波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡     「心機一転」

2016-09-30 11:37:35 | Weblog
大相撲び秋場所が終わった。白鳳が欠場していたとは言え豪栄道が全勝優勝を角番からするとは
だらが予想できただろうか。まさに失礼ながら「大穴」とでもいえるのではないかと思っている。と言うのは場所前は「希勢の里」の横綱問題で大騒ぎだったからだ。プロ野球も長いシーズンを終わりそれぞれ優勝が決まった。特筆すべきは過去長い間優勝とは程遠いチームが努力の結果優勝の栄冠を勝ち取った事であり、広島の優勝と共にDNAの3位はむしろ優勝よりも価値があるように覚えている。
そんな訳で今年もそれぞれの人たちがファンを喜ばせ努力して勝ち得た栄冠であるが。人間の運命は何時何処でどう変わるか、少なくても予想を覆す事はいっぱいあって、決して予測のつかないことが多い。つまり努力とその試練やおかれた困難な状況にどのように立ち向かうかで、予想も着かない結果が生まれる事を教えられた気がするのである。
それはそれぞれの人間が置かれた状の中でどのような考えでどのように人生に立ち向かうかでその間今日変えていくことができるのだと言う事を示しているのである。
「自分はだめ人間だ」「もうどうする事もできない」その否定的な加qんがえこそ人生に対する敗北であり、その希望を自ら捨て去る事になる。
「心機一転」どんな環境、どんな状況におかれても「新しい道」は備えられている事を信じてその道を求めて努力し、どんな困難にもてえていく勇気と力を持つ事こそ大切である事を
上記の結果からも教えられるのである。
勿論それほどの大きな望みはかなええられないかもしれない。しかし、その人に与えられた人生にあった環境と人生は必ずかなえられる事を信じたい。
その証明をすもうと野球の世界で見る事ができた事を感謝したいし、それと共に勇気を与えられたと思っている。

思いつくままに   「世界へ広がる日本」

2016-09-27 10:35:27 | Weblog
世界では(特に中東)移民の問題が大きな影響を与え様々な問題を起こしているが、日本は他山の石として考えていないだろうか。日本にも次第にその影響や世界との関係が近くなってきている事を感じる。報道によると日本に居住する外国人が230万人を越えたと出ていた(主に中国をはじめとする東南アジア)ここ数年の増え方は嘗てないほどである。
観光を目的に来日する外国人も年間2千万人を超えると言うほどに増加しつつある。
当に日本も世界の列国と並んで共に生きる国へと成長したと言わざるを得ない。歴史的に言えば
世界からの人を受け入れない制度を採った国とは思えないほどの変わり方であり、それを受け入れる力と準備が整いつつあると言えるのではないだろうか。
身近にも「爺友達」の娘さんがアメリカ(ニューメキシコ)へお嫁に行った話を聞いたり、今年は私の孫(高校1年)がアメリカのホームステーに参加し、将来は外国での仕事を考えていると聞かされた。
事ほど左様に世界は刻々と変わりつつあるようだ。TVでも世界で活躍する日本人を取り上げて世界の果てまで訪ねていき、その生き様を紹介しているが、日本人のよさを世界へ発信する当に絶好の機会が迫っている気がしている。
残念ながら私自身はその機会を失ってしまったが、世界の良さと広さは人間の考え方や生き様を買えて大きくする気がしている。
大正時代に当時の流行自動車に跨って「かんかん帽」を被って胸を張って写っている父の茶色になった写真を見るたびに日本がいよいよ世界へ羽ばたく時代に来つつあることを感じざるを得ない。

足跡   「身体を動かす」

2016-09-24 11:34:31 | Weblog
人間は不思議な存在で自分がしたいことや、しなくてはならない事が予定されていると自然と身体が動き行動する。しかし何もしなくてよいか、する事がないと自然と動かなくなる。この傾向は高齢になるほど強くなり、私などは身体の調子が悪いときや気力がないと、一日中長いすに座ったままのときもある。これが自然なのかもしれないがこんな時こそ意識してその日の目的をきちんと意識して、義務的にでも行動する事を考えて実行する事を義務付けなければと思う。
ある日の朝、その日はごみ出しの日でごみを出し、そのまま庭の草抜きをする。ちょうど雨が
あがり、少しやわらかくなったところで草抜きがしやすかった。夏の間にいつの間にか庭一面に伸びた草を抜いてさっぱりしてやる。前面にするほどの体力がないので無理をせず半分ほどで止めて(次回に予定)休憩する。この一拍も大事ある。そして次に寝具を夏バージョンから冬バージョンへ整えて備える。このところ気温の変化が激しく最近まで30℃を越していたと思っていたらいつの間にか25度を下回るようになり、その気温の変化とともに体調をととのえることに
備えなければいけない。そして夏に使用した寝具を洗濯して来年へと備える事も大事だ。
このように自分で意識して行動する事が自分自身を鍛え、自分自身の自立を保つ事になる。
そして頭もしっかりと鍛える必要がある。ぼんやりしているとただTVの前に座ったままになりやすいことに注意して机の前に座り、読書だあれ、原稿であれ、囲碁であれ、自分で出来る
頭の体操に意識を持ちたい。
こうして一日を自主的に行動する事によって自立が保持できるのだと最近つくづくおもいはじめている。暑い夏も過ぎたようなので、ほどよい散歩も開始したいと思っている。

