こんな気持ちでいられたら

中年病理医が日々思うあれこれ。
いろんなことがあるけれど、プラス思考で前向きに、笑顔で楽しく生きていこう。

いい夫婦って、どんな夫婦?

2017年11月22日 | 家族

11月22日は語呂合わせで、いい夫婦の日というそうだ。ずいぶん前から妻がそう言っているのは聞いていたが、それは語呂合わせが好きな妻が勝手にそう言っているのだと思っていた。でも最近、テレビなどでも聞くようになるになって、どうもそうでもないということを知った。

"いい夫婦の日"をウィキペディアで調べてみたら、1988年に財団法人余暇開発センター(現日本生産性本部)で提唱された日だそうで、30年近い歴史があることになる。妻は30年前から知っていたのだろうが、私は知らなかった。官製記念日でどうもいま一つの感がある。翌日の勤労感謝の日とリンクして有効利用したらいいのにと思うが、どうもそのようなこともない。1999年からは「パートナー・オブ・ザ・イヤー」とかいうカップルを有名人の中から選んで来たそうだが、そのカップルの中には不倫騒動で騒がれている人もいて、なんだかなと思う。

いい夫婦の日

それはさておき、その”いい夫婦”だが、何をもって”いい”と言うのだろう?いい夫婦ってなに?いい夫婦って、どんな夫婦?いい夫婦についての明確な定義がないのに、こんなことを言われても、25年以上なんだかんだと続けて来た夫婦者としては、自分が果たしていい夫婦の片割れを無事務めているのかわからず、プレッシャーがかかるだけだ。

夫婦とは生まれも育ちも全く異なる二人が、偶然(結局は必然なのだが)出会って結ばれてできるもので、その行く末は様々だ。どちらか一方が死ぬまで添い遂げる夫婦もいたら、その前に別れる夫婦もいる。血が繋がっていたら、いつまでも縁を切ることはできないが、夫婦はしょせん他人。簡単に縁は切れてしまう。それだけに、夫婦というか、婚姻関係を続けるには互いの努力が必要になる。

これが職場であれば、初めは一緒に仕事ができて楽しい、幸せだと思っていた上司や同僚がいつの間にかストレスの対象になることがある。そうなるとトラブルが生じたり、誰かがやめることになる。それぞれの人の努力が足りないのだろうけど、努力をする気も最初からないのかもしれない。あんまりわがままな人ばかりが集まると職場は上手くいかない。夫婦も互いにわがままだったりすると、残念ながら長続きしそうもない。離婚が悪いこととは、全く思わないし、むしろ上手くいかないのなら残りの長い人生のためにさっさと別れたほうがいいのだろう。でも、離婚はずいぶんなエネルギーを使う面倒なことのようなので、できたらしたくない、というかされたくない。

夫婦の形を示す言葉に、割れ鍋にとじ蓋というのがある通り、わがまままな連れ合いを包み込む、もしくは連れ合いにわがままをされるのが好きな人などというのもいる。周りから見ると少々心配だけどこういう関係で長続きしている夫婦は結構いる。夫唱婦随という言葉もある。これは婦唱夫随と入れ替えてもいいだろう。夫婦のどちらかの個性があまり強くなく、その分パートナーの個性が強くて、引っ張っていく、のようなイメージがある。個性の強い方が、連れ合いに対して暖簾に腕押しで物足りない、と感じたら終わりだし、逆にそういう人がもともと好きで結婚したのであれば、互いに楽しく幸せにいることができる。

結婚する人が減っているけれど、その理由の一つに、”結婚相手の理想像”というのがあるような気がする。容姿端麗とか頭脳明晰とか稼ぎがある、なんていうものを相手に求めたところで、互いの相性はそんなところにはない。人間性とかそういうわかりやすい言葉では表現できない、はるかに不思議なご縁でくっついているのがいい夫婦なのかもしれない。

いい夫婦の日には、互いのいいところをたたえて、互いの努力をねぎらうのがいいだろう。とすると、勤労感謝の日は夫婦者にとっては夫婦を維持するための努力への感謝の日ともいえるかもしれない。

