こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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地球というパイを食べ尽くしたとき

2010年03月01日 | 日々思うこと、考えること
グローバル化した現在の世界で、私が最近気がついたことに、世界中の人が地球という一つのパイを争って奪い合っているということがある。
こうなる前は、それぞれの地域で十分な大きさのパイがあった。自分の領地や、国だ。それだけでは足りなくなって、欧米列強は海外に進出し、世界中を侵略した。そして今、地球上に人類があふれるようになった。

海洋など、まだ未開の部分もあるが、陸地はほぼ調査し尽くされ、未開の地(金になる土地)はすべてなくなったのではなかろうか?
見ようによっては、人類は、この地上に閉じ込められている、ということになる。地球という、閉ざされた空間。外は存在することのできない宇宙。人類そのものは、地球という独房の中で、終身刑に処せられているようなものだ。
部屋を出て外を歩けば、物理的には人間はちっぽけで、母なる大地はまだまだ広いということが判るので、拘禁障害に陥ることはないものの、実際は、生き馬の目を抜くがごとくの経済活動が行われ、世界の富の大部分を、ごく一部の人間が独占している。いくら大きなパイでも、残りは少ない。

小松左京の「人類裁判」では、われわれ人類が56億6700万年、ほかの知的生物に出会えなくなる刑に処せられる。この場合は、絶望的な年月の先に未来があるので、終身刑では無く、無期懲役か。まだ、希望は持てるが。

地球というパイを食べ尽くしたとき、我々人類はこの裁判にかけられるのだろう。すでに、判決を受けたあとかもしれない。もちろん、我々の”上”の知的生命体、のいる、いないにはかかわらない。
人類は、弥勒による救済まで、どう進んでいけば良いのだろう。

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