波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「一念発起そして一年」

2019-07-29 09:59:35 | Weblog
昨年の春ごろ、息子や娘とあった時に「親父、元気だからまだ何でもできるね」と言われた。自分では80歳を過ぎたころから、何となく自分の人生は終わった感じになり、全てに何となくやる気がなくなっている気がしていたが、そう励まされてはっとしたことがあった。「そうかい。こんな年でも何かできることがあるかなあ」と冗談めいていうと、「市役所にいけば「シルバーセンター」を紹介してくれるよ」と言われて半信半疑で、出かけて行った。そして講習を受けて登録をすませた。(写真添付)そして担当の係の人を見つけて仕事の紹介を願った。偶然か、幸運か、「ちょうどあなたの住んでいる地区の地域新聞の配布作業の仕事が開いていますが、やってみますか。」と言われ、「本当は屋内の事務仕事があればと願っていたが」「結構です。やってみますのでお願いします」というと、すぐ新聞社へ連絡を取り、その足で新聞社を訪ね決めてくることができた。それがちょうど昨年の7月である。それから満一年があっという間に過ぎた。最初は約500件の所帯をどのように回るか、何度も試行錯誤を重ねて失敗(誤配)を重ね、かなり無駄なエネルギーを使ったが、今ではルートも完全に把握し、休憩をはさみながらゆっくりマイペースで楽しみながら出来るようになった。そして配布中には何人かの人との交わりもできるようになり、週に一度の配布は運動を兼ねた、楽しみにもなっている。身体的にはその時の天候や配布物の内容で異なるが、適度な休憩とバランスでカバーできるのも経験の知恵だろうか。
天候に左右されることは否めないが、三日間の有効日があるので何とかカバーもできる。月に一回の謝礼金の配布も僅かだが、とても励みになる。
そして何より人生において健康でこのような務めを果たせる喜びを受ける嬉しさは神に感謝するほかないとしみじみ喜びを覚える。そして2根目への挑戦である。いつまで出来るか。健康次第ということもあるが、残り少ない人生を与えられた最後の務めとして果たしていきたいと願っている。

「ニンジンをぶら下げて生きる」

2019-07-22 10:39:28 | Weblog
人の人生は様々である。その人生をどのように生きるか。残り少なくなってきた時間を改めて考えてみる。あるご婦人と話す機会があった。話は旅行の話になり、今年は3年ぶりに初めて北海道へ行く予定だととてもうれしそうに話している。私も北海道は行ったことはあるが、広いこともあって全部回ることはむつかしい。しかし札幌、函館、小樽は比較的近距離にあり、一週間ほどであれば周れないことはない。中でも小樽は女性には最も人気があるようで観光客が多いと聞く。その人によると数年おきに旅行をすることを計画しその間は普段の生活を大切にして過ごし、その楽しみを大切にしているのだという。(3年前は長崎を中心にした九州へ行った)つまり人生における大きなニンジンは旅行ということらしい。毎日をいかに有意義にそして楽しく過ごすか、これは優しいようでむつかしい。日々起きてくる様々な問題や、心にかかる悩み、不安、は誰にもあることだ。そんな毎日を過ごしながらどうその日を過ごすか、簡単なようでむつかしいものだ。その人は嫌なことやしんどい時になると旅行の時の楽しみに思いをはせ、「我慢」「我慢」と心に言い聞かせているとか。単純で簡単なことかもしれないが、とてもむつかしいことのようだ。
人生の過ごし方はこのような単純は方法でも、考え方をポジティブに変えられることもあるのだと感心して聞くことができた。
梅雨明けの近いこの頃は毎日蒸し暑く気分の晴れない日が続く。体調が悪いのかと不安になることもあるが、そうでもない、。さっぱりしないのだ。
こんな時は自分なりにその日の「にんじん」を見つけて楽しく過ごすことを考えたいと思っているこの頃である。

「声を聞き分ける人」

2019-07-15 10:31:18 | Weblog
ある会合で鉄道唱歌の替え歌である本の目次を覚えるようにしようという目的でそのテープをみんなで聞くことにした。何しろ鉄道唱歌といえば明治時代にできた古い歌で今では知っている人も少なりつつあるが、日本の鉄道名をつづった一番長い詩であることも有名で何かを覚えるには都合の良い歌になっている。そんなテープがあることさえ珍しいのだが、それをみんなで聞いていた。するとそれを聞いていたあるご婦人が「あ、この声は○○さんの声にそっくりだわ」という。私は驚いて全く知らない人の声でも分かるのかときいてみると、テレビでもラジオでも声を聴くだけで姿が見てなくても大抵の人は分かるという。私も家族の声くらいは分かるが、しばらく会っていないと友人知人、そして孫の声なども忘れて、電話がかかってくると「えーと誰だったかな?」と聞き返すこともあるほどである。しかし中には特別な感覚がを持ち合わせていて一度聞くと、その人の名前と声を完全に記憶できる人もいることを知りこれも訓練による特技の一つかと思わされて感心したのである。」そしてかつて若いころに放送劇団に所属して過ごした頃のことを思い出していた。20代後半厳しい兄の監視を逃れて新聞広告に応募して合格し、毎日仕事が終わると放送局のアナウンサーの訓練を受け月に一回の帯番組のドラマの役を充てられるのを楽しみにしながら3年間の時間は代えがたい青春であり、今では忘れられない思い出である。
もしあのまま福島にいたらへたくそなりに続けていただろうし、その時間の生きがいを生かしていたことであろうと思う。
東京では到底通用しないので状況とともにあきらめたが、もし機会があればそんなことを夢見ていたのかもしれない。しかし人は不思議なもので神様はそれぞれに尊い賜物を与えておられるのだ。そのことを人は気づかず自分自身を不幸と思い悩むことが多い。この機会に自分がどんな賜物を預かっているのかを確認したいものである。