継続は努力

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

不平不満は気の持ちよう

2017年11月21日 | 生き方について考える

不平、不満は気の持ちようだ。

広辞苑によると、”不平”とは、”心が穏やかでないこと”、”不満に思うこと”で、よく不平をいう人を”不平家”という。

”不満”とは、”心に満たないこと”、”満足しないこと”をいう。

心が穏やかでないと、いいことは一つもない。注意は散漫になるし、悲しい気持ちになって、血圧だって上がってしまう。

不平ばかり言っていると笑顔は減り、怒りっぽくなる。人を羨んだり、恨んだりするようにもなり、人との関わりも失われてしまう。不平家にはよく出会うが、一緒にいて楽しいことは何ひとつない。そういう人には、何がそんなに不満なの?と聞きたくなるが、その質問を逆手にとってさらなる不平をいってよこすので放っておくしかない。人の振り見てわが振り直せ、で自分は不平家にはならないようにと自戒する。

不満というのも、いいものではない。自分の置かれた状況というのは、自分に対する他者からの正当な評価であって、それ以上でもそれ以下でもない。自分に対する評価が低い、とか、陥れられたとかいったような自分の目線だけを頼って生きている限り、不満は次から次へと生じるばかりだが、それは自分中心の考え方からに過ぎない。理不尽に思えることは、世の中でしばしばあるけれど、つまるところ、それらは自分が歩んで来たことに対する他人からの評価だ。自分の目しか信じることはできないが、俯瞰的に自分を捉えることが何より大切だ。

不平や不満を抱えて生きるということは、百害あって一利なし。嫉妬や羨望も同じだ。

まあ、実際にはぼやく程度ならいいだろうけど、そのあたりはどこまで言うかの程度をよく考えなくてはいけない。

なによりも現実を淡々と受け入れて、平坦に生きていくことを心がけていくことが、結局は自分のためになる。

いつも笑顔で

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

それぞれの人のそれぞれの寒さ

2017年11月20日 | こんきも

今日はこの冬一番の寒さで、年末年始並みとか。

先月訪れた青森は積雪28センチとのこと。びっくりだ。

先週までは、ジャケットにマフラーで頑張っていたけれど、さすがにコートを引っ張り出した。手袋はしなくてもまだ大丈夫だが、手もけっこう冷たくなる。

網棚の上に、マフラーがぽつんと忘れられていた。満員電車の中、暑くて外して網棚に乗せ、そのまま降りてしまったのかもしれない。暖かそうなマフラーを無くしてしまった人、今頃、首元も、心も寒そうで気の毒だ。

今日の記事のタイトル、週刊誌の見出しのようになってしまったけど、このマフラーに限らず、つくづく人それぞれだと思う。

国会はいよいよ論戦が始まるけれど、質問時間の調整だの例によって本質とはやや離れたところで戦いが繰り広げられている。そもそも、史上2番目の短さの所信表明演説に対してどれほどの質問ができるのだろうか。年末調整の書類を先日職場に提出した。景気が良くなったというのなら、住みやすい社会を実現してくれるはずなのに、どうもそのことが感じられない。税金は一体どこに使われているのだろうか。

拉致問題にしても、被害者家族の老齢化を考えたら待ったなしなのに、一向に進展がない。自分の身をそこに置いてみたらなんともやりきれない気持ちになる。

東芝は半導体部門を売却して再生を図るということだが、そういうところまで来てしまっているというのはなんという悲劇だろう。神戸製鋼製品は原子力発電所にも使われているということだし、日産、すばるの検査員不正。挙げたらきりがないが、そこで気の毒なのは、日々の仕事を一生懸命やっていたのに、そういったことに巻き込まれてしまった人たちだ。また、合理化とかそういった言葉で、それまで取り組んで来た仕事を取り上げられて、本意ではない仕事をやらされるようになってしまったり、やめさせられた人も少なくないだろう。具体的にどうなのかはわからないけれど、世の中は理不尽で悲しいことが多い。

