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日本人の考え方

2017-03-13 20:16:31 | 日本語文法
日本人の考え方

イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>より

>(1)自己の論理的矛盾に全然気づかないこと。

日本語は、写生画の言葉である。明確な写生画的表現には矛盾がない。もしもおかしいところかあれば、それは事実関係調べを通して解決される。
しかしながら、考え (非現実) の内容は、写生画的表現にはならない。だから、目で見ることが出来ない。話の筋には、理解が必要になる。だが、日本人は、考えを文章内容として表現する方法を持たず、矛盾の淘汰の仕方も知らない。知っているのはバラバラの単語を並べた歌詠みだけである。文章がなくて、意味が伝えられないので、精神活動の蚊帳の外にいることになるのでしょう。

>(2)歴史として感じる感覚が皆無なこと。

日本語には、過去時制が無いので、脳裏に過去の世界を再現することはできませんね。過去と現在とを取り間違えて、時代錯誤ということになることも多いでしょう。

>(3)見るよりも価値判断が先行するために、’対象を見ること’ が不可能になる事。

序列を付ける考え方は、日本人の強迫観念にまでなっています。いつも、上を注目しているので、下の注意はおろそかになります。世界を色眼鏡で見ていることになるのでしょう。現実直視が難しくなる。敗戦は終戦か。

>(4)自己の条理が何を基準にしているかについての自覚がないこと。

日本人には、世界観がない。だから、自分の条理をはっきりと脳裏に描くことが出来ない。そして、自己の発言に確信が持てない。’我々は何処に向かうのか’ という質問には自分自身の答えが出せない。だから、指導性が発揮できないので、いつも人の後からついて行く。

>(5)自己の言葉を客体化して、自己の言葉から自由になる、という考え方が皆無なこと。

日本人の考えには、非現実の内容がない。話の内容が ‘現実離れ’ していると、信じることがむずかしい。
現実肯定主義の人は相手の意見を聞いて、’そんなことを言っても駄目だぞ。現実そうなってはいない’ と反発する。自分自身が現実の中に閉じ込められていて、自己の変革は考えられない。’不自由を常と思えば不足なし’ ということか。


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