こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

春のダイヤ改正と私の周りで起きたこと

2022年03月15日 | 日々思うこと、考えること
 昨日の朝、電車がいつも通りに来なくて少し気を揉んだが、後の乗り換えには問題なくそのことはすぐに忘れてしまった。そうしたら、帰りの車内で

 春のダイヤ改正で時刻が変わっているので確認を!

 とアナウンスしているのを聞き、合点がいった。鎌倉から職場まで、電車ー電車ーバスと乗り継いでいるので、職場に遅刻しないように着くには、鎌倉駅で電車に乗る時間がとても重要で、新しい職場になってからはいつも同じ電車に乗っている。それでも途中で事故や満員による遅れがあって遅刻するとその都度事務まで行って遅延証明書を提出する。到着時刻を定時ぎりぎりには設定しないのだが、片道1時間半を超えると駅のコンコースを早足で歩くことは少なくない。朝は、少し遅くなったが、スピードアップしたのか大きな遅れにはならないようなので、何はともあれホッとした。

 そんな昨日の朝、私は出口近くに立っていた。電車のドアが閉まる直前、”ゴッ!”という音が聞こえ、そちらの方をみると人がゴロンと仰向けに倒れた。様子を見に降りようと思った時にはドアは閉まってしまったあとだったが、周りにいた人がすぐに集まっていたのでとりあえずはよかった。なにかの発作だろう、頭を強打してなければいいのだが。
 そして、仕事帰りに歩道を歩いていたら陽気に誘われ目が覚めたばかりのようなガマガエルが車道の方を向いていた。このまま真っ直ぐ行ったら車に轢かれてしまうと心配になったが、おせっかいをして向きを変えてやったところで、カエルにはカエルの考えがあるだろうからとほうっておくことにした。
 帰りの電車は、”跨線橋から人が転落し、安全確認を行ったため”遅れ、帰宅も遅くなった。
 いろいろなことが起こるものだ。

 歩いているだけ、いや、息をしているだけでも人は様々なことに遭遇する。”犬も歩けば棒に当たる”は、このブログでは何度も使っているフレーズだが、この”犬”と”棒”そして”歩く”とは何を意味しているのだろう。
 ”犬”は、”人間みな””あなたも私も”に置換することが可能だ。犬としているのは”小人(しょうじん)”の意が込められているのだろう。”棒”はもちろん”(様々な)出来事”。そこで”歩く”だが、これはさしずめ”人生”とか”生きる”ということだろう。すなわち、

 私のような小人でも、生きているだけで、様々な出来事に遭遇しますよ

 となる。深遠な言葉であり、犬棒カルタおそるべしだ。
 そして、仮にダイヤ改正が無かったら、あの人はやはりホームで倒れただろうか?カエルは道路に向かってじっとしていただろうか。跨線橋から落ちた人は電車にひかれていたのではないだろうか。私の人生は、そのことでどれほど変化しただろうか、誰にもわからない。それぞれの人生なんて、所詮ばら撒かれたカルタのようなものだ、
目に見える変化と見えない変化

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