明るい話題を提供してくれるはずのスポーツ界も今ひとつ。フィギュアスケートの絶対王者の怪我は心配だし、大相撲は暴力騒動、負けが込んで来た横綱の話でどうもぱっとしない。

冬だから、こんな話ばかりになってしまうのも考えものだが、マスコミが先頭を切ってこういう暗い話に向かっているような気がする。いい加減、元気の出る、かつ公平中立な記事で紙面を埋めてほしい。

私もね

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

一年経っても何も代わり映えのしない私

2017年11月19日 | 妻の名言
 
それは冬に向かっているからよ
ここのところ、また少し早めに目が覚めてしまい、そのまま眠れなくなることが多くなってきた。 一人で抱え込んでいても仕方がないので妻に相談したら、 「これから冬に向かっているからそんな......
 

せっかくの何もない日曜日だというのに、5時前に目が覚めてしまった。昨日の朝も実はそうで、昨日はそのまま起きてしまった。

今朝は空の雲が綺麗だったので、写真を撮りそのあと寝床に戻った。でもなかなか眠れないのでスマホを起動したら、gooブログからのメールがあった。gooブログは一年前の記事というのを毎日送って来る。そこで、そのメールを開いたら妻の名言だった。読み始めたら今日の私のことが書かれていた。一年経って、何も進歩していない。毎日毎日より良い自分になろうと書いているのに、代わり映えのない自分というのも情けない。

冬は気持ちが沈む季節だからといって、それに流されていてはいけない。それよりも、一歩一歩進んでいくことを考えたい。

まあ、そうだと考え、あれこれ何も考えずに二度寝することにした。

次に目が覚めたら、妻も起きたので、この話をしたら「何も変わらなかったわけね」と苦笑された。

来年こそ

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

鎌倉、ちょっとブルブル

2017年11月18日 | 鎌倉

今日は雨という予報があった。この間のように、タイミングが悪いと雨に降られてしまうから降る前にとナイトと鶴岡八幡宮まで散歩に。

散歩に出かけたら、ひんやりする。犬を散歩させている顔見知りとすれ違った時に、「今日は寒いですねー!」などと挨拶する。「そうですねー!」と返事をしてもらう。

天気予報では、12月下旬の気温とか。なるほど、寒いのもうなずける。

段葛まで歩いて、家に帰りつく頃には体も少し温まった。

家に帰ってきたら薄日も差していた。今日もまだ、七五三のお参りに来る人もいるだろうから、大雨にならないでほしい。

夜には回復、明日は晴れ

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

 

コメント (5)
この記事をはてなブックマークに追加

それだけ行ったら、それだけの人と会えていいじゃない

2017年11月17日 | 妻の名言

少し前、朝昼晩とあちこちで用のある忙しい日があった。

忙しいのが得意かどうかは別として、昔、何度か午前午後と用事を入れてうまくいかなかったことがあった。そのうち、同じ轍を踏まないようにしているうちに忙しいのが苦手になった。そんなわけで、40歳あたりかは、こなさなくてはいけない用事は1つしか入れないようにしている。

で、その日、「あー、今日は忙しくて嫌になるな〜。」などと愚痴ったら、「それだけのところ行くのなら、それだけの人と関わることができるのでしょう?それぞれの場所で、それぞれの人と楽しく接したらいいじゃない」と返された。

多くの出会いを楽しみにと言われたのは、つい先日のことなのに、忘れてしまっていた。あれこれ言い方を変えて諭してくれるというのはありがたい。

中学生の頃、私は外交官か商社マンになって世界中をあちこち飛び回りたいと思っていた。営業職のようなものが好きだったのだろうけど、それは人との出会いが楽しみだったからかもしれない。最近、人と出会って新たな関係を築くのがめんどくさいと思うようになってきていたが、それは自分の世界をどんどん狭めることにしか過ぎない。

犬も歩けば棒に当たるで、人との出会いを棒とすれば、それがいい展開をもたらすものか、よくない展開をもたらすものかは別。まずは人との出会いを大切なものとして行けば、あちこちに用があるというのも悪くはないはずだ。

こんにちは

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

見なかったことにして、何も言わない、気にしない

2017年11月16日 | 電脳化社会

”理由はどうであれ、暴力はいけない。”