思いつくままに  「喜びを分ち合う」

2016-09-21 10:45:48 | Weblog
毎日の暮らしの中で色々な話が耳に入ってくる。そんな中で自分に関係のない事や周りの人の
うれしそうな話や喜びの話を聞くと、何となく違和感のような自分には関係ないというような羨望に似た気持ちになり、自分も喜ぶと言う気持ちになれない事がある。
つまりそれはその人と自分を比べる事から始まる不幸かもしれない。何故そのとき自分も「良かったな」と喜ぶ事ができなかったかと思うのである。
それはその人がある不幸であったり、苦しみであったりすると何故か自分が当事者でない事に
優越感のようなものを、何故かほっとすると同時に自分はそんな目にあうことはないと自信と
上から目線のような感じになる。つまり「人の不幸」を喜ぶような気持ちが生まれる。
こんな事を感じた事はないでしょうか。
当事者でない限りそのことについて、それが幸であろうが、不幸であろうが関係はないかもしれない。しかしそれらの全ての事は他人事ではないのである。いつかは自分も同じような事の中で悩む事があることを知らなければならないし、人生においては必ず同じ運命の中にあることを知らなければならない。
最近、老人会の一人が腰の手術をしたがその話を聞いて「毎日痛くて夜も眠れない」ときいていた。何かすることが出来ないかと不図考えて、少しでも気持ちが和らぐようにと僅かな果物を差し上げたのだが、慰めになったかどうか。ただ、その人の痛みが自分の痛みにかんじることが
出来たような気がした。人はそれぞれが苦難をおって生きている。
そんな「負い目」を知ったら、自分で出来ることを分け合う事ができるようになりたい。
勿論「喜びの出来事」であれば共に「喜び合う」ことができる人間にすこしでもなりたいと
最近つくづく思い始めている。

足跡        「成長」

2016-09-18 11:02:20 | Weblog
私のように高齢になると何をするにもかなりの意欲を持たないとつい楽な姿勢をとりたくなり
出来れば何もしないでただぼんやり過ごす事を考えてしまう。
それは退化することであって、そのまま朽ち果てる事に繋がる。そこで自分のできる事、または人のためになる事を考えて少しでも人のためになる事を考え、または自分のためにも何をしなければいけないか、これだけはしっかりと守ろうと努力しているつもりである。
時々息子から孫の様子を聞く事が楽しみである。英検3級の資格を取った事を聞いていたが、その後どうしているか聞いてみると、「準2級」のテストを受ける準備をして申し込んでいるらしい。若い(高1)ではあるが少しつつ自分の才能を生かしながら、上を目指している事がどんなに意欲を掻き立てるか、人はどんなときでも、あるいはどんな境遇におかれても、何かしら上を目指して挑戦する姿勢がほしいものである。
自分の存在はこれで終わったと考えるときこそ敗北であろう。
そんな事を考えていると恵まれて誰かが何でもしてくれたり、出来ていたり、してくれたりして
自分は何もしないですむ生活だったら、むしろ退化してしまうので、むしろ「ちょっと不便なくらいがちょうど良いのかもしれない。」
まして何かしたからといって見返りとか、ほめ言葉とか、いたわりとか、そんな事を期待しては恥ずかしい。
できる事ならそっとしてもらって、見えない存在の中にあって、若い人の成長に応援をしたいとそんな事を考えている。

