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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

仲間割れ

2017-10-15 21:54:09 | 政治
>すぐ仲間割れするのが、民主党の組織体質だ。

そうですね。彼らの脳裏には大同 (非現実) というものが無いのでしょうね。ですから、大同団結の必要性は考えられません。

>民進党に看板を取り替えた途端に、決定的な仲間割れから分裂様相となってきた。

小異 (現実) が、仲間割れを分裂に導いたのでしょうね。大同のない党員にとって、小異を捨てる理由など何処にもありません。だから、分裂やむなしです。

>疑心暗鬼から仲間割れを繰り返す組織体質が、国民が民進党に二度と政権を委ねる気になれない根本原因ではなかろうか。

そうですね。’信なくば立たず’ でしょうね。組織に大同が無ければ、国民に疑心暗鬼が生じます。
小異は、現実の内容です。見ればわかります。大同は、非現実の内容です。これは考えの内容です。見ることが出来ません。
全ての考えは、文章になります。文章にならないものは、考えではありません。
非現実 (考え) の内容は、時制のある文章内容になります。日本語文法には、時制 (tense) というものがないので、日本人は自己の考え (非現実) を表すことが苦手です。ですから、自己の意見発表は難しくなるのです。
この国には何でもあるが、ただ、夢と希望だけ無い。何でもあるのは現実の内容です。夢と希望は未来 (非現実) の内容です。夢と希望は、未来時制の文章内容にして示す必要があります。ですが、日本人にはそれができない。現実離れした内容は、信じられない。自己の考えを表明しようとする人に対しては、’そんなことを言っても駄目だぞ。現実はそうなっていない’ と反論します。
時制は日本語にはありませんが、英語にはあります。ですから、我々日本人は、日本語と英語に両方に熟達しなくてはならないでしょう。
英米流の高等教育は、大人になるための教育です。小人を大人にする。さもなければ、人々は小異の激突に明け暮れる生活を続けてゆくことになるでしょう。

>対立政党にとって、これほど組みしやすい野党はない。

そうですね。自壊して消えて無くなれば、世話がいらないですね。

>工作を目論む外部勢力にとっては、すぐ仲間割れしてしまう集団に付け込むのは容易なことだ。

そうですね。烏合の衆に付け込むのは容易なことですね。日本人は、’一億一心’ の民ではないでしょう。その政治家は、離合集散を事としていますね。

>分裂工作を目論む勢力の邪心しだいで、国民の巨額の冨が失われたり、次世代にまで引き摺る不利な交渉ごとを飲まされたりしてしまう。

烏合の衆に団結力はありませんね。責任感もない。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。

>小池新党や民進党分裂の黒幕はどうなっているのか、小池新党と民進分裂を引き出した解散劇の見極めのポイントここにある。

黒幕には、哲学が無いのでしょうね。処世術には長けているのかな。

>安倍政権にも新党にも、どちらにも米国の属国となり下がった日本の逆境を跳ね返す力量は期待できない。

民が無哲学・能天気であっては、政党も機会主義・日和見主義にならざるを得ませんね。つかみどころがない人間です。知的でなければ、政党も無力ですね。

>しかし黒幕が介入する不正選挙は、日本民主主義の根幹を蝕むものだ。

そうですね。黒幕は、烏合の衆を好みますね。迷走への道案内人となるでしょう。

>日本国民は不正選挙を見逃すわけには行かない。

そうですね。そうありたいですね。既成事実の追認だけに終わらせないようにしないといけませんね。

>総理大臣からヒラの代議士まで、スキャンダルだらけの政界となってしまった。

スキャンダル以外に政治家の注目点が無いからでしょう。政治家も人気商売の一種ですからね。民の民度の低さが歴然としていますね。’誰にも哲学は必要である’ (Everyone needs a philosophy.) などという発言は、この国のどこでも聞かれません。それで、’考える人’ がいない。高等教育の価値についても、疑問視する人が少なからずいます。価値が無ければ、無償化の必要もありません。