たしかに、そう。

それが目上の者から下の者に対してのものであったりすれば、それはなおさら。となると、目下の者、後輩に目に余る行状があったとして、たとえ良かれと思ってそれに対して意見したくても、何もしないほうがいい。正義感が強くて、気の短い人だったりしたら、相手がスマホに気を取られれ自分の話を聞かないような失礼な態度をとったら思わず手が出てしまうことがあるかもしれない。あと、叱責の言葉も受ける方が暴力だと言われたらそれまで。

今の若者を見ていると、人の話なんて聞いているのかどうかわからない。こちらが大事(だと思っていること)を話している時でも、片時もスマホを手放すことはなく、そっちがブルブルいったら、こちらのことなんて二の次にして画面を覗き込む。目の前の人のことなんて、一瞬見るか見ないかで、一瞥して”くれたら”喜ぶべきなのかもしれない。

e-mailが登場した時、電話と違って相手の時間を妨げないことが利点の一つとして挙げられていた。ラインとかメッセンジャーもそのはずだけど、実際のところは違って、”連絡を受けたい!”と願っている人は常にチェックする。一対一の連絡であれば、仕方ないこともあるだろうけど、ツイッターとかフェイスブック、インスタグラムなどでは、誰かが発信した情報を大量に集めて、多対1的なメッセージのやり取りとなっている。”情報の横溢”といったふうだ。ツイッターは2006年、フェイスブックは2004年、インスタグラムは2010年の開設だそうで、今の若者、というか自分で自由に扱うことのできるスマホを持つようになった人たちが1990年代以降の生まれとすれば、ちょうど思春期からその世界に触れるようになったと言える。私のような今の中年世代は、そのような電子機器の登場前の”古い”生活スタイル、倫理観を知っているけれど、今の若者はそのこと自体知らない。でも、思い出してみれば、私たちだって、目の前に人がいるのにかかってきた電話に出ることはあった。サザエさんの中での固定電話の使われ方を見たら、それはよくわかる。

この前、スマホ育児にみる子育ての変容(2017年7月24日)という記事を「(自分自身が)電脳社会の一員となっていることを省みると、もう、戻りたくても戻れないところまで世界は来ていると考えざるをえない。」と結んだ。世の中は急速な勢いで変容していると感じていたら、先日、6歳以下の子供の2割がほぼ毎日スマホに接するということがベネッセから報告された。こうなると、近い将来はスマホとともに生まれ育った世代だけの世の中になる。こういう人たちを相手に、「人の話を聞くときは、スマホの画面じゃなくて、人の目を見ろ」とか、「人が話している時ぐらい、スマホを置いておけ」なんていうことを話しても、理解してもらえないだろうと思う。

なぜなら、スマホはそこにあるから。そこにあるのが当たり前だから。

社会的倫理規範は今後、電脳化の進歩とともにもっと変わっていく。スマホに変わるハードも生み出され、”今の”スマホ世代も時代遅れになる時が来るはずだ。

星新一のショートショートに「肩の上の秘書」というのがあったけど、他人とのコミュニケーションなんて全部ロボット、すなわちスマホの未来形、にやらせるようになるだろう。そして、そのうちそんなもの体の中にでも埋め込まれてしまって、全てなくなってしまうかもしれない。となると、相手のことをあれこれ考えるとかそういったことは拒絶されるし、あれこれ口を出されたくないという権利も発生する。権利があれば、それは拡大解釈されて無限に増大するから抑えようがなくなる。

個人個人の人権はネットという誰もが平等な世界によって守られるようになったかのように見える。倫理観は変容し、価値観は急速に変貌している。

今、”先生””先輩”だのと呼ばれている人たちは、自分の意見を他人を強要しようなどということを考えてはいけない時代なのだ。

動物園に行こう!