思いつくままに   「長寿国」

2016-09-15 09:57:10 | Weblog
日本が世界で一番の長寿国であることは知っていたが、最近の新聞で「100歳以上の人が6万5千人」を超えている事が出ていて驚いてしまった。
平均寿命も男性が80歳をこえ、女性にいたっては87歳を超えると言うことですから、日本人は世界で一番環境も良く、住みやすく幸せな国といってよいと思う。
おそらく世界には色々な国があり、それぞれの良さはあるが住んでみたいところはたくさんあるが、私たちはこの国に生まれこの国に生きる事を感謝しなければいけないのだと思う。
私自身の少ない経験でも短期間かある目的を持って日本以外の国を訪問したことがあるが、その僅かな時間でも不自由さや不安や心配を感じた事はいろいろ会った事を思い出す。
例えば「水」である。日本以外では水道他の天然の水を飲む事はできなかったし、仮にホテルの食堂で出た水でもそのまま飲んで体調を乱した人は表や公表はされないが、大なり小なり影響が出ていることを知っている。従って最低でも水は高くついても「ミネラル」他の有料の水を飲まなければリスクがあると思うべきである。
事ほど左様に治安の問題、衛生面などの生活の基本問題が徹底的に備えられている国としては日本ほどの国はないのかもしれない。ある意味過剰とも思われるほどのサービスぶりである。
やはりこれほどの社会保障が徹底されている国はそのレベルの高さを含めてもないのかもしれない。問題はこれほど恵まれた環境で生きているのだから、それをどこまで生かして生きているか、それを当然のように考えるか、それを感謝と謙虚に満足して生きるかでその人の人生も変わってくる。
今日本で大事な事はこの長寿を無駄にしないで大切に人に迷惑をかけず、わがままを抑えて
満足して生きる事であろう。私自身で言えば仮に何らかの病や体力の消耗で体力が持たなければ
これ以上に生きる事に執着せず、感謝してこの世の生活を終わる事を望むことである。
100歳を生きる人もいることはおめでたいが、その人のお世話をする人の思いやりも大事な事だと思っている。

足跡    「秋」

2016-09-12 10:54:47 | Weblog
台風が一頻り来て去った後、不思議にも気温が30℃を切る日が来て、何となく秋の気配を感じるようになった。まだ暑い日もあるが、やはり秋は確実に来て私たちを暑さから解放してくれそうである。高齢になって年々暑さを危険信号のように感じて外出を注意していたが、やっとそのうち散歩も出来るようになるかと嬉しくなる。
「秋」はやはり一年中で一番その年を象徴するような気がしている。(気持ちの上では春のほうが良いのだが、)それはその年の結果が色々な意味で具体的になるからだ。
プロ野球が広島の優勝で決まったが、当にチーム一丸となった結果が出たわけで、それぞれのジャンルでそれぞれの努力の結果が見られる時期ともいえるからだ。
「実りの秋」とも言われるようにその年に人はそれぞれ努力し行動した結果もこの時期に出ると思う。それも自分の力で能力で権力でなるのではなく、それぞれの歩みに従って神によって
その結果が示されるように考えられる。
自分の行ってきた事は自分が考え自分の思いで行い、自分の権力で結果を出したように思っている事が多いが、そうではない。目に見えない大きな力によって動かされ行ってきた事が結果として出てくるのだと思う。
それだからこそ、日々の歩みは大事であり、おろそかには出来ないのだが、人はそれほどに
気にしていない。ごく当たり前のように全ては自分の甲斐しょのように思っている事が多い。
しかし、自然現象が人間の力動かす事ができないように見えない大きな力がこの世に働いている事を自覚したいと思う。そこに謙虚さと自分の勤めがあることを知らされるからだ。

思いつくままに  「夢で会いましょう」

2016-09-08 14:08:37 | Weblog
寝床に入る一時間ほど前に安定剤を一錠のむ。床に就くと不思議に起きている時にきにならないことや考えもしない事が急に頭に浮かびあれこれと寝つきが悪くなる事が多いせいか、くせになっている。そのお陰もあって睡眠時間は8時間以上たっぷりと寝るが、小用で一二度は起きるがあまり気にならない。しかし明け方近くであろうか、必ず夢を見る事が多い。
夢に出てくることは様々だが、たいていはすぐ忘れてしまい、覚えていないのだが、結構いろいろな人が出てくることが多い。最近は亡くなった父や母の夢を見てまだ一緒に生活しているかのような気持ちになる事がある。その中で20年以上前に亡くなった妻の夢を見た。
生前は優しい言葉をかけることもなくいたわりの行動も殆どしないままにさびしく一人で天国へ旅立ったのだが、夢に出た妻はとても美しく優しく微笑んでいた。そんな妻と過ごしている自分もとても気分が良く、そんな妻がとてもいとをしく思えた。
「ああ、こんなときもあったら、どんなに楽しかったろうなあ」と夢なら覚めないでほしいと
思ったほどである。
NHKの番組で評判の良かった『夢で会いましょう」というのがあり、よく見ていたが、こうして現実に亡くなった家族に会うことが出来ると本当に懐かしく夢で会うことも悪くないと思ってしまうほどであった。
この世での生活はいつまでも続くものではない。まして高齢になるほどに、神の元へ帰ることを願い、また待ち除く事になる。死者は生き返るとは聖書の言葉だが、こうして夢であえることもあるとその恵みを覚える事ができると思っている。

