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薔薇の水やり



真夏に逆戻りしたような火傷しそうな太陽光線。
夕方薔薇に水やりしている様子を撮りました。

YouTubeにはこんな説明を加えました。
ジョーロの先端部をホースにつないで薔薇の水やり。
薔薇は水を好みます。この水は集落が引いている湧き水の余り水。
私たちの飲み水である大自然のミネラルウォーターです。
薔薇の上にそびえるのはハーブの西洋ニンジンボク。

Oneness



4日ほどまえに降った夕立を境に
夕方はツクツクホウシ、夜はコオロギたちの楽園・・・
秋虫のウマオイムシも玄関先でスイッチョ・スイッチョと鳴いています。
唐突に天候が変化しました。
空模様も目まぐるしく変わります。





昨日話題にしたOnenessのブレスレットのバリエーションです。
透明な水晶がダイヤモンドカットされているのでキラキラした感じがあります。

ビー・ブロッサム



今日、ヴィラモがつくったブレスレットを撮影しているとミツバチが映りこみました。これはOnenessと名づけるそうです。

今、背景のガウラ Gauraにミツバチやトラマルハナバチが盛んに吸蜜に来ています。
彼らのような花の蜜を吸う蜂を花蜂といいますが、欧米では「Bee」。「blossom」は花。
ガウラは花蜂が集まる花「Bee Blossom」とも呼ばれます。
エンジェルファームでは20株ほどが大株になって見事です。



こちらは8月22日に撮りました。
Beeたちはガウラに集まるとき、なぜか慌ただしいので撮影が難しい。
今日もたくさん撮りましたが、採用できるものは撮れませんでした。

鷹の爪



タカノツメがいい感じで育っています。
鷹の爪に似るのでタカノツメというそうです。
日本のトウガラシです。

ナマの実の状態だとほどよい辛さです。
乾燥すると恐ろしく辛くなります。
乾燥したタカノツメに触れたあとで
目に触れたことがあります。

救急車を呼ぼうかと思うほど
目が痛くなりました。
目が溶けるのではないかと不安になりました。
我慢しているとおさまったけれど・・・



ナマの実を恐る恐る食べてみたことがあります。
意外にもマイルドで美味しい。

本当はこれを使うべきなんですね。
ナマはスーパーマーケットで流通していない。
本当に美味しいのはスーパーにはないナマでした。

カエルと暮らす



夕方、「カエルが竿から降りた」とヴィラモが知らせてくれました。
「女の子は上から見てる」と。

テレビも新聞も雑誌もみない私たちにとっては
日々こういうことが重要なニュースです。
私はカメラを持って急いで現地に向かいました。
(私たちが生活している部屋のすぐ外ですが)

男の子(たぶん)は日没の方向を向いていました。
痩せていないので安心しました。



上のカエルの眼を拡大したら、沈む太陽が映っていました。
6時15分でした。



ヴィラモの言ったように、女の子(たぶん)は上から見下ろしていました。



実はふたりが弱っているように見えたので
本日、かんたんな屋根を設置してやりました。
使っていなかった台所用品です。



夜8時32分。
様子を見ると、ひとりがサッシの下の方にいて
光に集まる蚊のような小さな生き物をとらえていました。
なるほど夜になると「食べ放題」。
昼間は外敵から隠れてじっとしている。

カエルを知るために解剖したり
脳や血管や臓器の細胞を電子顕微鏡でみる方法もあるでしょう。
鉱物のことを知るために、マグネシウム何%とかケイ素が何%といったことを分析する方法論もあるでしょう。

私たちはこんなふうにカエルのそばで暮らします。
鉱物を毎日腕につけて暮らします。

真夏の薔薇2



夕立も降らない猛暑の夏。
こんなワイルドな過酷な環境で
薔薇が暑さと乾燥に耐えて咲く。
その様子に感動し、薔薇を尊敬します。

薔薇たちは菌類、細菌類、ウイルスたちと共生して素晴らしい花を咲かせる。
私たちは薔薇に殺菌剤や殺虫剤を噴霧したことがありません。
化学肥料も使いません。
薔薇から学ぶことがたくさんあります。