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

 

ボッコちゃん (新潮文庫)
星 新一
新潮社

 

毎日スマホに接する乳幼児2割 4年前より倍増
毎日スマホに接する乳幼児2割 4年前より
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

戌年に向け、写真撮影会

2017年11月15日 | コロ&ナイト

来年の干支は戌。待ちに待った戌年だ。マルチーズのコロとフラットコーテッドレトリバーのナイトが揃って戌年を迎えることができるか心配したこともあったけど杞憂でよかった。

飼い始めた時には干支のことなんて全く考えていなかったけど、年賀状を用意する段となり、戌年のことに気がついた。干支からいうと、コロもナイトも中途半端な年回りから飼い始めたということになる。コロは11歳で来年は年男。人間で言えば還暦相当だそうだ。持病がいくつかあり、最近脱毛が目立ってきたが、見た目は元気にしている。

先日、ペットショップで年賀状用の写真の広告を目にしたので、頼もうかと思っていると娘に話したら”私が撮る”と言って大層な枚数を撮ってくれた。娘は大学でワンダーフォーゲル部に入っいて、入部を機に一眼レフカメラを買い、色々な山の写真を撮るようになった。犬の写真を撮るなどわけなく、先日の晴天の日に撮ってくれた。

ナイトは7歳で、人間に換算するとまさしく私と同じ年だ。一緒に散歩していると犬も飼い主も体力の衰えをひしひしと感じる。脂肪腫が随分増えてきてしまったけれど、毛がふさふさしているのであまり目立たない。とにかく無事戌年を迎えてくれて嬉しい。毛並みはまだまだ綺麗だ。

黒犬の写真は露出の調整が大変だが、娘と犬二匹、しゃがんだり、寝転んだりして頑張って撮っていた。なるほど私のコンデジ、最近ではすっかりスマホになってしまった写真に比べたら格段にいいものとなっている。

年賀状にはどの写真を使おうか悩むところだが、子供たちが学生のうちは家族写真にしようと思っている。だから、犬だけの写真はやめて、息子もいるときに二匹もいれた写真を改めて撮らなくてはいけないだろう。さすがに写真館で犬を入れての写真を撮るほどではないので、天気のいい日に門の前あたりで撮ろうと考えている。

年をとっても性格は同じ

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

融通無碍でありたい

2017年11月14日 | 生き方について考える

今日は、どんなことを書こうかと思ったら、日々の悲しいニュース、理不尽な政治の横暴、今日の雨混じりの曇り空、なんだか、思い浮かぶのは生きることが辛くなるようなことばかり。昨日の話だって結局のところ答えがどこにあるかはわからず、それすらも辛く感じられてしまう。

そんな中でも自分がまともに生きていくにはどうしたらいいだろうと考えていたら、”水のようでありたい”とふと思った。どのような器であっても形を変えることができて、すべてのものを包み込む。しょせん社会という器の中で生きていくのなら、水のようであればストレスもなくいられるのではないかと。

でも、私の体にも心にも変えることのできない部分がある。完全に水のようにはなれないし、変えることのできないことを変えてはいけない。あれ、またダメかと考えていたら融通無碍(ゆうずう-むげ)という言葉が浮かんだ。融通無碍の意味は、『一定の考え方にとらわれることなく、どんな事態にもとどこおりなく対応できること(広辞苑第6版)』。

融通無碍でありたい、それが今の私の心情だ。

それなら水は方円の器に従う、という言葉があるけれど、器の形が間違っていたり、器が壊れてしまっては元も子もない。底抜けのバケツにとどまっていることはできない。私は、主体的に生きたいし、そのためには融通無碍である方が良いと考える。

生きていれば、調子っぱずれ、期待はずれのことばかり。時と場合に応じた生き方をしていこう。

今日は世界糖尿病デー

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

 

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

満足の先が不満足であってはしょうがない

2017年11月13日 | 生き方について考える

目覚ましが朝を知らせてくれる少し前に目が覚めた。起きようと思っていた時間まであと20分ほどある。カーテンを開けて外を見ると東の空は雲間がほの赤いだけで、まだ暗い。あっという間に、日の出の時間が起床時間に追い越されてしまったようだ。「もうちょっと寝ていたいな」と、昨日の散歩で少しだるくなった足と背中を寝床の中で伸ばしながら思う。目をつぶっても、そんなに簡単に眠りに戻ることはできない。それより、今日一日の段取りの方が気になって目がさえてしまう。

