我が家の住まい(アパート)の周りでお天気が良いときは一日一回(夕方)賑やかになる時がある。近所のぺっとを飼っている老人が(主に婦人だが)
5~6人連れ立って散歩をさせる時間である。時折犬の鳴き声と話し声が賑やかになる。普段は全く静かで物音ひとつしないのでその時間は世界が変わった感じすらするほどだ。私自身はペットの世界は正直よくわからないのだが、高齢者がその連れ合いを亡くすとその寂しさを紛らわす意味もあってペットを飼うことが多いらしい。私の尊敬する作家の曽野綾子さんもご主人がなくなってから猫を飼うようになったらしい。今では二匹の猫と一緒に食事をしたり、寝る時も一緒らしい。犬の散歩をする人も夫人が多いことも含めてどうやらぺっとは女性の必需品の傾向があるようだ。(男性ではあまり見たり聞いたりすることはない)猫は生来「温もり」を恋しがる傾向があり、その「温もり」を人も享受する傾向があるようだ。
かくして猫は人間と必要な存在として共存できるのだが、人間は他の人に対して「必要な存在」とはなかなかなれないのではないだろうか。何故なら深く関わればどんなに親しくても何となく「煩い人」と思われそうだし、わずらわしいとも思われることはどの家庭でもどんなに理想的な家庭でも夫婦でも同じではないだろうか。従ってどんなに親しい人でも家族でも特別なものにすることなく自然体でのありかたが良いのではないかと思っている。
一人暮らしは(妻を亡くして27年)気楽でよいのだが時々一人で食べる食事は味気なく寂しく思う時がある。9月のある時娘からラインで「明日一緒に食事しましょう」と招かれ、出かけて行った。地方に人るだけあるデパートのレストラン街で二人で「お寿司」を食べ、その後「お茶」をしながら、いつ果てるともなく話していた。話題は孫の二人の娘のことから始まり自分のバイトの仕事のことなど話題は尽きなかったが時間の過ぎるのも忘れ、日頃のストレスを忘れて話し続けていた。(敬老の日を祝っての
こうしたことを考えると食卓に会話があるのとないのとでは、食事の意味がだいぶ違うことがわかる。毎日ではなくても一人暮らしでも会話のある食事はその内容は違ってくることは間違いないと思う。2年前まで月に一度会食の時間を持ち気楽に昔話から最近お話までできた唯一の友人がいたたが、「脳腫瘍」)何十年かの生涯を生きたのち
「あの人とは良く一緒に食事をしたなあ」といえる人が多いほどその人は幸せなのかもしれない。
5~6人連れ立って散歩をさせる時間である。時折犬の鳴き声と話し声が賑やかになる。普段は全く静かで物音ひとつしないのでその時間は世界が変わった感じすらするほどだ。私自身はペットの世界は正直よくわからないのだが、高齢者がその連れ合いを亡くすとその寂しさを紛らわす意味もあってペットを飼うことが多いらしい。私の尊敬する作家の曽野綾子さんもご主人がなくなってから猫を飼うようになったらしい。今では二匹の猫と一緒に食事をしたり、寝る時も一緒らしい。犬の散歩をする人も夫人が多いことも含めてどうやらぺっとは女性の必需品の傾向があるようだ。(男性ではあまり見たり聞いたりすることはない)猫は生来「温もり」を恋しがる傾向があり、その「温もり」を人も享受する傾向があるようだ。
かくして猫は人間と必要な存在として共存できるのだが、人間は他の人に対して「必要な存在」とはなかなかなれないのではないだろうか。何故なら深く関わればどんなに親しくても何となく「煩い人」と思われそうだし、わずらわしいとも思われることはどの家庭でもどんなに理想的な家庭でも夫婦でも同じではないだろうか。従ってどんなに親しい人でも家族でも特別なものにすることなく自然体でのありかたが良いのではないかと思っている。
一人暮らしは(妻を亡くして27年)気楽でよいのだが時々一人で食べる食事は味気なく寂しく思う時がある。9月のある時娘からラインで「明日一緒に食事しましょう」と招かれ、出かけて行った。地方に人るだけあるデパートのレストラン街で二人で「お寿司」を食べ、その後「お茶」をしながら、いつ果てるともなく話していた。話題は孫の二人の娘のことから始まり自分のバイトの仕事のことなど話題は尽きなかったが時間の過ぎるのも忘れ、日頃のストレスを忘れて話し続けていた。(敬老の日を祝っての
こうしたことを考えると食卓に会話があるのとないのとでは、食事の意味がだいぶ違うことがわかる。毎日ではなくても一人暮らしでも会話のある食事はその内容は違ってくることは間違いないと思う。2年前まで月に一度会食の時間を持ち気楽に昔話から最近お話までできた唯一の友人がいたたが、「脳腫瘍」)何十年かの生涯を生きたのち
「あの人とは良く一緒に食事をしたなあ」といえる人が多いほどその人は幸せなのかもしれない。