物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

黒川創さんの「大仏次郎賞」受賞あいさつ

2021-08-17 10:46:01 | 本と雑誌
作家の黒川創さんが哲学者の鶴見俊輔さんの伝記を書いて、それによって朝日新聞の出している、大仏次郎賞をもらったことはまだ記憶に新しいが、このときの受賞あいさつを物理学者のKさんからメールの添付書類で頂いていた。

この添付書類をディスプレイ上に出していたが、読んでいなかった。昨日プリントして読んでみたら、なかなか興味深いことが書いてあった。

黒川さんは「思想の科学編集委員」を経て、作家になったと経歴が書かれているが、「思想の科学編集委員」は職業でも社会的な地位でもなかったという。

他の職業でなんとか生活をしていて、そのうえでボランティア的に「思想の科学」の編集委員をやっていたという。

黒川さんはいう。鶴見さんが生涯を通してやろうとしてきたことは、そういう共同の学問のあり方だったと。いわゆる「人権としての学問」であった。これはもちろん、「特権としての学問」に対する言葉である。

もっともこの思想は鶴見さんの独創ではなく、物理学者の武谷三男の考えであるという。「人権としての学問」とは地位にも報酬にも結びつかない学問だという。

実はこれを読んで思いついたのは私たちの「数学・物理通信」もこれではないかと思った。

実は「数学・物理通信」に自分の原稿が掲載されても、何の業績にもならないし、ましてや報酬も地位も得られないからである。

私は晩年の鶴見俊輔さんと面識を得たが、これも私が武谷三男に関心をもつ研究者の一人であるということが大きかった。


Ted's coffeehousさんのブログ

2021-08-16 12:48:21 | 本と雑誌
Ted's coffeehousさんのブログで亀淵さんのハイゼンベルクとか湯川についてのエッセイの紹介があったが、その亀淵さんの本を1か月ほど前に2冊購入したので、ここに紹介をしておきたい。

1.亀淵迪『素粒子論のはじまり』(日本評論社, 2018)
2.亀淵迪『物理村の風景』(日本評論社, 2020)

である。この中にはTed's coffeehousさんのブログで紹介されたエッセイも収録されている。




長雨

2021-08-16 12:21:32 | 本と雑誌
ここ数日長雨が続く。

梅雨の時期なら仕方がないのだが、秋に移行するための梅雨、すなわち、秋雨前線が日本列島の上に停滞している。

大学の地理学の講義で夏から秋にかけての季節の移行時期にやはり梅雨に似た時期があるのだと教わったが、その典型的な現象であろう。

それにしても長雨で雨が2週間近く続くのはちょっと異常であろうか。もっとも気温があまり上がらないのは助かるが、それでも湿度が高い。それで戸を開け払って外気を入れる気がしない。

しばらくエアコンに頼るしかないであろう。



法事

2021-08-16 11:48:31 | 本と雑誌
法事をしたことがないという日本人は少ないだろう。それくらい日本では宗教としての仏教が普及している。

ときどきキリスト教を信じている人もいるが、そういう人はまだ圧倒的に少ない。私の従兄にもクリスチャンになった人がいたが、彼は私と一つぐらいしか違わなかったが、会社を定年退職したのちに意外に早く亡くなってしまった。とてもやさしい、いい人だったのに。

今年のお盆は2月に次兄が亡くなったので、いわゆる新盆であった。そのために I 市に里帰りしたのだが、法事が終わったら、すぐに松山にとんぼ帰りした。

これはやはりコロナの影響を心配したからであった。それに東京にいる、姪などもスマホでのオンライン法事の参加であった。

こういうことができるようになったということは技術の進歩であり、すばらしいことである。しかし、一方でまことに味気ないことでもある。

しかし、現在のようなコロナ禍であれば、東京から帰省しないということの方が正しい判断であろう。

『四元数の発見』の改訂3

2021-08-14 13:41:21 | 本と雑誌
自分が書いた文章だが、それでも唐突感が何回読んでもぬぐえなかったのが、『四元数の発見』の第6章「四元数と空間回転3」であった。特に6.3の「直交補空間」はベクトル空間、計量(ユークリッド)ベクトル空間の話をあからさまに言及しないで書いた。そういうことだから、第6章を書き直すのは不可欠であった。

ここも査読者のKさんからはっきりと指摘されたところであったが、ここも補注で補って書き直しはしなかった。ところが時間が経って何回も読み直すとどうも6.2節までと6.3「直交補空間」とがつながっていないのを実感した。