やがて、「もう少し、職場が近かったらたくさん眠ることができるのに。」などと考え始める。遠距離通勤は希望してのことなのに、ふと不満な気持ちが湧き上がる。これをきっかけに、次々といろいろな不満が湧き上がる。現状に対しても、これまでのことに対しても、この先のことに対しても。あれが欲しい、これも欲しい。ああしたい、こうしたい。もっとお金があれば、時間があればと、一度不満が頭をもたげ始めるとキリがない。

そうこうするうち、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。そしてこれが人間の欲望というものか、と気がついた。目標に向かって日々慎み深く生き、努力を重ねて、目標が達成できたらそれで満足なのに、そこでまた新たな目標が生じる。目標に向かって努力することが満足であればいいけれど、目標を達成できないことが不満足の原因となってしまってはしょうがない。

『足るを知る』という言葉がある。読んで字のごとくなのだけど、私にはなかなか実践が難しい(『日の出、月の出2014年11月14日

自分自身が生きてきた道、現状に満足していないからだろうか、いつも欲ばかりが多くなって不満が募る。これまで成してきたことを人と比べる必要などなくて、現状に満足することこそが幸せだと知れば、不満はなくなるのにそのことを忘れてしまう。それに一体、そもそも誰と人生を比較しているのだろう。あそこはこの人のここ、ここはあの人のそこ。そんな風に全ての人と比べていけば、自分は完璧にならなくては不満なのだろうか?

未来というものが持つ可能性を信じて、実現できそうなものに向かって一歩ずつ進む。それが私の生きる道。

たとえ、目の前のチャンスの芽が摘み取られても、生きている限りは次がある。体が動く限り、命ある限り前に進んでいけるのだと考えたら、不満はなくなる。人生に対しては常に満足して生きることが幸せだし、不満足を抱えていては幸せにはなれない。

欲得にまみれぬ心で生きる

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

 

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

久しぶりに晴れたので鎌倉デート

2017年11月12日 | 家族

ここのところの雨続きだの学会だので、しばらく妻と近所を歩くことがなかったのだが、今日は久しぶりの晴天で妻とデート。

デートとはいっても、実際のところはナイトを連れての散歩で、今まで歩いたことのなかった谷戸の奥の方まで歩いて行っただけだ。鎌倉宮の奥からハイキングコースに入って、途中で住宅地に出た。

週末の鎌倉は駅前から小町通り、鶴岡八幡宮まで大変な人出でごった返す。今は七五三のお参り渋滞がすごい。

でも、有名な寺社のない谷戸であれば、地元の人しかいない。犬でも連れていたら一度は会ったことがあるような気がして、親しく挨拶することもある。

妻が、「ナイトとじゃ一緒に行けないところがあるのよね」という谷戸への道を歩いた。ナイトを連れて毎日歩き回っている妻でも歩いていないところがあるとはちょっと驚いた。

坂に連なって大きなお屋敷が3軒連なっているところがあり驚いた。その奥まで行ったら行き止まり。少し、藪の中を歩いたけれど、ハイキングコースへの抜け道は見つからなかった。

帰りがけにススキの美しい空き地があった。前に見たときよりずっと白くなっていた。いよいよ晩秋だ。

今年の鎌倉は紅葉が美しい(『今年の紅葉はなかなかいい』2017年11月6日)、などとこの間は言ってしまったけれども山全体でみるとまだまだだった。鎌倉の紅葉狩りは12月に入ってからが良さそうだ。

小春日和🎵

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

朝の通り雨

2017年11月11日 | 鎌倉

土曜日は電車が空いているので、少し遅くてもいいかと思い、いつもと同じ時間に目は覚めていたのだけど、少しだけいつもより長く布団の中にいた。

そうはいっても、たかだか15分ほどのことなのだけど、ほんのちょっとの寝坊で今朝は助かった。

おはよう、今日も駅まで送ってねと寝ぼけ眼のナイトを起こして、カーテンを開けたら海側の空が暗い。

顔を出たしたらパラパラと雨粒が顔に当たる。雨が降り始めたようだ。

テレビでは神奈川県東部に大雨のテロップが流れている。身支度をしていた妻に、ナイトと一緒に駅まで歩くのは無理だということと、車で駅まで送ってもらうことを頼んだ。

 