足跡    「一人暮らし」

2016-09-05 09:56:33 | Weblog
現代は昔のような家族主義は少なくなり、家庭はあってもその実態は個々の生活であり、顔をあわせて心から話し合うとか、相談するとか、語り合う時間は殆どないようである。例えばその最も根幹である「夫婦」であってもよほど必要な要件でもなければ語り合う事はすくなくなっているようである。「夫婦」家庭の最も自然で厳粛なつながりできた絆であるはずだが、それとても
必要なときだけの関係になりつつあるような気がしている。
それは他人事ではない。私自身を振り返ってみても他人のような夫婦であった事を反省せざるを得ない。私は仕事人間で現役で仕事をしているときは定時で帰宅する事はなく、その日の内に変えればよいほうで、いわゆる「午前様」族であった。従って夫婦の会話をする字関門もなければ子供様子を聞く事もなかった。せいぜい休みの日に子供遊び相手になるか、どこかへ連れて行くぐらいが関の山でそれもおざなりである。
妻は大きなストレスを抱えていた事であろう。そして50歳になるころ、「アルツハイマー病」を
発症し突然発作症状が続くようになり、そのたびに救急車で病院で手当てを受けモルヒネを打ち発作を抑え副作用の影響もあり、寝たきりの状態になってしまった。
数年の療養の可否もなく、53歳の若さでなくなったのである。
自分の大きな罪の結果が招いたことで、それからと言うものは「贖罪」の念が頭を離れず再婚はおろか、人を愛する資格がない事を重い、『一人暮らし」を原点に30年を過ぎしてきた。
聖書にも「未婚者とやもめにいいますが皆私と同じように一人でいるのが良いでしょう」とありますが、この意味は別の意味もあると思いますが、何もなければ自然のままに生きる事をすすめているのでしょう。敢えて言えば私の場合は最初の離婚後の結婚も一考すべきだったかもしれないと考えられますが、全ては神の御心のままにしたがって生きてきたのです。

思いつくままに   「夏の贈り物」

2016-09-01 11:04:34 | Weblog
私は東京の下町の生まれで自称「江戸っ子」を気取っているが、両親は岡山県の生まれで戦後
(昭和20年)の戦後は岡山へ疎開して約10年ほど暮らしている。
しかし何となく田舎の空気になじむ事ができず、その後東京へ舞い戻って40年ほど仕事で暮らしてきた。しかし、岡山は故郷と言う思いもあって知人や友人も出来て頭の片隅にはいつも岡山のことがあり、兄弟(弟がいたし、両親の墓もあって忘れられない、
岡山は日本の地中海沿岸と言われるほど地味も良く、気候も温暖で地震も台風もなく民度も高く文化のレベルも高いと言われるが、そのほかに「桃太郎」の寓話で知られるように名産が多いことで知られている。その中でも「白桃」は独特の味をもち、ある意味日本一の味かもしれない。そのほか、「マスカット」「巨峰」のぶどうも味が良く甘さも強い。瀬戸内海で取れる「鯛」も独特なものがある。また、私も不勉強で知らなかったのだが、「こんにゃく」の名産地でもあり、良質のこんにゃくが全国へ売られている症である。
そんな名産が今年は友人から次から次へと送られてきて、久しぶりに味わう事ができた。
岡山に住んでいたときは戦後の混乱期でたべるのがやっとという貧しさであじわうきかいはなかったのだが、こうして改めて味わってみると見事なものである。
県民性もそれを反映しているのか、かなり計算高く、文化のレベルも高いきがしている。
一つ一つを味わいながら故郷も思い出すとともに両親のことや昔の子供ころを思い出しながら
真心のこもった「夏の贈り物を」今年は味わう事ができた。
「ふるさとは遠くにありて思うもの」と有名な詩人の一節が頭に浮かんだが、当に遠くに感じたひと時であった。