ところが、どう書き換えたらいいのかがよくわからなかった。それで違和感があるということをもう7,8年くらい感じて来た。最近になって、これはベクトル空間とか計量ベクトル空間の話があったのちに直交補空間の話があるべきだったとようやく気がついた。

この箇所もKさんからベクトル空間の直交性の定義がないと指摘をうけて、この直交性の定義を補注に付け加えてその場しのぎを行った。実はこの箇所は私がポントリャギンのテクスト『数概念の拡張』(森北出版)の4章「四元数」を読んで、わからなかったことが関係していた。

この部分には補注を付け加えておいたのだが、やはり第6章にきちんと書くべきだったろう。普通にスカラー積(内積)を定義してあれば、迷わなかったのだが、あからさまにこの定義がされてなかった。

『数概念の拡張』には訳者よる脚注があったのだが、それを正しく読み取れなかった。このことは一度、数学者のNさんに相談したのだが、彼は私が深刻に悩んでいると思わなかったらしく、的確なアドバイスをもらえなかった。

それで疑問をそのままに話が進んでしまい、本の原稿が完成した後で、Kさんの「四元数の直交性の定義が欠けている」との指摘された。

それで困って、ようやく複素数の場合にどう取り扱っているかを他の書籍で調べて、四元数の場合も同様であると確信がもてたのであった。

(付記)複素数をベクトル空間と考えることができるのならば、四元数もベクトル空間と考えることができる。複素数の内積の定義と同じように四元数の場合も内積を定義すればよかった。

『四元数の発見』の改訂2

2021-08-14 13:28:20 | 本と雑誌
以前に『四元数の発見』の改訂というブログを書いた 。

今書き換えているのは第2章「四元数の発見」である。この章は欠陥があるわけではなかったが、改訂箇所は-1の平方根が四元数では無限にあるということに関係している。このことは『四元数の発見』の原稿を読んでくれたKさんから指摘されたことであり、本文をあまり変えたくないために補注で説明を加えておいた。

それを第2章の付録をつくって、そこに入れた。ほぼ改訂を終わったと思ったのだが、数日がたつうちに前に下書きとして書いたが、取り込まなかったことを高校生のために入れておいた方がいいかと思いはじめた。

自分の思考の跡をできるだけ残した方がいいのではないかと思ったのである。数学的なエレガンスはなくなるが、それでも思考の跡が残るほうがよみやすいと思い直し始めた。

昨夜の「旅するためのイタリア語」

2021-08-12 11:47:46 | 本と雑誌
この番組のゲストは俳優の渡辺早織さんである。

彼女がどれくらいのイタリア語歴があるのか知らないが、番組がスムースに進められており、彼女が少しイタリア語が話せるのがよい。

それにマッテオさんとのコンビもすばらしい。マッテオさんはいまでは自在に日本語を話せるようになっておられる。

さてさて、昨夜の講座から。
 Avete qualcosa di tipico ?   (何か名物はありますか)
 アベ―テ クアルコーサ ディ ティピコ ? 
 Avete qualcosa di fresco ?     (何か冷たいものはありますか)
 Avete qualcosa di caldo ?        (何かあったかいものがありますか)
 Avete qualcosa di interessante ? (何か興味深いものはありますか)
 Avete una mappa di Aamlfi ?  (アマルフィの地図はありますか)
   Pazienza ! パティエンツア (しかたがない)
 Non lo sapevo. (知らない)
 Avete un asciugacapelli ?  (ヘアドライアはありますか) 
 Ho fame  (おなかがすいた)

山の日

2021-08-11 11:52:31 | 本と雑誌
8月に祝日がないというので、山の日という祝日がつくられたと聞く。

その前に7月だったかに海の日という祝日ができたのが、山の日がつくれらた理由だとも聞く。7月と8月に祝日がなかったので、それを埋めるために海の日 と山の日の祝日がつくられたという。

ドイツとかフランスとかは祝日は日本よりは少ないのだが、そのかわりに4週間の休暇を取る権利が保障された折、結局のところは全体の休暇はドイツとかフランスの方が多いのだという。

有給休暇をとるのは国内の場合もあるが、外国のことも多く、どこかの海岸のホテルに宿をとって、昼中はその海浜で寝転がって肌を小麦色に焼く。

日本人はどこかに1,2日づつ旅行して歩くのが普通だが、そういうことをあまりしない。

ドイツ人のR氏の弟さんが松山に来たことがあったが、そのときにどうしたかはよく知らないが、一か所にとどまって休暇を楽しむのだと聞いた。

休暇とか旅行に関する感覚がやはり全く違うのである。

自発的対称性の破れ

2021-08-10 13:34:22 | 物理学
前のブログの続きである。

松山に帰って自発的対称性の破れについてわかりやすく書いたレビューを探したら、Phys. ReportにT. D. Leeか誰かの書いた論文があった。

それを読んでおよそのことがようやくわかった。それを電子レンズの専門家であったUさんと元素粒子の研究者だったNさんとに話したら、そのPhys. ReportをNさんが貸せという。