水の飛沫を見つめる



昨日、ヴィラモもiphoneでアマガエルの愛の隠れ家を撮っていました。
私が昨日撮ったものよりいいのでアップしておきます。
まったく雨が降らない。
過酷な暑さのなかで
こんなふうに仲良く暮らしている。

だいじょうぶかな?
ミイラになってしまっていないかな?
そう心配して見るんですが
意外に元気そうです。

アマガエルがこんなに仲良く暮らす姿
私たちは初めて観察しました。



涼を求めて近所の滝(落差1m30cmなので本当は滝ではない)へ。
歩いて散歩する距離ですが、あまりに暑いので車を使う。
しばし暑さを忘れて水に見入りました。
設定→画質→最高画質に設定して見ていただけたら嬉しいです。

連日猛暑



連日殺人光線が降ってきます。
温室で電照菊を栽培されている農家が近所にあるんですが
従業員が恐らく熱中症で倒れたのでしょう
救急車で運ばれ、近くの運動場からヘリコプターで
大分市方面の病院にむけて飛んでいきました。

何かヒリヒリするような刺すような熱射。
経験したことのない暑さだと高齢のかたが言われます。

とてつもない暑さのなかで
うちの物干しざおに棲むふたりは
まだ何とか生きのびていました。



コロナウイルス、そしてコロナ騒動による経済封鎖。
この猛暑で野菜が急騰しています。
世界恐慌や食糧危機の不安も起きています。
戦争のうわさまで起きています。

どのような悲劇が起きてもおかしくない。
歴史はずっとその繰り返しでした。
でも乱世だからすべてが崩壊するというのではなく
ハートのなかのダイアモンドをみつける人たちもあります。
むしろ乱世こそ、ハートのなかに蓮華の花をみつけるチャンスなのかも知れません。

仏陀は乱世の覚者でした。
釈迦国の王子である仏陀が出奔することによって
釈迦国は他国に責められて滅亡しました。
道元禅師も一休禅師も安全・安定の時代の覚者ではありません。
むしろ乱世の覚者だと思います。
そうそうナザレのイエスは現在も続く争乱の地
パレスチナ地方に生まれ愛を説きました。

終戦



黒船来航(1853年)以来、日本は戦争に次ぐ戦争を経験しました。
幕末の内乱、戊辰戦争、西南の役、そこまでは内乱
それから日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争。
無差別空爆、沖縄戦、原子爆弾投下。
そして1945年8月15日、日本は無条件降伏。

黒船来航から無条件降伏まで92年。
富国強兵、殖産興業・・・近代化・欧化に努めた92年の結論が
原子爆弾と無条件降伏でした。

あの敗戦から75年の月日が流れました。
戦争放棄をうたう平和憲法が成立し
少なくとも日本が積極的に侵略したり
日本が戦場になる戦争は起きませんでした。

けれど隣国で起きた朝鮮戦争、そしてベトナム戦争では
日本はどっぷりアメリカを支持し
その戦争が日本の高度経済成長の引き金にもなりました。

高度経済成長によって日本はふたたび豊かな国になっていくのですが
環境破壊やイタイイタイ病、水俣病、四日市ぜんそく等の公害病問題も生まれました。
現在でも過労死問題は続いています。
国民の幸福度は低く、若年層の自殺が世界トップレベル。
そして2013年の福島原発事故。

日本の近代化は世界で類をみない大成功だったと言われます。
GDP等の指標でみればそうなんでしょうが
経済優先の犠牲として起きた
三つの原子力爆発に象徴される驚くべき生命軽視を想います。
1945 ヒロシマ・ナガサキ
2011 フクシマ

黒船来航から続く戦争は1945年の無条件降伏で終わっていない
戦争はずっと続いていると私は思います。

ではどうしたら「本当の終戦」を迎えることができるのでしょうか?
これは一般的に経済問題、政治問題、社会問題、国際問題と思われています。
それがそもそも間違っていた・・・