時間に余裕ができたので、ヨーグルトをかけたシリアルをいつもよりゆっくり食べ、コーヒーを飲みながら新聞を読む。食事をしながら読めるという点で、新聞は優れものだ。座間の連続殺人事件のこと、例の加計学園の獣医学部のこと、大谷翔平の大リーグ挑戦のことなんかが記事になっていた。それぞれについていろいろ考えてしまう。

家を出るときは土砂降りになっていたけど、鎌倉駅まで車で送ってもらったのでことなきを得た。改札口のあたりには、これから試合にでも出かけるのだろうか、トレーニングウェア姿の中学生や高校生の集まりがいくつかあった。

横浜を過ぎるあたりでは雨は降っていなかったけれど、ところどころで水溜りが見えた。この辺りでも雨が降ったのだろう。

それにしても、ほんの15分ほど家を出るのが遅くなっただけでこんな雨に見舞われるとは思いもよらなかった。いつもと同じ時間に出ていたら、妻とナイトは帰るに帰れなくなり、鎌倉駅かどこかの軒先を借りて2、30分雨宿りする羽目になっていたはずだ。

やはり通り雨だったようで、8時過ぎには雨もすっかり上がり、いい天気となったらしい。

少ししっとりした紅葉は美しく、今日鎌倉を訪れた人にはいい思い出になるだろう。

私は、ひと仕事!

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

本を読んで心に水やり

2017年11月10日 | 読書・映画

今日はアクセスがいつもより少ない、などと思っていたら、まだ記事を書いていなかったことに気がついた。

今朝、パナマ文書だのパラダイス文書のことで書き始めたのだけど、途中からこの国の税金の使い道とかの話になってバラバラになってしまった。収拾がつかなくなったので、途中でやめて帰りに文章を整えようと思っていた。

でも、なんだか最近、いい文章が書けないのが気になっていた。そう大したものを書いているつもりはないのだけど、自分なりには頑張っているが空回り。

これってジリ貧? 原因はインプット不足かな。

ブログをほぼ毎日書いていたら、スランプにもなる(『少し休みます』2013年12月17日)。それを乗り越えるのに一番いいのは読書だ。

昔の記事を検索したら、読書を再開したというのが出て来た(『読書は心の潤滑油』2009年11月29日)。20〜45歳ごろまでは本を読んでいなかったということがわかった。でも、8年前に、ふと読書を再開した。それからは、ちょこちょこ読んでいたけど、ここのところぱったり途絶えていた。

 

本を読んでいないからっていうことはずっと感じていた。読書記録も3ヶ月空いてしまった。というか、ここ3ヶ月本を読んでいなかった。

そんなことを考えていたら、駅の本屋に足が向いた。

新しい職場に移って、一番近くにあるこの書店、雰囲気があまり好きでなくて寄ることがなかった。

毛嫌いしても仕方がないので、入ってどんな本が置いてあるかゆっくり歩いて一周してみた。あれ?こんな本も置いてあるんだ、と気がついて少し驚いた。

歩いているうちに、小説のコーナーに来た。そうしたら、NHKのドラマにもなった、小川糸の『ツバキ文具店』の続編『キラキラ共和国』があった。

そういえば、新刊が出たって車内広告か何かで見たっけ。私程度の読書家と本との出会いなんて、いつもこんなものだ。

帰りの電車で、久しぶりの読書。文字の一つ一つがいつのまにかカラカラになっていた心に沁みいるを感じた。

おかげで、朝書きかけだった記事を整えようなどというのはすっかり忘れてしまい、慌てて書きあげたらこの時間。

これで今夜も安心して眠れます

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

 

キラキラ共和国
小川 糸
幻冬舎

 