それでそれを貸したら、一晩でカタストロフィー理論の一番簡単なカスプ・カタストロフィとファイ4乗理論との関係についての論文を書いてきた。これが私と自発対称性の破れとの唯一の接点である。カタストロフィー理論からはファイ4乗理論はその特別な場合になっているというのが私たちの主張であった。

論文のポテンシャルの図は工学者のUさんが描いてくれたし、論文自身はNさんが書いてくれた。私はアイディアを出しただけであった。

(2021.8.12付記) 
Nさんはカタストロフィー理論については知っていたが、それが自発的対称性の破れと結びつくとは思っていなかった。それが自発的対称性の破れをカタストロフィ―理論と結びつけることができるというのが私のアイディアであった。もっともそれだけのことで発展はその後、あまりない。

南部陽一郎さんの生誕百年

2021-08-10 13:10:12 | 物理学
今朝の朝日新聞に今年は南部さんの生誕百年にあたるという大きな記事があった。

すでにいくつかの科学博物館でこの展示があったということだが、10月ー11月には愛媛県の科学技術博物館でもこの移動展示展があるらしいので、10月にでも新居浜まで見に行きたいと思っている。

世間一般には2008年度のノーベル物理学賞の受賞者として知られている。もう半世紀も前のことだが、「自発的対称性の破れ」という概念があるという話を日本の最初のノーベル賞受賞者であった、湯川秀樹博士から聞いたのだが、そのときは別に内容の説明を聞いたのではなく、名前だけを聞いたので、あまりよくはわからなかった。

いまでもよくわかったとはいえないが、それでも少しはわかった気になったのは私には実はカタストロフィー理論と関係している。

これは当時私が勤めていた大学の工学部の学生N君がカタストロフィー理論を夏休みに勉強したので話を聞いてほしいと電子工学科の2人の先生に言ったことによる。

その話を聞いた一人のUさんは自分も関心をもっていろいろ雑誌の記事を勉強して、それをおまえにも話してやるとわざわざ私の部屋まで来て一連の話をしてくれた。

カタストロフィー理論は定性的な理論だから物理とはなじまないというのが私の意見だったが、この話をしてくれたUさんの力のいれように巻き込まれてしまった。その直後に田無市にあった原子核研究所の研究会に出かけたら、自発的対称性の破れについてのファイ4乗理論を素粒子分野のみならず物性の研究者からも聞いた。





Fussballzitate

2021-08-10 12:51:38 | 本と雑誌
昨夜のEテレ「旅するためのドイツ語」のFussballzitate から。

 Es muss um das ganz Grosse gehen.
   Und das ist unser Ziel, was wir mit der Mannschaft haben,
   einfach Weltmeister zu werden.
                                                                Oliver Kahn
   それはまったく大きなことだ。
 私たちの目的はティームと共に世界選手権に勝つことだ

訳がいいかげんかもしれないが、まあそんなに間違ってもいないだろう。
Oliver Kahnは名ゴールキーパーと言われた人だが、このときには控えのキーパーとして招集されたときだったらしい。

                                                    

「ウィナーかたぎ」と「ベルリンの風」

2021-08-09 11:25:27 | 本と雑誌
「ウィナーかたぎ」と「ベルリンの風」とは音楽の曲のタイトルである。

昨夜オリンピックの中継が終わった後で、Eテレの音楽番組を見ていて「ウィナーかたぎ」の「かたぎ」にあたるドイツ語を思い出さなかったので、妻にスマホで調べてもらった。

「かたぎ」だけを調べたら、なんだかそぐわない訳語しかでて来なかったので、その近辺を調べたら、Wiener Blut(直訳なら、ウィンの血)というのに出会った。これならよい。

そのつぎには、ベルリンフィルの放送だったが、この最後に「ベルリンの風」がでてきた。こちらは正しいかどうかはわからないが、たぶんBerilner Luftであろう。直訳すれば、「べルリンの空気」であろうか。

どちらの曲もその曲を聞いたら、誰でも、ああどこかで聞いたことがあると思われる曲である。

piove molto en casa

2021-08-07 13:22:08 | 本と雑誌
piove molto en casa(ピオヴェ モルト エン カーサ)

