波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「新東京物語」⑤

2021-04-06 08:51:48 | Weblog
昌吾にとっては親元を離れ兄の所へ行くことは初めてということと同時に何かしら緊張感があった。年が離れていたことで兄弟としての生活感も感じなかったし、軍人生活をしていたこともあり、何かしら緊張と恐怖のようなものがあった。学校へは行っていたが、自由時間はなく遊びなどあるはずもなく厳しいものであった。そして卒業と同時に工場の作業員の一人として、朝から寝るまで拘束させられていた。帰宅後も報告書を提出して、注意を受け疲れて寝るだけの生活が続いていた。自由時間は教会へ行く日曜日だけで、この時間だけが生きがいであり、心休まる時間でもあった。遊んだり、休んだりしたい年ごろであったが、親もいないので甘えることもならず、壱穂は軍隊生活の習慣が抜けないままに厳しい指導を続けていた。そして4歳違いの弟も兄の希望で仕事の手伝いをするために福島へ来ることになった。名目は教育指導であったが、半分は工場要員であった。
そんなある日、二人は仕事から帰ると、いつものように仕事の業務報告をした。壱穂は二人の話を聞いていたが、何が気に入らなかったのか、二人の弟に正座をさせて長い説教が始まった。そしてそれに対して反省の詫びをしろと迫った。省吾はすぐ断りをして詫びをしたが、弟は何故か黙ったまま謝らなかった。壱穂の怒りは頂点に達し、二人をゆすすことなく怒鳴り続けた。省吾は弟を連れ出し、「詫びれば済むことだから」となだめたが、黙ったままである、そしてその日はそのまま終わったのだが、翌日弟の姿がなかった。慌てて探したのだが、見つからない。
そのままその日は過ぎたが、翌日になって美継から電話があり、岡山へ帰っていたことが分かった。やはり兄のしつけの厳しさに耐え切れなかったらしい。美継のはなしによると、帰宅すると蔵の中に閉じこもり、出てこないとのことであった。よほど我慢できないほどつらかったのであろうか。

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