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ツクツクボウシ





エンジェルファーム前庭のキンモクセイ。
眉毛と目みたいに見える節があって
その下にツクツクボウシがいます。

見事な擬態です。
“ツクツクボウシ”という鳴き声が聞こえなければ
これを見つけることはまあできないと思います。
羽が透明である点が特に秀逸ですね。
それによって環境にまぎれることができます。
擬態の究極は透明であることでしょう。



個性的な“ツクツクボウシ”という日本の夏の音が
体長3cmほどのごくごく小さなこんな姿のセミが発声していることを知っている人は少ないと思います。それは彼らの天才的な擬態に原因しているのでしょう。

“カナカナ”と鳴くヒグラシ、“ミンミン”と鳴くミンミンゼミ、“シャーシャー”と鳴くクマゼミたちも透明な羽を持っています。

声はすれども姿は見えず・・・忍者のようなセミたちです。

黒真珠カレー



8月5日に撮影した黒真珠“米茄子(ベイナス)”。



8月6日、上の米ナスやピーマンを収穫して
市販のルーを使わない本格的なインドカレーをめざす。
辛みは庭で収穫した青トウガラシと
アーユルヴェーダで使われる紅塩(ヒマラヤ岩塩)。



様々な薬草を調合したカレー。
それはインドの薬膳でした。

ターメリックが“肝臓に効く”というのは
よく知られるようになってきましたが
認知症予防効果があることもわかってきました。

黒い真珠



成育中の小さな米(べい)ナス。
盛りが過ぎたものの、まだ収穫できそうです。



それにしても、赤紫色を含んだこの黒い光沢
黒い真珠といえます。



米ナスの花。



8月5日撮影。
主にカレーにしていただきました。

日本橋



最近民放のBSで「ALWAYS 三丁目の夕日」を見ました。
しばらくして続編の放映もあってそれも見ました。

「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画のことを知ったのは、2012年4月22日に湯布院で開催されたホリスティック医学協会会長・帯津先生の講演でした。
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/cb87b2d264c3117749864477971de772

先生は「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界に戻らなくてはならないと言われました。長い戦争が終わって、やっと平和に暮らせる喜び、人と人が助け合い明るい未来を希望していた時代、貧しくても心豊かであった時代・・・その昭和30年代を思い出そう、というようなお話がありました。

私はそのような映画のこと全く知りませんでした。数日前BSで「続 ALWAYS 三丁目の夕日」を見ていると、去年11月25日に行った日本橋がでてきました。





今の日本橋と違って、上空に高速道路がありません。
下は去年の11月25日に撮りました。
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/bb69607e11dd98a11174819db3a82fa3











↑「続 ALWAYS 三丁目の夕日」の感動のラストシーン。
三人は日本橋から夕日を眺めています。



こちらは2013年11月25日、私は日本橋から上のラストシーンと同じ方向を見ていました。

私たちは何を得て何を失ったのか・・・

羽を持った山の神



大分県竹田市直入町長野地区に残されている山の神像。
実はこれ、別府の写真家・藤田洋三氏の著作「世間遺産放浪記」に載っているのを見てから気になっていました。
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/e8f8f9b9b63c68df1038c24162270784

いつか見たいと思っていたら昨日出会うことができました。
旧明治小学校を改装した素敵なスペース・竹田総合学院で開催されている「竹田キリシタン 南蛮文化ウィーク」に展示されていました。







一つ目のこういう姿、フランス象徴主義の画家、オディロン・ルドン(1840~1916)が描いています。





ルドンが描いたのはギリシャ神話に出てくる単眼の巨人・キュクロープス(サイクロプス)です。


Wikipedia

これはギリシャのタソス島で出土した大理石製のキュクロープス像。
紀元前2世紀の作です。

ヒンドゥ教の神像や仏教の仏像で表現されてきた「第三の眼」につながるものではないでしょうか。タソス島の大理石像では、肉体の二つの眼は閉じられてその間に霊的な単眼が開いている。



霊力にたけた比叡山延暦寺19代天台座主・慈忍(じにん)大師(943~990)は死後このような姿になったという。



日本各地に伝わる一つ目小僧・一つ目入道伝説の原点はこの慈忍大師の姿にあって、だから彼らは僧衣をまとっているという。ところがこの長野の山の神は羽をまとっています。そしてそのようなものはここ竹田にしかないというのです。

アオガエルとの再会



雨また雨の前代未聞の夏でしたが、昨日待ちに待った快晴。
このチャンスに布団を干すための竹を切りに近くの竹藪に入って見つけました。
竹につかまってじっとしているアオガエル。