たとえば4世紀~5世紀ごろのインドの仏教ヨーガチャーラ派(唯識瑜伽行派)のヴァスバンドゥ(世親)は「アビダルマ・コーシャ」(阿毘達磨倶舎論)でこう述べています。

今のあなたたちが、何をしようと世界に混乱や破壊をもらたらす。
良いことをしようとしても、混乱や破壊をもたらす。
なぜか。
それはあなたが混乱であり破壊だからだ。
あなたはまず、自分自身の意識の内側に、平和や調和や沈黙や愛をみつけなくてはならない。


驚くべき宣言です。
政治家や社会活動家、社会学者、経済学者は逆のことを言っています。
政治や経済や社会が良くなったら、私たちは平和や調和や愛を手に入れることができ幸せになれると。

「アビダルマ・コーシャ」はまったく正反対のことを言うんです。
「アビダルマ・コーシャ」は異常でしょうか?
ヴァスバンドゥは気が狂っているのでしょうか?

みんなが尊敬する仏陀釈迦牟尼やイエス・キリストも、空海も最澄も道元禅師も一休さんもヴァスバンドゥの意見に賛成すると思います。
そうそう、お盆でお坊さんが読むありがたいお経も、現代語訳をちゃんと調べたらヴァスバンドゥに賛成しているはずです。


波の盆



昨朝、ヴィラモがiphoneで撮りました。
物干し竿、長く使っているとフタがどこかに行って
こんなふうになってしまいましたが
アマガエルたちの愛の隠れ家になっています。



『波の盆』は1983年11月15日に放送されたテレビドラマ。
武満徹が主題曲の作曲を担当しました。
岩城宏之指揮、演奏は東京コンサーツ。
岩城宏之が泣きながら指揮したという伝説のサウンドトラック版です。

2000年に尾高忠明指揮・札幌交響楽団で演奏したときも、「レコーディングの最中、私は涙を禁じえなかった、そしてファーストバイオリニストの眼にも涙が浮かんでいることに気づいた・・・」と尾高忠明が書いているという。



こちらは田中祐子指揮。
曲の魅力をきちんと伝える素晴らしい指揮。
演奏者の息づかいを伝える素晴らしい撮影だと思います。



ドラマの一部です。詳細は↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E3%81%AE%E7%9B%86

真夏の薔薇



きびしい暑さのなかで咲くソフィーズローズ。



ソフィーズローズの花びらのうえで
けんめいに生きるバッタの赤ちゃん。

Abundance Stone



エンジェルファーム設立(2002年)以来シェアしてきたヒーリングや瞑想のワーク。そして一緒にくらしてきた様々な生物たち、育ててきたたくさんの植物たちから学んだこと、その18年間がこのシンプルなブレスレットに凝縮されていると思います。

それと2013年以来ヴィラモが学んできたリーラ、プラサード、アルヴィナのハート瞑想やチャクラヒーリング、エッセンシャル・ライフ・・・が反映されています。



今夜の三点はヴィラモの最新作です。
身につけることで一日中思い出すチャンスがあります。
ハートや内なる本質をです。
仕事や雑用の忙しさのなかで忘れていても
ベクトルを内側に向けるチャンスが・・・

ウサギ2005



エンジェルファームの設立は2002年。
初期のころにはネコ6匹、犬2匹にアイガモ、ニワトリ、チャボ、ウコッケイ、ウズラ、金魚、メダカそしてウサギも同居していました。
上の写真は2005年10月16日のウサギたちの様子。

母から聞いた話ですが
戦争末期、食料不足におちいり
母のお父さん、つまり私の祖父は
飼っていたウサギを殺したという。

母は晩ご飯にでたウサギの肉を食べなかった。
いくらおなかがすいていても可愛がっていたウサギを食べられるわけがないと母は語った。
子を持つ親になってみて、栄養をつけさせたいと考えた親の気持ちがやっとわかったと言いました。

75年まえの今日、8月9日午前11時2分長崎市に原爆が炸裂し、市の人口24万人のうち約7万4千人が死亡し、建物の約36%が全焼または全半壊しました。

アメリカは第三、第四の原爆を用意していました。
無条件降伏が遅れていたらヒロシマ、ナガサキのあとに
ヨコハマ、オーサカ、ナゴヤ、キョート・・・と続いていたかも知れません。

