物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

パワー・ステアリング

2017-07-24 13:27:11 | 日記

のことをドイツ語でどういったのだろうか。とはさきほど車で仕事場に来るときに、道を曲がるときに車のハンドルを大きく切ったときに思い出したことであった。そのとき、パワーをドイツ語ではKraftとは言わなかったなということだけであった。そして、そういえばdie Servolenkung(ゼルヴォレンクング)というのではなかったかなと思い出した。

定年退職前には私は電気電子工学科に所属しており、その同僚にモーターの制御を専門にする方がおられて、その方の論文にservoなんとかという論文があったので、Servoという語を思い出した。

ドイツ語を普通に使うドイツ人ならば、こういう語は何でもない語だが、私などいまドイツに住んでいるわけではないし、それにドイツ語を話すとはいっても1週に一度でも話せば多い方である。だからすぐにこういう語は忘れてしまう。まだ独和の辞書をしらべていないが、多分これであっているであろう(注)。

(注)先日挙げた『クラウン独和辞典』(三省堂)にはこの語は載っていない。『独和辞典』(郁文堂)とか『フロイデ独和辞典』(白水社)には載っている。

『クラウン独和辞典』ではたぶん収録語数の制限で、載せられなかったのであろう。


読者を意識しない

2017-07-24 13:06:37 | 日記

という本の著者として、あさのあつこさんという方がおられる。昨日、朝日新聞を読んでいたら、あさのあつこさんはあまり読者を意識しないで自分のいいたいことを自分の本に書くということを述べておられた(注)。

これは先日ここで結城浩さんの『数学文章作法』(ちくま学芸文庫)でつねに読者のことを考えることを一番大事なこととされておられるのとちょっと対照的なのでここにとりあげた。

私もあまり読者のことを考えながら書いたことはない。だが、数学嫌いな人のことも考えて、できるだけ本文では話の筋を書き、テク二カルな数式の計算の詳細は付録に書くのが普通である。これは私自身は式の演算の細かなところも気になる方だが、あまりそういうことが気にならない人なら、大筋だけ知ればいいと考えるからである。

これは『四元数の発見』(海鳴社)でもその方法で書いている。人はいろいろだから、それに合わせたことがどうしても必要だという気がしている。少なくともあまり数学ではなく、計算が好きではない人にもなんとか読んでもらいたいという気が強い。実際にそういう人が四元数の本を読まれるかどうかはわからない。

 (注)はじめ、「あさのあつこ」さんのことを間違えて「浅野ゆう子」と書いていた。これは私の好きな女優さんの名前である。インターネットで調べて修正をした。


数学や物理の本の著者

2017-07-24 12:49:48 | 日記

として、私が注目にしている人として一番に結城浩(ゆうきひろし)さんがいる。この人は本来プログラマーだというが、最近は『数学ガール』シリーズの本の著者として有名である。

彼ほど有名ではないが、もうひとり注目している人に一石賢(かずいし けん)さんがいる。この人もソフトウエアの開発とかが本来のしごとらしいが、物理の本を書いている。普通にどこかの高校とか予備校、または大学で教えている人ではない人が数学や物理の本を書いているという意味で注目しているのである。彼の著書で私がもっているのは『道具としての物理数学』(日本実業出版社)である。

似たようなことをしている人に広江克彦(ひろえかつひこ)さんという人がいて、彼の主著は『趣味で相対論』(理工図書)である。こういう人がこういう本をかいて、生活していけるような時代にあるとすれば、やはり日本文化の厚さを示している時代になっているのではないかと思う。