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皆既月食



ひさびさのブログ・・・昨日の皆既月食。
エンジェルファームから撮りました。
朝から曇っていたので、たぶん雲に覆われて見ることができないだろうと思っていたら、しっかり天体ショーを楽しむことができました。









それにしても、地球という星に生きていることの不思議を思います。地球が存在し、無数のコオロギが鳴き、ヒトが存在し、月を見上げている自分がいる不思議です。眼を閉じても意識があって、それは思考ではありません。それは思考をみることをできます。みる意識と思考は別物です。

デカルトは思考するゆえに私は存在するといいました。なるほど思考するゆえに“私”が存在する。思考をみる意識には“私”が存在しません。“私”という色に染まらない意識がただ存在する・・・

ヨーガスートラは、みる意識が私たちの本質だといいます。それが禅や現代のクリシュナムルティやOSHOの宣言でもありました。

多くの場合、その意識は思考と同化しているとヨーガスートラの冒頭で述べられています。社会生活、日常生活のなかでは“私”という中心をもつ思考と同化しているのが普通の状態ですが、それが私たちの本質ではないということです。私たちの思考がとらえている世界観、私たちの思考が作りあげている価値観・・・そういうものをこっぱみじんにしてくれる契機があるものです。ふっと信じていたものが崩壊し、わけがわからなくなる・・・

ルナティック(月球的/狂気じみた)という言葉は、“私”を確立する思考を狂わせる状態を意味します。昨夜のような皆既月食は、古来ある意味、狂気か覚醒かというようなときであったのかも知れないと思いました。