こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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普通ってなんだろう

2014年04月13日 | 家族のこと
昨日の朝日の朝刊に、こんな記事が載っていた(文章は朝日新聞デジタルより)。

ダウン症児外し入学式写真 長野の小学校、校長がおわび(朝日新聞2014年4月12日)
長野県内の公立小学校で今月初めの入学式での新入生の集合写真をめぐり、同校にも通うことになった特別支援学校のダウン症の男児が外れた写真と、加わった写真の2種類が撮影された。校長が男児の母親に対して提案した。校長は「配慮が不足していた」として男児の両親におわびした。
母親は「今は、私たちを他の児童と同じように受け入れてくれているので感謝している」と話す。
母親によると、男児はこの春、特別支援学校小学部に入学。同時に、地域の児童との交流の一環で地元の小学校の授業や行事にも月に1、2回参加することが決まった。小学校の教室に男児の机も置かれ、クラスの一員として受け入れられることになった。



記事だけから読めば、ダウン症の新入生は特別支援学校に入学したわけで、この小学校に入学したわけではない。だから、小学校の新入生だけの入学写真と、ダウン症の子を“加えた”入学写真の二種類があってもいいと思った。だけど、そうやって区別することに意味はあるのだろうか。

私が小学生の頃は、ダウン症の弟は特殊学級というクラスに通っていた。私の通っていた学校に特殊学級は無く、弟は隣の小学校に通っていた。おふくろに言わせると、その学校の子達は、弟と普通に接してくれていたようだ。
「ああ、こういう子もいるのだな」と、そういう子たちが隣にいたら、小学生はそう思うようになるだろう。
だから、集合写真も同じようにすれば良かったのではないかと思う。
あとになって見たら「ああ、あんな子もいた」となる。それが自然だ。だって、世の中にはダウン症の人はいるのだから。

その校長が、小学校向けにはダウン症の子をのぞいた写真だけを配るのだとしたら、それはよくない。いろんな子供がいる、ということを教えるのが教育者のすべきことだと思う。
その校長がしようとしていたことを私なりに想像するが、それは想像の域をでないので、ここには書かない。

いずれにせよ障碍児というか健常児と同じようにできない子に対して、普通に扱えば良いと思う。それでも、けっこうあの子達は普通にやれる。
というか、普通って、なにか?

前にも書いたことがあるが、普通とは、いわゆる健常者の常識である。いわゆる健常者が全人口の1割くらいで、残りは皆、今でいう障碍児であったらどうだったろう。
こういう問題は、人それぞれで、考え方も異なる。

家族にそういった人がいるから、何でも言っていいというわけではない。
たとえ、親でも、兄弟でもそうだ。
何か言っていい権利は、自分自身、すなわち本人にしかない。
人権はどんな立場の人にも平等にあり、それは尊重されなくてはいけない。
すなわち、子供の人権も、老人の人権も等しいのと同じように、障碍者の人権も健常者の人権も等しい。
基本的には、皆同じ場所に立っているべきである。

家族旅行にて


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