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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

軍事依存経済 武器生産再開の起源④ 兵力50万人の軍拡構想

2016-05-09 14:19:35 | 平和・憲法・歴史問題について
軍事依存経済 武器生産再開の起源④ 兵力50万人の軍拡構想

経済団体連合会(経団連)のもとに軍需産業界の要望をまとめる防衛生産委員会が設立された背景にも、米国の思惑がありました。
同委員会の千賀鉄也事務局長(当時)は後日、「防衛生産委員会は、アメリカとの話合いのもとにできた」(エコノミスト編集部編『戦後産業史への証言三』)と述べています。双方の共通の関心事は、日本の軍事力を増強し、武器生産を拡大することでした。
1952年に本格化した米軍からの特需が遠からず終わるという見通しは、関係者には自明のことでした。51年7月にはすでに朝鮮戦争の休戦会談が始まっていたからです。



市中を行進する保安隊=1952年

特需終了見越し
日本の財界は武器生産の継続性という問題に突き当たっていました。米軍特需の終了を見越して、将来の武器需要を確保することが喫緊の課題でした。
そのために財界が選んだ基本路線は、米国にすがりつくことでした。千賀氏は次のように述べています。
「アメリカの占領政策が終了し、経済援助も空白状態になりかかっている。一方、朝鮮動乱もいずれ終わって、朝鮮特需もなくなる見通しにある」
「日本経済は自立するどころか、極めて苦しい状況に追い込まれかねない。このような状況を打開するため、アメリカとの経済協力関係を恒久的なものにしよう。そのために、アメリカの経済協力を要請する一方、日本の工業力を積極的に活用してもらいたいと要望した」(『証言』)
他方、アジアでの戦争に膨大な費用を注ぎ込んでいた米国の考えは、「日本にも自衛力を持たせ、アメリカの直接的負担をいくらかでも軽くする」とともに、「アメリカの国防動員計画に、日本の経済力を活用したい」(経団連防衛生産委員会『防衛生産委員会十年史』)というものでした。
軍事費を増やし、「自ら努力する」ことを日本に迫っていました。

米大使館員交え
米国と協力してこうした課題に取り組むために、経団連は52年に経済協力懇談会を発足させ、内部に防衛生産委員会を置いたのです。経済協力懇談会は、日米協力を進める特別組織として経団連が51年につくった日米経済提携懇談会を改組したものでした。
改組にあたって経団連は、「アメリカ大使館経済部次長P・カー氏を交じえて意見の交換」を行い、米国の思惑を把握しました。発足した経済協力懇談会は「米国等との提携のもとに、極東諸地域に関する防衛生産の強化に協力」することを目的に掲げました。
日本の軍拡は、日本の財界自身の宿願でもありました。米軍特需に代わる武器需要が、日本政府によって生み出されるからです。
「将来の危険を極力少なく、しかも一定のバランスを持った堅実なかたちにおいて兵器工業を再建しようとすれば、結局、日本自体の自衛力の将来規模がなんらかのかたちで明らかにされ、これを基本的なベースとして進めていくことが、どうしても必要であった」(『十年史』)
こうした考えに基づいて経団連防衛生産委員会は53年、「将来わが国の保有すべき防衛力の規模」に関する「試案」を作成しました。陸上兵力は30万人、海上兵力は7万人、航空兵力は13万人で計50万人。艦艇29万トン、航空機3750機という巨大な規模でした。国民所得に占める軍事費の割合は最大10%と見積もりました。
現在、自衛官の現員は22万6742人(15年3月現在)です。その2倍を超す軍事大国化を構想したのです。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年5月4日付掲載


「生産的」なものの真逆をいく軍事費。
戦争が終わっても、どこかに使い道がないか探しまくった…。
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