これは文法的には正しいイタリア語の文章であるが、ちょっとおかしいところがある。

この文章を日本語に直すと「家の中で雨がたくさん降る」という意味である。おかしい文章だが、これを練習のために覚えなさいと言われたのである。

別に日本人のイタリア語の先生に言われたわけではない。れっきとしたイタリア人に言われたのである。妻に何回もそのことを言ったので、もう妻がそれだけは覚えていて、今朝もピオヴェ モルト エン カーサとつぶやていたので、私も思い出したという次第である。

Quelle heure est il ?  (ケル ウール エ ティル)というフランス語もそういう一種である。結婚したころにラジオのフランス語講座で聞いて私が口ずさんでいたのを耳で聞いて覚えた妻が覚えたフランス語がこれである。

これは「いま何時ですか」という意味である。最近では語順を変えて

  Il est quelle heure ? (イ レ ケル ルール)

という風に文尾だけを挙げて疑問文とすることが多い。こうしたほうが口語的で、くだけた感じのフランス語であるらしい。


遠山 啓博士の著作目録

2021-08-07 12:36:16 | 数学
数学教育協議会という民間教育団体があるが、その団体の会長をかつて長年されていた、数学者・遠山 啓さんの著作目録を長年にわたって用意してきたが、そろそろ公開しようかと思っている。

これはA4の用紙にプリントすれば、39ページにもなる。ところが、これは単なるリストにすぎないから、それだけにこの長大なリストを発表する場所がない。

しかたがないから、そのままにそれが不完全であることもあって、ずっと手元においていたが、「数学・物理通信」が9月に通巻で100号となるので、「数学・物理通信」の号外として発行することをいま考えている。「数学・物理通信」は普通の人には手に入らないが、インターネットでアクセスできるようになるであろう(注)。

実は私はもう数学教育協議会とあまり関係がなくなっているので、埼玉県のある知り合いの方にこの著作目録の不備なところを補完していただける人の紹介をお願いしたのだが、どうもそれができないとの返事の手紙をもらった。

それでも その方からいくつかの訂正箇所の指摘と追加のアドバイスをもらっ
たので、それらの修正や追加をした後で9月には「数学・物理通信」の号外として発行するつもりである。

(注)「数学・物理通信」は基本的にメールで配布の雑誌である。購読料は無料である。

さらに「数学・物理通信」のバックナンバーはすべてインターネットで「数学・物理通信」で検索すれば、名古屋大学の谷村省吾先生のサイトにある。いつもお世話になる谷村先生、ありがとうございます。

『遠山啓著作集』(太郎次郎社)にも遠山さんの著作のタイトルはどこかの巻に載っているかもしれないが、それはタイトルと最小限の情報だけで発行年月日やページ数も私の編纂した著作リストには載せてある。それにできるだけデータをup-to-dateにもしてある。

遠山さんの伝記『遠山啓』(太郎次郎社エディタス)を書かれた友兼清治さんからは書物になっていないものがまだたくさんあるとご指摘をいただいたが、それ以前に書籍となったものだけでもある程度完全なリストをつくっておくべきであろう。

新聞や雑誌に載ったが、書籍には収録されていないリストをつくる人がいるかどうかはしらないが、それはほとんど不可能である。

国会図書館のOPACで検索すると関連した書籍・論文やエッセイを含めて3000件くらいがでてくる。これを遠山さん本人だけに限ったとしても2000件くらいになるのではなかろうか。

ところが、雑誌等は詳しい掲載ページ等が出ているが、書籍ではあまり発行の年月日等がはっきりとは記載されていないものが多い。

(2022.3.3付記) 「遠山 啓博士の著作目録」は「数学・物理通信」11巻号外号(2021.12)に掲載した。インターネットで検索すれば、名古屋大学の谷村さんのサイトで見ることができる。

広く社会にPRすべきだったが、遅くなった。たぶん、いまある著作目録では一番詳しいのではなかろうか。そもそも「遠山 啓博士の著作目録」などという種類の文献をみたことがない。

私にしてもなかなか発表に至らなかった。もう十年越しの仕事である。

8月の子規の俳句

2021-08-06 10:40:47 | 本と雑誌
   草枕の我にこぼれよ夏の星      (子規)

   Summer satrs
   spill over me
           sleeping in the open               (Shiki 1893)

戸外の草の上に寝転がっている子規の上に夏の星が光っているのであろう。皿からミルクがこぼれるようにたくさんある星の一つでもこぼれ落ちてほしいとでもいう感じがしたのであろう。

こう暑いと夜の少しの涼しさでもほっとする。そういう季節がなおまだ1か月以上も続く。