波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「或る自粛生活の一日」

2021-01-28 10:50:42 | Weblog
昨年の念頭から突然発生したコロナ病の災害が始まり一年が過ぎた。いつ終わるともまだ先が見えない状態のまま私たちは自粛生活を強いられている。全世界が活力を失われ、生きる喜びや楽しみを忍びストレスと不自由な生活を強いられ、中には生活自体もままならない状況の中で苦しんでいる。
私の記憶では日本では今から70年ほど前の第二次世界大戦の東京に似ている状況といえる。当時戦争がはじまり、その戦火と共に国中に緊張と統治が」始まり、毎日が空襲と避難の連続であった。しかしこの時は最低限定された国であったが、今回は世界全体である。おそらくこのような災害は歴史的にも初めてということで記憶にとどめられることであろう。一年を過ぎようやくワクチンによる成果を問うことが出来る準備が始まったが、その成果を問うのは今年一年かかることだろう。しかしいずれにせよ何とか成果の効果が実ることをナガワざるを得ない。
さて、そんな日々の中で私たちは何をすべきか、単に自粛と称して、日々を無駄にしてはいないか、自らを省みなければならない。そしてこの与えられた環境でいかに生かされている立場を意義あるものとして活用することを考えてみよう。そうすれば今まで気づかなかった知恵や行動が生まれて、新しい力や能力の活性が働いてくる。それぞれが置かれた場所と環境をどのように生かすかはそれぞれであろう。しかし、この環境をただ無駄に過ごすことだけは避けたいし、ましてそのことをストレスの原因として自暴自棄になることだけは避けたいものだ。
高齢者はまだしも学生をはじめ子供や若者には酷な環境であることを同情せざるを得ない。然しおそらく二度とないこの大切な時間を何とか有意義に過ごす時間に生かしてほしいものだと願うものである。
私自身もそんな思いで日々研鑽を続けている。

「ある日の午後」その2

2021-01-23 11:45:17 | Weblog
小学校の10歳の頃、戦争中空襲警報を気にしながら学校へ通っていた。その頃遊ぶ友達もだんだん少なくなり、会える友達も少なくなっていたが、一人の女の子が目に留まっていた。学校へ行くときいつも同じ場所で待ってくれて黙って一緒に歩いたことを思い出していた。「ああ、あの時の女の子」かすかな思い出がよみがえってきた。学校が違っていたのでクラスは別だが、家が近所だったらしい。同じ浜町の下町度立ちであった。
「こんなところで偶然に出会うなんて珍しいね。何十年ぶりの同窓会みたいだね」と省吾は再会を喜んだ。店はオーナーが経営しているのだが、普段はあちこちの教室を回っているらしく、普段は彼女が留守番を兼ねて任されているらしい。しばらくは思い出話に花を咲かせながら、また改めて会う約束をして別れた。それから省吾は仕事で出かけると立ち寄りながら話すようになっていた。そしてある日の夕方仕事を終えて二人はデートをすることになった。銀座の小さなレストランで二人でかえの夕食を終え、二人は二日や公園へと向かった。そして其処を通り抜けると、足は自然と球場前広場と向かう。周りは夕暮れに近く次第に暗くなっていく。ベンチに腰掛けての話も話題は尽きない。ふと周りを見ると人の気配がする。倉庫の時間になるとこの辺はアベックのメッカであった。遠目には見えないがあちこちの芝生に横になり、抱き合っている男女らしき姿が見え隠れしている。
何となくあおられるように二人は歩き出した。若くない二人にはやはり抵抗がある。気持ちは若くても行動に出る年齢ではない。再会を約束して別れた。省吾には新しい青春であった。こんな気持ちは何年ぶりだろう。確か放送劇団として放送局へ通っていた時、ある台本で若い先生役で充てられて女優役の女性と役を演じたときの感動に似ていた。

