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共同体と個人

2017-05-07 10:33:56 | 日本語文法
>@(内田樹)教育には色んな機能があるんですが、基本は、子供たちを大人にして、自分たちが構築し運営している共同体あるいは自治体のフルメンバーとして、それを担い得るような公共性の高い市民を育てると言うことです。

社会性のある個人が必要ということですね。同感です。

>学校教育が今歪んでしまったのは、教育活動を行うのは共同体の利益の為ではなく、教育を受ける個人がそこから受益するためのものだと勘違いが広まったからだと考えます。

日本人にあるものは、現実ばかりです。受益は現実から得られます。
日本人には世界観がありません。過去・現在・未来の内容は非現実ですから、日本人には、想定外になっています。非現実の内容は一人ひとり違っています。
非現実の中に、’あるべき姿’ の世界があります。
日本人には、個人主義 (individualism) が理解できていないのでしょう。利己主義 (egotism) と誤って解釈されているのではありませか。
自主・独立 (independent) の発想のできる個人を育成することが必要でしょう。

>学校教育を子供たちに授けることによって、最大の利益をうけるのは、共同体そのものなのです。共同体を支える公民的な意識を持った人間、公共の福利と私的利益の追求のバランスを考えて、必ずしもつねに私的利益の追求を優先しないようなタイプの大人を、社会のフルメンバーとして作っていくことは、共同体の存続にとって死活問題なのです。

昔から伝えられている‘今だ、金だけ、自分だけ’ の処世術ばかりでは、社会の進歩に行き止まりがありますね。
そうした処世術を頼りにして生きてきた人間を、戦時中は ‘お国のためだ’ といって死地に送り込んでいた。’共同体のためだ’ ということでしょうが、一体誰の共同体なのでしょうか。
この国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。誰が、いつ、どこで、どのような間違った判断を下したのか、今でも明らかになっていない。とかく、この世は無責任。
この国が、どのような国であるべきなのか、'あるべき姿’を説くことのできる責任のある個人の出現が必要です。その ‘あるべき姿’ の内容は、非現実の内容であり、非現実の内容は、個人個人で違っている。だから、その方針の選択が国民にゆだねられています。賢い国民が賢い選択をすることになるでしょう。そうしたら、非現実の内容を現実の内容に変えることが出来ます。

>これは実に多くの人が勘違いしていますね。

それは、無理もないことです。日本語には、時制というものがありません。ですから、非現実の内容というものは考えられません。
理想は非現実の内容ですから、日本人には想定外になっていて、私たちの生活には夢も希望もありません。
理想を語る者に対して現実肯定主義者は、’そんなこと言っても駄目だぞ。現実はそうなっていない’ と反論します。
昔から我が国では ‘話にうつつ (現) を抜かしてはならない’ と、言われています。現実離れをした内容などは、日本人にはとても信じられません。
それは、無いことです。嘘・本当の ‘嘘’ でしょう。

>共同体の維持がいかに大切か。そしてその大切さを忘れている人がいかに多いか。

日本人には世界観がありません。ですから、移行すべき未来社会の内容は、想定外になっています。あくまでも、自分の考えは自分の為だけに絞られています。これは、現実に流されて生活する人間の悲哀です。
非現実が無いのであるから、哲学はない。現実ばかりでは、処世術・実学 (技術) に頼るしかありません。ですから、我々は、おしなべて無哲学・能天気の生活を続けています。ここに、我が国の教育改革の必要性があります。

>これはとっても重要で、正して行かないといけないことだと思います。

責任 (responsibility) とは何か。それは、応答可能性のことであります。
漢字は漢人 (中国人) の考えを示すために造られた文字です。いくら漢字を掘り下げてみても、横文字文化の内容は出て来ません。
意思のある所に方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思の無い人に対しては、折角の応答可能性も役には立たない。問題の解決方法 (非現実) を示すことが出来ないからです。
意思は未来時制の文章内容です。日本語には時制が無いので、日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。
責任とは、’引き受けて、せねばならない努め’ であるという。方法もなく義務が課せられるのは、誰しも望まないことです。そこには牛馬の苦しみが待っています。だから、だから我が国には有能な責任者が育たない。
自他ともに、意思の存在を認めあうことが大切です。しかし、日本語文法に問題があって、これも一筋縄では解決しないことでしょう。百里の道も一歩から。

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)

昔の日本人は、15歳の見習い乗子の責任は考えられたが、5代将軍と佐土原藩主の責任については考えられなかったようである。


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