないわけではなかったがこの世に永らえて今日あることは感謝でしかない。
と同時にこれからでも少しでも世のため、人のためになることを覚えつつ日々を過ごしたいと願うばかりである。しかし身体は年々弱くなり、あちこち不自由さを覚えながらできることは限られている。できるだけ家族のものや周囲の人に迷惑をかけないことを願いながら注意をすることを心掛けている。そんな日々の中である日所属している人材センターから呼び出しの要請があった。週に一回の新聞配布の作業をしている関係で新しいチラシ配りの仕事が入ったので手伝ってほしいとの要請であった。今の作業で充分であったが、せっかくの要請なので、説明会に出かけた。集まったのは私を含めて3人だけであった。無理をできないので少しでも応援の意味で引き受けたが、隣の人は2000枚ほどの仕事を申し出ていた。帰途声をかけて「失礼ですが、私は84歳ですが、おいくつですか」と聞くと「82歳」だとのこと。そして今でもすーぱーのカート作業を毎日しているとのことその意欲的な姿勢と元気さに圧倒され驚かされた。まだできることがあれば何でもやりたいとポジテイブな姿に驚いていると「同年齢の人にこうして会うと元気が出ますよ」とこともなげに言われたが、私はこの言葉に励まされ、頑張る気持ちと明るい気持ちをもらることができた。今や100歳以上の人が7万人を超す時代になったとのこと。長寿国日本の面目やくにょというところだが、、私も私なりに無理なく役に立つことに励みたいと思う。

「孫との対話 その2」

2019-09-09 10:58:07 | Weblog
孫の話を黙って聞いているとその声と内容がビシビシと聞こえてくる。その内容は別としてその語調はかなりの自信と説得力が感じられる。母親の娘からグループ営業活動でトップ成績をとったことを聞いていたので、本人はかなりの自信をつけているのかもしれない。そんな姿を見ながら聞いてこんなに成長したのかと改めて孫の顔を見直してみる。「私はもう今の会社での仕事に満足していないの。もう少しステップアップしたことをしたいの。」その輝いて見える顔を見ながら、私は自分の若かった頃を思い出していた。成績を競うようなほどのことはなかったが、自分なりの理想と目的を持っていた。東京を任されたということは日本を制覇するのだという思いが自然と強くなり、後発とはいえ、何とかトップの成績を上げたいという思いが強く、市場を制覇する思いが強かった。その思いは日本から海外へと進み、トップを説得してシンガポールへの工場進出につながった。その縁でシンガポールへは定期的に行くようになっていたが。そこで日本では見られない光景を見て驚いたことがあった。それは毎朝の新聞が一か月分ぐらいの分厚さで来るのである。その内容のほとんどがリクルートの情報で就職に関する記事なのである。つまり彼らは日々少しでも良い条件の仕事を見つけて転職を日常茶飯事としているのである。
孫の話を聞きながら日本もそんな時代になったのかと感心しきりで聞いていた。転職は悪いことでも何でもない、自分の人生コースを決める大事な仕事であると認識している。もちろんそのことによるリスクも十分承知である。日本以外の世界の人たちがこの考えて生きていることを現実の問題として知ることができたのである。「そうかい。それはよかった。」話を聞き終わって少し不安を覚えながらうなずいたが、本人はあまり気にしている様子はない。どこまでも明るく前向きな様子を見て自分が教えられると同時に、若さの力をうらやましく感じたものだった。
23歳人生真っ盛り、これからである。どんな人生が待っていることだろう。幸せになってこの人生の荒波をすすんでほしいとねがうばかりであった。別れ際に再会を約束できた。次回が楽しみである。

「孫との対話」その1

2019-09-02 10:15:19 | Weblog
待ち合わせの駅の改札で約束の時間を気にしながらきょろきょろしていると「(こんにちわ」と声をかけられた。そこには立派な大人になった二人の孫が立っていた。一年に一度墓参りにいっしょに行くときに会っているはずなのだが、ゆっくり話もしていないので、印象が薄くこうして改めて大人としての姿で会うと、あの小さかった幼子だった二人が立派な大人になっている姿に改めて驚かせられる。「今日はできるだけ聞き役に回り、彼らの話を聞いてあげよう」と内心固い思いで来たつもりなので、静かにしていた。お昼には少し時間があったので「お茶時間」をとることにした。改めて落ち着いて二人を眺めながらその成長を確認してすっかり大人になっているのを確認すると、こちらも大人として対応する姿勢を感じ始めていた。
食事を済ませデザートをとりながら、二人の話を聞いていると姉は「今日が誕生日なの」と唐突に話し始めた。それは全く偶然だった。めぐりあわせというか、引き合わせといえるのか、こんなことがあるのかと神の配材に感謝であった。「おめでとう。何歳になった?」「もう23歳よ」そう聞きながら、この日のために買っておいた数冊の本をだし、「じゃあこれをプレゼントとして贈ります」と差し出した。それは社会人として立派に成長を願って読んでほしい本として選んだものだった。「人を動かす」カーネギー、「象の背中」「道ありき」「さっそく読んだら感想を送るね。」と喜んでいる。どこまでその内容を理解するかと一瞬不安もあったが、自分でも読書はその人の成長で理解されるので、その人なりの段階での理解と思えばそれでよいと思い、「楽しみにしているよ。」と渡した。
彼女は「じいじ、私今の会社辞めることにしたの、もう話はついているの」と言い出した。「もう今の会社での仕事は自分では物足りない気がしているの。だからステップ、アップして別の会社で勉強したいの。」どうやら本題に入ったようだ。