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エンジェルファームNEWS
大森貝塚
11月25日、JR大森駅で下車して徳富蘇峰旧居・山王草堂記念館を訪ねたんですが、駅前の案内地図を見て、この大森が大森貝塚の大森であることがわかり、山王草堂記念館のあとは大森貝塚を訪ねることにしました。
「史跡大森貝塚」の矢印の方向を見ると、ビルの谷間。こんなところに貝塚史跡があるのだろうかと不審に思いながらも進んでいくと・・・
大森貝塚を発見したエドワード・S・モ-ス博士の案内版。この先に何らかの史跡があるに違いないと胸躍らせて進んでいくと・・・
唖然・・・石碑がひとつあるだけ。
そんなはずはないと、ここを管理しているらしい隣接するビル(NTT)の入口の管理室に行って聞きました。「大森貝塚に来たんですが、石碑があるだけなんですか?」
答えは「はい」でした。
そんな馬鹿なという顔をしたのでしょう。もう少し歩いていくと品川区のほうに庭園があります。そちらの方にいろいろありますという説明。
少し歩くと、JR大森駅のある大田区から品川区に入り、確かにこんな庭園がありました。勢い込んで進んでいくと・・・
なんやこれ???
たまたま公園を横切っていく若い男性の二人連れが「この蒸気、いつもやっているけれど、意味ないよね」と話し合っていた。私も同感します。
モース博士の銅像は意味あると思います。
この公園で最も意味あるのは、ここでした。
貝塚(古代の人類のゴミ捨て場のうち当時の人々が捨てた貝殻が積み重なったもののことである:Wikipedia)の本物です。
公園にはこんな案内板がありました。
この遺跡の縄文後晩期(約3000年まえ)の想像図。
以前からそう考えているんですが、私はこの時代の人々は幸せだったのではないかと思います。だから日本では縄文期が長い。
海の幸、山の幸、食べ物が豊富だったと思います。
インドでは仏陀、中国では老子や孔子、ギリシャではソクラテスたちがBC5世紀として、日本の縄文時代は長すぎると思います。が、文明が遅れたのではなく、彼らは幸せだったのではないかと私は想像します。幸せの文明にひたっていたのではないかと。“時間”など無かった。永遠の今を謳歌していた。進歩の必要がなかった・・・。今の私たちの文明と正反対です。電化製品も衣装もインテリアも車も次々刻々進化します。でも幸せじゃないんです。
空港に向かうためにJR大森駅に戻ると、こんなモニュメントが。
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