波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに   「総選挙」

2017-09-29 09:57:43 | Weblog
規定どおりならまだ任期が一年余りあるこの時期に突然の衆議院解散が発表された。是には驚きもあるがそのよって来る理由もある気がしていた。3月ころから連日のようにワイドショーや新聞で騒がれるようになった政府関係者に関する問題や、スキャンダルまがいのニュースは今までにない騒ぎとなっていた。今の日本がしなければいけない国際問題をはじめ、経済問題ほか多くの大事な問題を抱えながら国内にたとえそれば個人的な問題だったとしても、政府に関係している人たちであれば「李下に冠を正さず」のたとえではないが、まずは身辺の問題を無くし製作に専念できる全員一致の与党体制を整える必要があったのであろう。その中にあってアメリカの新大統領との信頼関係をはじめ近隣の北朝鮮との関係をしっかりと対応していくことはかなりの時間と叡智を必要としていたことであろうと察しられる。そんな中で国内での瑣末な問題で時間と労力を割くことはかなりの犠牲を強いられたことと思われる。任期を余してこの時期に高額な予算(約600億)を犠牲にしてまで行うことの背景にはそれなりの意義があるものと理解したいと思う。それではなぜこのような事態に至ったのか、冷静に考えてみたい。
もちろんそれぞれの問題はその問題に関わった当事者に責任があったことは否めない事実であり、(事実関係の不明なものが多いいが)その周辺の人も無関係とは言えないのである。
それはその当事者を選んだわつぃたち国民も「責任者」であるといわざるを得ない。
新聞もマスコミもこれらの問題を取り上げて批判抽象的な内容を取り上げても、感易者を選んだ私たち有権者の問題には触れていない。それは当然のこととして不問にされているのかもしれないが、総選挙を前にして再度この問題を再認識する必要はないだろうか。
選挙において候補者を選ぶとき、何らかの「経歴」「実績」そしてそれぞれの人間関係から作られてきた「しがらみ」にとらわれて選んではいないか、真の意味で人間性とその国政に対する
実力を兼ね備えているかどうか、しっかりと見極めて選んでいるかどうか、組織がらみで義理と人情での選択になっていないかどうか、もう一度しっかりと吟味する必要が歩きがするしその責任を覚えたいと思う。

足跡    「満員御礼」

2017-09-26 10:19:47 | Weblog
9月の秋場所大相撲がめでたく終わった。場所前にけが人が多く休場力士が10人近く出ないとあって今場所は満員という日はすくないだろうと予想していたが、あにはからんや連日の満員で15日間を終えるという盛況であった。国技館は収容が焼く一万人といわれるのでそれほどの人数でもあないが(ほかのスポーツ競技と比較)それにしてもめでたいことである。
しかし私の記憶では一時期、満員になる日が一場所で何日もない日が続いていたことを思うと最近のこの盛況振りが、気になるところである。そこで少し注意してTV桟敷で見ていたが、詳しく調べたわけではないが、観客の層が変わっていることに気づいた。昔は相撲を純粋に国技として見物し、その内容についてもかなり厳しい目で見て批判や感想を述べるコアな観客が多かった機がするが、最近の客層はまず女性が増えたこと、外人がちらほらと目立つことなどが目立つようになった気がする。私も何度か桟敷席へ招待を受けてみたことがあるが(花相撲だが)、桟敷席はまだましで2階席や上段の席での距離だと土俵の力士の一瞬の動きをじっくり見ることはかない困難である。したがって客層は相対的に若年層になっていることもあるだろう。(高齢者では視力的にも難しいと思われる。)
つまり力士の髷と肉体的な体の姿が見られることが、目的でその内容は二の次になりつつあるのではないか、そんな気がしたのだ。そして力士のほうも数年前からすると体重が平均的に重くなっている。(140キロ台から160キロ)これは私も一度相撲部屋へ招待されたことがあるが、「ちゃんこ」の内容がかなり豪華であり、栄養が行き届いていることや、それに比例して
稽古量が不足していることが、影響しているようだ。それが最近の怪我に繋がるということで連鎖反応を引き起こしている気がしている。
相撲内容も昔は力士ごとに相撲の型が明確にあり、型を重視した内容であった気がするが、最近は若さとスタイルのほうに力点がおかれているようで内容が軽視されているようだ。
時代の流れとそのあり方も変わりつつある象徴を見た大相撲秋場所であった。

