こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

コンビニ前の喫煙所の人がどんどん増えている

2011年12月12日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

通勤途中にある、某コンビニ。
えてしてコンビニ前には吸い殻入れがおいてあり、必ず誰かがタバコを吸っている。

最近、その喫煙所に集まる人が増えている。
はじめは1人か2人だったのだが、近くでやっている大規模工事の現場の人だと思われるが、始業前に作業着を来た数人が集まりだした。

今では、毎朝通り過ぎるときには、10人くらいたむろしている。作業着姿の人に混じって、電車に乗る前の在来のサラリーマンもいる。喫煙者は喫煙者を呼ぶ。

喫煙所を中心としてのろしのようにタバコの煙が立ち上っているのをみると、かつて、品川駅の山手線ホームの大崎寄りのところにあった、”喫煙コーナー”を思い出す。喫煙コーナーが設置された当初はそう混んでいなかったのだが、2、3ヶ月たったら、ものすごい混雑となり、吸い殻入れまでたどり着くことができず、困ったものだった。煙は喫煙コーナーだけでは収まらず、周囲まで波及していた。というか、非喫煙者の人に逃げ場は無かった。これをみた、外国人の嫌煙活動家が、ホームの喫煙コーナーは無意味だ、と主張し、それがきっかけでかJRも喫煙コーナーをなくしてしまった。
今、思い出すと、その活動家がとても憎かった。「余計なこと、言うな」
とにかく、必死でニコチンを入れていた。

さて、こうして某コンビニ前が彼等の吐き出す煙によってその辺りだけ、首都高湾岸線から見る工場地帯のようになって、空気が白く混濁している。
コンビニの前なので、人通りは当然多く、出勤の社会人のほかにも近所の小学校、中学校、高校に通う多くの学生が煙たい思い顔をして、横を通り過ぎる。だが、喫煙者はみんなに煙たがられていることがわからない。

タバコを吸わなくても大丈夫なのに、ニコチン中毒者である喫煙者は一服してからでないと仕事に取りかかれない。
ニコチン中毒のころ、私は悲しかった。
一度体内にニコチンを入れてしまったので今でも、タバコを吸った時の気持ちよさを思い出すことはある。
だけど、ニコチンを体に入れなくても、私は生きている。
タバコが無くても、あなたたちは死なない。
勇気を持って、ニコチン中毒から離脱してみたらどうだろう。

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