アマガエルはどこでも見かけますが
アオガエルにはめったに出会うことはありません。
アマガエルに似ているといわれますが
より大型で、皮膚の感じが違います。





http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/11a50a236150322cbe861f29e6df63e5
↑2009年07月08日に書いたブログで、このアオガエルをモリアオガエルとして投稿しました。二ヶ月ほど前だったでしょうか、それを見た新聞社のカメラマンのかたが電話で問い合わせて来られました。九州にはモリアオガエルはいないはずだと。

それで気になっていました。次にアオガエルを見かけたら、モリアオガエルかどうかをしっかり観察しようと思っていました。







アオガエルには可愛そうでしたが、しばらく容器のなかに入ってもらいました。
そうしてみると、モリアオガエルではなくシュレーゲルアオガエルのようです。
実はたいした違いはなくほぼ同型なんですが。

あやとり



昨夜に続いて後藤絹さんの作品「綾取り」。
子供の時、綾取りして遊びましたか?
桂子は遊んだと言います。

私は当時の男の子の遊びに夢中だったので
子供のときには綾取りは知りませんでした。
当時、綾取りは女の子の遊びでした。

実は綾取りは古今東西、世界中にあるそうですね。
古代文明の時代には呪術として使われたという。

今の子供たちに綾取りは伝承されているでしょうか?

母は私に綾取りを教えませんでした。
思えば多くのことを私に伝承しなかった。
その背景には、敗戦の衝撃があると思います。

思春期に国粋主義の教育をされ
敗戦の1945年8月15日からは
突然正反対の教育をされる。

教師や親や社会や伝統文化に対する不信感や反抗心が
世界中の若者の心のなかに高まり
「アプレゲール」と呼ばれる世代を生みました。
フランス語で「戦後」を意味します。

私が思春期のころ、母は自分たちの世代は
アプレゲールと呼ばれたと言いました。

昨日まで天皇陛下を敬う教育だった。
昨日まで“鬼畜米英”だった。

翌日から“民主主義教育”になって
米国民主主義を礼賛しなくてはならなくなった。

昨日まで軍国主義教師だった先生が
今日からは民主主義教師になる・・・

1945年8月15日から先生が
180度言うことが変わった。
新聞も同じ。
昨日まで日本軍の戦勝を報じていた新聞が
次の日からいきなり軍国主義を否定し
民主主義を説き始める。

敗戦時に思春期であった私たちの父母の世代に
もの凄い衝撃があったと思います。
その衝撃が現在にも影響していると思います。

後藤絹さんは敗戦時26歳で、すでに大人でした。
彼女の作品は政治的に右寄りでも左寄りでもなく
ごく普通の庶民的なあたりまえの主婦の視点が
今となっては貴重な遺産だと思います。

玉音放送



8月30日、豊後大野市の友人に誘われて
13年ぶりに豊後大野市緒方町の狸楽の郷(りがくのさと)を訪ね
後藤絹さんの紙粘土人形と13年ぶりに再会しました。

この作品は1945年8月15日の敗戦の玉音放送の様子。
絹さんは空想で作っているのではなく
過去を想起してそれを再現しています。

だから集まっている人々について
なんとなく作ったのではなく
みんなひとりひとり
あの日あの時に集まったかけがえのない
実在の人物だと思います。

絹さんは大正8年(1919年)生まれだから
あの敗戦の日、26歳でした。

おそらく一番手前の女性が絹さんで
その右隣のお婆さんが彼女の姑でしょう。



玉音放送が流れたラジオです。



柱時計は12時を指しています。
玉音放送は1945年8月15日の正午に始まったのでした。

思えばその時、1929年生まれの私の母は16歳、父は15歳でした。

火の体験



先日、前庭の大手術をしました。

私たちがここに来る前から植わっていたヒイラギ、コウヤマキ、チョウセンマキ、ヒヨクヒバと私たちが植えたエレガンティシマを一日がかりで切り、一日がかりで燃やしました。雨が多くてしけっているので燃えつきが悪かったけれど、夕方ようやくガンガン燃え始め、日が暮れても燃え続けました。こういうことができるのは田舎ならではです。



これらの樹は精油分が多くいわば薬木であり、燃やすと良い香りがエリア全体に広がっていきました。場を清める神聖な火・煙・香り・・・火祭りや密教の護摩、仏教の常香炉、アロマセラピーの原点だと思います。



人類はずっとこうして火を見つめてきました。
動物から身を守るため。
明かりをとるため。
暖をとるため。
料理をするため。

人類がこういう炎を見なくなったのは最近のことです。
ガスや電気がそれに代わったからです。



現代はこういう火を実用としては必要なったのですが
心理的には火の体験が必要だと思います。
人類の心身の深層にある根元的な感性を揺さぶるためにも
火を見つめることは役立つと思います。