>小泉政権の登場以来、政治家の自我肥大が凄まじい。

政治家が個性的になったということでしょうかね。これで、これで我が国の政治家も国際的な政治家として通用するようになるのでしょうか。

>志や仁義信が国民の平均レベルを欠く今の政治家に小選挙区制を突きつければ、簡単に仲間割れして保身になびくのは必須であろう。

そうですね。小異を捨てて大同につくことは難しいですからね。保身・保身と草木もなびく。今だけ、金だけ、自分だけ。
世界観が無いのですから、目の前の今だけが問題です。
金は、目的の為の手段にしかならないのですが、本来の目的が無いので金余りになる。
世界観が無いので、他人と未来社会の建設に関する議論ができない。相手との合意形成もあり得ない。だから、自分だけです。



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本音

2017-10-15 01:30:42 | 日本語脳
>「長谷川豊氏はそもそも本音で議論したら社会は壊れるという大前提を忘れてるんじゃないだろうか(リンク)」という記事を見た。

本音は恣意 (私意・我がまま・身勝手) ですからね。文章では言い表せないでしょう。バラバラな単語のままで存在します。小言・片言・独り言として発せられ、忖度 (推察) で相手に受け取られます。忖度は、自分勝手な解釈で、論拠になりません。正しい考え・正しい理解の言語学習の道から大きく外れています。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。文章には意味があり、矛盾があればそれを指摘することもできます。ですから、考えの内容は議論の対象になります。

>(以下引用)
> だから人間の本音は仲間内で管を巻くぶんにはかまわないが社会に組み込まれてはいけない。

本音には意味が無いのですから、公言・議論の対象にはなりませんね。

>個人の本音はけっこうな確率でいびつでゆがんでいて社会性のかけらすらないことがほとんどなのです。

意味のないものには、社会性もないでしょうね。

>人間はその能力以上に知力や理性を鍛えることのほうがはるかに難しいものです・・・僕の短い人生という経験上はいまのところそういうことになっています。

リーズン (理性・理由・適当) は、大切ですね。個人のリーズナブルな提案は貴重です。

>(以上引用)

>「本音には社会性が無い。だから建前は大切」という議論はよくある。

本音は恣意です。建前は処世術の口実に使われます。むないし限りですね。

>本音で社会が統合できないなら、人類は常に本音を押し殺し建前で社会を作らなければならなくなる。

本音・恣意では社会を統合できませんね。意味が無く、リーズナブルでもない。口実・建前の社会は、無哲学・能天気の人たちばかりになりますね。

>そうなれば何らかの建前に収束していくのも当然であって、本能や共認を否定・捨象して出来合いの観念に飛びつく。

口実は、出来合いの観念ですからね。弟子は、師匠に教えを乞う。そして、授けられた建前を暗記する。

>(「勉強脳」が大人になっても継続し得る背景ではないか)

建前は口実になるので、法律の様なものでしょう。処世術に励む輩は、’不適当ではあるが法律違反とは言えない’ といったところまで私利を深く追求してやみません。

>しかし、建前という観念では統合できなくなった社会にあって、照準を当てるのはむしろ本音の方だ。

本音は、文章になりません。ですから、本音は考えではありません。
考えの内容は非現実であり、時制ある文章の内容になります。ですから、考えの体系は哲学になります。
非現実の内容は、時制のある文章内容になりますが、日本語文法には、時制 (tense) というものがありませんので、日本人の考えの内容は、文章にはなりません。ですから、日本人は無哲学・能天気の状態にとどまっています。
英語には、時制がありますので、英米の大学では教養 (哲学) を学ぶことが出来ます。私達日本人も、日本語と英語の両方を学ぶと高等教育が有益なものになるでしょう。

>そして、本能や共認からできている「本音」と、そこに混入している自我を理解して、その発現をコントロールできれば、新しい社会を作るための観念群を構築していけるはずだと思う。

新しい社会は、未来の社会ですね。未来は非現実であり、その内容は哲学になります。矛盾を含まない文章はすべて正しいので、各人の考えを対象にした選択肢が生まれます。このようにして、我々は夢と希望に選択肢を持つことが出来ます。政治家の論戦も、実のあるものにすることができます。

>われわれは自我を恐れず、本音で議論しあうべきだ。

本音は文章内容になりませんから、議論もできません。不毛の議論はしないほうが時間の損失を防ぐことになります。


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