「ある日の午後」

2021-01-22 14:35:55 | Weblog
省吾は営業で外出し時間があると銀座へ足を延ばすことが多かった。福島で工場勤務をして10年間は何処も行くことがなく、家と工場の往復で過ごし大人になってから都会のことは全く知らなかった、その反動もあったのだろうか。無性に都会に憧れがあった。有楽町の駅を降りると真ん前に交通会館がある。そこはパスポートの手続きをする場所もあり、立ち寄ることもあるが、休憩するにも程よいところであった。その隣には銀座教会もあり、お昼になると大きな鐘の音共に礼拝も毎日行われている。その鐘の音につられて礼拝に出ることもあった。地下にはおしゃれなお店が並んでおり、どのお店も独特な個性的な品ぞろえがしてあった。省吾は行きつけのラーメン屋でラーメンと小チャーハンが目当てでこの店がひいきであった。
銀座はこの地点から西へ8丁目まで続く。この間には数寄屋橋を過ぎると服部時計店、高島屋。松屋など有名な所謂銀座を彩る店が軒を連ねている。
最後が博品館を最後に築地へとつながるのだが、その間が共も有名店で楽しい。この雰囲気は今も変わらないことだろう。
交通会館の一角に小さな花屋さんがあった。生花かと思っていたらそれは布地で作られた造花であった。その頃には全く珍しいオリジナルな作品で手作りとは思えない見事なものであった。珍しさとその花の精巧さに見とれてぼんやりと立ち止まって見ていると「中でご覧になりますか」と中年の女性に声をかけられた。何の気もなく進められて店に入り、その見事な増加に見とれていると「省吾さんじゃない」といわれてはっと我に返った。
そしてその中年の女性をまじかに見直すことになった。「染谷です」そう言われてもぼんやりとしか思い出されないでいると「浜町でご一緒しました」
と言われ、省吾は当時国民学校と言っていた数十年をタイムスリップすることになった。

「2021年度の展望と期待」

2021-01-11 11:09:14 | Weblog
歴史的に残るコロナ災害の一年が過ぎたが、今年もこの問題は大きな問題として存在する。
①コロナ禍:今年はワクチンの開発により世界でワクチンによる治療を開始する。この効果が果たして現在の世界の不安と繁栄にどの程度居することが出来るか、この点が大きな課題となる。そして世界のすべての国の治安、経済他すべての問題へのカギとなることは言うまでもない。もしこの治療効果が十分でなければ、この問題は今年も全世界のすべてに影響し、国の疲弊へと影響することであろう。全てはコロナの撲滅にかかっているといえる。
②アメリカの新大統領就任:トランプ政権から民主党のバイデン氏へ移り、アメリカの制作が世界へどのような影響をもたらすかはやはり大きな問題であろう。特に東南アジアへの影響は日本をはじめ多くの国々が中国との関係を平和の裡に持ちたいとの思いから存在しているからである。
アジア全体が共存共栄の関係であり、お互いに助け合いつつ繁栄を願っているので、アメリカの政策は大きな影響をもたらすと思われる。
③日本におけるオリンピックの開催:現在のような状況下で果たして予定されている7月のオリンピックが開催されるか、これはかなりの努力と政策の徹底が必要となるであろう。まして世界から全種を招くのであるのであればその受け入れ準備をはじめ対策は通常以上の受け入れ準備が必要となる。それらを含めてその準備が間に合るのか、おそらく限られた人の中での開催となるであろうが、(全部は無理)それでも階差が可能になるか、さらに延期になるのか、いずれにしても大きな経済効果は見込めず、インバウンドも期待できないと思うところである。
④日本の経済:本来の経済回復は到底見込めず、新しい環境に伴うすべての政策、手段、文化が芽生える可能性が出てくると思われる。その影響と効果がどの程度経済発展に居してくるかは徐々に見えてくるので、いずれにしても大きな効果は見込めず、来年へとつなぐことになるであろう。しかし不思議なもので人間の知恵はどんな時代でも必ずそのニーズにこたえた新しい文化が生まれるもので、その知恵に期待したいと思う。
⑤日本人の誇り:どんな世界になるとしても日本人は日本人らしく世界に発信できる礼儀と節度を持って世界の人々と手を取り合って今年も前進できる年としたいものである。