「訪問者」

2019-07-08 10:40:04 | Weblog
私の家のような小さなアパートにも月に一回くらいの訪問者がある。嘗ては夕方になると新聞の勧誘のためにサービス品を手にかなりしつこい契約を迫られ神経を使ったものである。最近は新聞の購読者も減り、スマホやパソコンでの代替の影響からか新聞の勧誘はほとんどなくなり神経を使わないで済むようになった。それでも月に一度や二度の訪問者がある。時間も夜に近い時間だったり、先日も夕食を済ませのんびりTVを楽しんでいたら
「ご挨拶に参りました」と見知らぬ声がインタホン越しに聞こえてきた。こんな時間に訪ねてくる人もいないはずだと思いながらインタホンを覗くと若い青年が重そうなカバン手に立っているのが見えた。「、申し訳ないが体の具合が悪くてね」というと大抵の場合、だまってきえてくれるので、最近はこのパターンでお断りしているのだが、先日はいなくなった後、ふと「あの青年はあれからどうしているのだろうか?」と気になったのだ。
それは自分が仕事で営業活動で同じような売り込みをしていた時のことをふと思い出したのだ。
紹介も知人もなくただ同業であることだけで自社製品を紹介し、契約を取ることを目的とした仕事は嫌いではなかったが簡単ではなかった。後発メーカーとしては既存の契約メーカーとの競合で後れを取り、なかなか契約をしてもらうことはできなかった。若いこともあって「当社と契約されないとお宅は損をされますよ」と言い放って相手の購買担当者を激怒させ「帰れ」と怒鳴られたことはこの歳になっても忘れられない記憶である。さっきの青年は若い時の自分ではないか、世間の人は団欒の食事をしてくつろいでいる時間に一軒,一軒断られ続けながら仕事を続けなければならないことは
どんな思いであろうか、それがどんな内容であれ仕事は仕事である。私はその昔を思い起こしどんな思いで仕事をしているのだろうか。
「つらいだろうが、頑張れよ」と激励をしてやりたい思いが激しく迫ってきた。
人生は様々とはいえ、そんな時その人のことを思いやり、せめて激励の思いだけでも持ちたいと思わされたのである。

「訪問者」

2019-07-08 10:11:57 | Weblog

私の家のような小さいアパートにも月に一回くらいの訪問者がいる。その時間は昼間はなく夕方から夜にかけてである。嘗ては新聞の勧誘が多かったが最近は読者が減っていることで販売店も考えを変えたことなのかと思われるが、嘗てはサービス品を手にかなり厳しい勧誘に神経を使ったものである。ある日、夕食もすませてのんびりTVを楽しんでいるとインタホン越しに「今晩は、ご挨拶に参りました」という若い声が聞こえた。何かの勧誘か、宣伝の契約かいずれにしても今の私には用のない話で正直迷惑なのだが、出ないわけにもいかないので「申し訳ないが今体調が悪いのでお話を聞くわけにいかないので失礼する」と断ることにしている。するとほとんどの場合、黙って消えてくれるので、最近はこのパターンで断ることにしている。つい先日もこのパターンで何とか済ませたのだが、しばらくして不図どんな人が来たのかなとその訪問者の事が気になった。ほとんどの家族で遅い夕食をとる時間に手に書類の入ったカバンを持ち、一軒,一軒歩いているのだろう。今までならいなくなった時点でほっとして忘れてしまうのになぜか気になり始めたのだ。私も仕事をしていた時会社の製品を売り込むために営業で訪問販売をしたのだが、簡単ではなかった。当然ながら「今うちはB社と取引しているから」と断られ


「梅雨シーズンの中で」

2019-07-01 10:40:06 | Weblog

今年も梅雨がやってきた。湿度が高くなり蒸し暑いのが身体に何となく重くのしかかる思いだ。しかしこの梅雨は日本の四季の中で大きな効用もあり、梅雨でしか味わえない情緒もある。そう思うとわずかな日々がそれなりに意義を感じて納得する。嘗てはこ時期になると「紫陽花寺」を訪ねて楽しんだものだが、其れも叶わなくなった。最近は過去の軌跡を振り返ることが多いいが、其れもまた楽しい。神が与えてくれたこの日々をどのように大切に生かして生きていけるか。それは若い時でも、年老いても同じである。しかし若い時はその時間をかなり無駄に過ごしていた。ただ夢中で自分の許される範囲でただがむしゃらにエネルギーを消耗していた。それも人のためではなく自分のためだけにである。しかし今置かれている立場で出来ることはどれだけその罪を償いつつ時間を大切に生かすことができるかということだ。最近ではサラリーマンも余暇をあまり余裕をもって過ごす時間がないようであるが、私の場合は会社の費用で(良いことではなかった)余暇を楽しむことができた。それは主に食事であり、麻雀であり、ゴルフの時間であった。お陰で体力がついていける範囲で(下手)お付き合いができた。その代償として家庭的な時間を犠牲にすることになったが、それが現在罪悪感として気にかかるところである。しかしすべては「委ねられた」ことであり、自分でどうすることもできないことでもある。「委ねている以上自分で右往左往することなく静かに指し示されるままに」進みたいと願っている。