ツバキ文具店
小川 糸
幻冬舎
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

主婦の仕事は重労働

2017年11月09日 | 家族

落ち葉の季節となって、家の横のアプローチにも毎日落ち葉が溜まるようになった。朝、妻とナイトと駅まで歩くが、今朝は「毎日掃いているんだけど、きりがないわ。でもうちがやらないと、(枯葉は)すぐご近所の方に行っちゃうし。」と出がけにそうつぶやいていた。


主婦の仕事は重労働だ。

1日終わって、子供たちも帰ってきたら、寝る頃には洗濯カゴの中身はいっぱい。ゴミの回収は、分別に厳しいし、回収時刻を逃したら一週間先までやってこない。食事の準備に、食器洗いもある。夜遅ければ駅まで車で迎えに来てくれる。

掃除、洗濯、おさんどん、馴れたらなんとかできることもあるかもしれないが、全てを一人で満足いくようにこなそうなどということ、とてもじゃないが私にはできない。

最近は、“外注”としての掃除屋さんとか食事のデリバリーサービスも充実してきているけど、それでは経済的な負担が大きいし、生まれたばかりの赤ちゃんを育てるとか、老親の介護などはなかなか人に頼めないことも少なくない。

それなのに、主婦の仕事は「できて当たり前」と考えられてしまいがちだ。

 

家事は全てのことが連動している。だから、どれか一つでも手を抜いたら、あっという間にあれこれ滞るようになってしまう。それに誰もがしてきたことだからできて当たり前というわけでもない。環境は十人十色、どこの家庭も同じではない。

妻に家事をお願いしている身としては、何か少しのことでも評価してあげたいと思う。毎日家が綺麗なこと、下着やタオルが洗ってあること、食事が出てくること、食器が洗ってあること。子育てなんか、20年以上継続して行なってきた。悲しい時、辛い時でも話し相手になってくれること。

主婦は年中無休の膨大な仕事を抱えている。

私だって、風呂掃除や犬の散歩と餌やりぐらいはするし、頼まれたらご飯を炊いたり、ちょっとした掃き掃除はするし、(自分のシャツの)アイロンがけもする。でもそれは、妻にとってはちょっとしたオプションに過ぎない。

自分を含め家族みんなが、日々健康に仕事や学校に出られるということが、妻のおかげだということを噛み締ながら毎日を送りたい。

家事一般などできて当たり前のこと、ということではなくて、一つの立派な仕事としてやってもらっているということを自覚して日々主婦業をやっている妻をいたわりたい。

今日のエントリーは、一億総活躍とか女性の社会進出とかいった問題とは別の次元のこととして挙げた。それらに関しては、別の機会に考えることにする。

感謝の気持ちは口にしよう

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加

間に合う?間に合わない。

2017年11月08日 | 通勤

電車の時間に間に合うかどうかというのはけっこうシビアな問題だ。降りてから先の予定の開始時刻から逆算して乗る電車を決めるが、乗りたいと思っていた電車に乗り遅れて遅刻が決定するとガックリくる。全てがダメになってしまうような気がするのは、その先に待ち受けている予定よりもその先で関わる人間関係によるところが大きい。



"時間を守る"というのは結局のところ、他人との約束を守るということで、時間に遅れるということは約束を破るということになる。だから遅刻すると自分にプレッシャーがかかるし、逆に誰かにそうされると怒りたくなる。時間に対する感覚というのは不思議なもので、これが予定の電車の一本前にも乗れるようだと、あとに続く待ち時間もあまり無駄には感じない。これは時間が唯一自分のもので、それを自由に使っているという実感があるからなのかもしれない。

誰とも約束なんかしないで、自由気ままに生きたいと思うけど、米つぶ一つ買うにしても、電気を得るにも、ゴミを捨てるにも、一事が万事、他人に頼る必要があるのが人間だ。店の営業時間、電気代の支払いの期限、ゴミ収集の時間などなどそれぞれに締め切り時間がある。
時間に縛られ、時間とともに生きて行くしか生きるすべはないわけで、ストレスを減らすには時間に余裕をもって行動するのが一番だろう。

当たり前なんだけど

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

コメント
この記事をはてなブックマークに追加