思いつくままに   「モチベーション」

2017-09-23 11:15:31 | Weblog
毎日生活をしていて、私のような老人でも最近「モチベーション」ということをとても大事な要素であり、此処に全ての原点があるように考え始めている。それは全て行動の考え方に大きな影響があると思われるからだ。何気なく行動しているその原点にこの「モチベーション」どのように働いているかということである。
ある人が「毎日仕事に行くことにかなりの負担とストレスを感じていることを話したことがある。確かに現実はそのとおりであり、厳しい実態であることはわかる。しかしそのような考えでいる限り、その影響と結果はストレスの堆積であり、環境への暴発に繋がることはあっても改善と良化への展開はない。しかしもしどんな仕事でもそれが人のため社会のため課程のためと少しでも自分を参加していると考えることが出来たら、少なくてもその負担の苦しみは少なくなり
それが浄化していけば「意欲」へと繋がり、少なくても苦労とか、ストレスへと繋がることはないのではないだろうか。
買い物もままならないので、通販形式の手続きで一週間に一回配達をしてもらっているが、この
葉一津担当の人の例を挙げると品物と同時に「お便り」が届く。そこには品物に問題はなかったか、何か希望はないかと書かれていると同時に自分の家庭生活の一端をこまごまと書かれている。
決して裕福な生活とも思えないし、仕事も楽ではないとも思えない。もちろん待遇もそれほどではないだろう。しかしその文章から伝わる明るさと希望と平和は購買者の私にも伝わり、大きな影響を与えてくれる。「モチベーション」の力は苦を楽二買える大きな力があることを知らされるのである。

足跡   「指導力」

2017-09-19 11:14:20 | Weblog
廣島が2年連続優勝をした。黒田、前田という投手がいなくなり、不安があったが
若手の無名とも言える選手の成長と全選手の全力一致の働きが最後まで続いた。
この力は肉体的な若さもあるが、その力を引き出した目に見えない「指導力」を
高く評価したい。残念なことに現在はどこの世界も「甘さ」が目立ち「厳しさ」が
敬遠されるようである。つまり現代に合った指導、いい変えればその人の立場に合った指導が
出来ていないようである。過去の自分が身に着けた技術であったり、単に厳しさだけを
強いては効果は出ない。
本当の「指導力」が結果に繋がった証あると思う。

        思いつくままに   「台湾旅情  ⑤」

2017-09-15 13:36:29 | Weblog
台湾の人口が2千五百人程と思われるが、その国民性は大変穏やかに思われる。治安の良さは日本と変わらないし一人で歩いても平気だし安全である。その環境はどこから来るのか考えると一つに「信仰心」がある人が多い事があげられる。日本も神社仏閣が多く変わらないが、今回市内の中央にある゜「行天宮」へ行った。其処には朝から熱心な参詣者であふれ、一人ひとり熱心に経本を読んでいる。参詣者には単なる物見遊山者はなくはじめての者もその荘厳さに引き込まれてしまうほどである。質素ではあるが各人が熱心であり、真剣である点では日本より上かもしれないし、貧しさ故に「平安」を求める気持ちも強いかもしれない。
台湾の家庭は通常゜夫婦共稼ぎ」であり、それが外食習慣につながっているかもしれない。

足跡   「台湾旅情  4」

2017-09-12 14:44:52 | Weblog
台湾観光でかかせないものに「夜市」がある。夜になると市内のあちこちに昼と違う台湾独特の顔を見ることができるのだ。泊まったホテルの近くにあるさんほがてら見たことはあったが、
「士林」しの夜市は特別で、夕方から深夜にかけて歩道いっはいの人の流れができる。
駅から近いこともあり、毎日行列ができる。
約一キロほどに立ち並ぶ店とその地下一階の食堂街に圧倒される。週末ともなれば歩くのもままならず高齢者は注意がいる。
このエネルギイが台湾をささえているのだろうかと思う。