1943年9月8日、同盟国のイタリアが無条件降伏。
1945年5月7日、同盟国のナチスドイツが無条件降伏。
1945年6月5、大日本帝国はミッドウェー海戦で決定的な敗北。
それ以前の1945年4月1日、米軍が沖縄上陸。
日本中の都市で無差別空爆。
戦争末期の東京大空襲では爆撃被災者約310万人、死者11万5千人以上、負傷者は約15万人以上、損害家屋は約85万戸。
そんな地獄のような状況でも「一億総玉砕」「本土決戦」を叫ぶ人々が権力を握っていて、結果ふたつの原子爆弾を招いた。

実は戦時下の大日本帝国も原子爆弾の研究をしていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E9%96%8B%E7%99%BA

もし日本のほうが先に原爆の開発に成功していたら、帝国が勝利しアメリカが敗戦国になっていたでしょう。
大日本帝国は世界の覇者となり・・・
私は非国民として処刑。
そのまえに父が非国民として処刑されていただろうから、私は生まれていなかったでしょう。

まあそういうことがなかったおかげで、エンジェルファームで暮らしていたウサギの写真をアップすることができます。
いままた戦争を容認する人々が復活しています。
戦争は負けても勝っても悲劇です。
私たちはそのことを何千年もかけて学んできたと思います。
もう充分です。
コロナウイルスのことを「戦争よりずっといい」とヴィラモは言います。



アイガモ2005



2002年、アイガモ農法を試みました。
そのとき生き残ったアイガモたちのために
裏庭に池を作ってやりました。
これは2005年10月20日の様子。



アイガモが動くと美しい金色の波紋が揺れ動き、次々と変化します。





このアイガモたちも逝き、池を埋めてずいぶん年月が流れました。
スイレンの栽培のために池を復活させる計画もありますが、なかなか手がまわりません。

天使たちの思い出



二匹の子猫の兄弟をもらった2001年。
まだエンジェルファームは始まっていません。
ヴィラモがミクロとマクロと命名しようかと言う。
ちょっと硬いかな。
ミクロがすべってミロクになり
ミロクとアミダになった。
上の写真はアミダ。
ミロクとアミダは仲良く育ったけれど
子供から大人になるころアミダが家出した。



ミロク。



大人になったミロク。
闘争本能が乏しく、地域の野良猫に連敗。
小便をかけられて泣きべそをかいて帰ってきた。
けれど際立って美しく優しく賢かった。
「さすがエンジェルファームの猫」と思ってもらえたんですが
2010年6月に何のまえぶれもなく突然亡くなりました。

2010/06/29
2010/07/01
2010/07/02
2010/07/05
2011/11/02



ビッチは野良猫でした。
私は飼うことに反対したんですがヴィラモが助けてやりたいと言い、ミロクが彼女に優しくした。
ビッチはミロクのすることなすことみんなまねして、優雅になっていきました。
ヴィラモは「ビッチゃんお姫様になる」というページを構想していました。

みなしごビッチ物語
ビッチの思い出

長くなったので、続きはまたにします。



ラティ。



ラティの子供、マル。



ラティの子供ウリ。



ヴィラモが愛したウリ。
ウリもヴィラモのことを生涯したいました。
これは日の入りの光を浴びて恍惚となっている様子。



そして逝ったばかりのミカ。
ミカはミカエル、ウリはウリエル、ラティはラティエル、みんな天使の名前です。
マルは福音書家のマルコ。
ミロクは弥勒菩薩、アミダは阿弥陀如来。

ビッチだけが・・・
チビの反対からビチ、そしてビッチになりました。
子猫のとき野良猫だったから
乱暴なところがあったんです。
小さいからチビと呼んでいたんですが
乱暴するからかわいくない。
それでチビの反対のビチになったのでした。
そんな子がミロクのおかげで、お姫様のように優雅になっていった。

みんなと暮らした日々はかけがいのないものでした。
ありがとう、またどこかで会いましょう。
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