月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

もう頑張りたくない。

2022-07-14 | 癌について
ここ2~3か月、夜も眠れないほど胃腸の調子が悪かった。精神的なものだとは、なんとなくわかっていた。
6月の原稿の追い込みも終わったので、10日ほど前に近所の胃腸内科を受診した。
とりあえず2種類の薬を出してもらい、2週間ほど様子をみることになった。
効果はあり、お腹の張りや胃の不快感はほぼなくなった。
相変わらず食はあまり進まない。空腹感はあるのだが、食欲がわかない。特に肉や生魚がダメだ。炭水化物は食べやすい。お酒はほとんど飲めない。
初めて「ジュースを飲む人」の気持ちがわかった。これまではアルコールも入っていない甘い液体を口にする気持ちなどまったく理解できなかったのだが、野菜や果物のジュースやスムージーが飲みたくなる。飲むヨーグルトも好き。
秋ごろからまた体重が増え始めていたが、4、5キロ痩せて元に戻り、ちょうどよくなったのはよかったが、人と飲みに行くのが少ししんどくなった。

先週、3か月ぶりのCT検査を受け、昨日はその結果を聞きにいった。
いつも結果を友達にLINE等で報告するのだが、昨日は誰にもしなかった。実家の母にだけ送った。

私の体にたくさんあるがん細胞のいくつかは変化なしだったが、いくつかは確実に進行していた。
特に左下腹部にある一番大きいものは(これがおそらく下腹部痛の原因だと思うのだが)、1か月に約1㎜ずつ大きくなっている。わずか1㎜だが、1年経てば1㎝以上大きくなるわけで。すでに4cm近くまでになっている。
腫瘍マーカーも基準値を超えていた。

何も治療せずに放置するのも「これくらいがギリギリかなぁと僕は思う」と主治医は言った。
2年と2か月、医療としての治療は何もせず、食事など生活習慣の見直しだけでなんとか乗り切ってきたが、そろそろ限界らしい。やはり、少しずつ進行はするのだ。
逆に言えば、こうしていろんなことをやって毎日努力してきたから、このくらいの進行で済んでいる、とも考えられる。

とりあえず、10月のCT検査の予約だけはして、それまでに新薬の治療を受けるかどうか考えて、受ける気になれば連絡をします、ということで帰った。
治療を受けるなら、今が一番いいタイミングなのだ。それは主治医が言う「病状」のレベルとしての話ではなく、私自身の仕事のタイミングのことだ。
10月のCT検査を受けて、その時もっと進行していて、そこから治療を始めるのはとてもタイミングが悪い。10月から忙しくなるし、取材のスケジュールも入っている頃だから迷惑をかけてしまう。
その点、7月~9月までは一年でもっとも暇な時期だから、治療を開始しても誰にも迷惑がかからない。
10月号の取材もすでに終えているので、9月までにゆっくり調子を見ながら書いていけばいいし、新たな取材は受けなければいい。
この治療を始めたら、おそらく日常生活にも支障が出てくるので、取材の仕事は無期限で休止することになるだろうから、クライアントに話して自分をメンバーから外してもらわなければならない。それなら「今」がいいタイミングだ。
結局、自分の命や体調より、仕事で迷惑をかけないかどうかが基準になるのだな、と思った。
これは私だけでなく、社会生活をしている人ならほとんどがそうだろう。一人で生きているわけではないのだから。

検査結果だけでも、いつものように友達に報告しようかなと思ったが、良い結果ではないことを知らされても返信に困るだろうし、まだ今後の治療についても決めていないので、とりあえず個別に報告するのはやめた。
たまたまこのブログを読んでくれたなら、ああそうなのか、そういう状況なのか、と思ってもらえたらいいかなと思う。特に言葉はいらない。治療を受けることが決まれば、その時はまた個別に報告もしようと思うけれど。

治療を受けるなら、新薬のキイトルーダとレンビマの併用しか考えていない。他にも抗がん剤などの選択肢はあるが。
私の通っている大学病院でもまだ5、6人しかやっていない新薬だ。その人たちの副作用を主治医に聞いたが、わりと強めにあるらしいし、いろんなものが出るので、内科や皮膚科やいろんな科と連携して治療を進めていかなければならないとのこと。中には週に2回くらい通院している人もいるとか。
また、抗がん剤のように、投与の後、1週間くらい副作用が出て、その後は次の点滴まで楽になるというものではなく、薬を使っている間はずっと何らかの副作用に苦しまなければならない。主に、痛みや倦怠感、下痢、高血圧などのようだが、「ずっと」なので、これまでと同じような生活はできないだろう。通院と寝たきりの療養生活だ。

まあ、様子を見ながら、薬の量を減らしたり、副作用を抑える薬も併用したりして、なるべく日常生活が送れるようにはしてもらえるようだが、安定するまでは時間がかかるようだ。
だからこそ、時間に余裕のある「今」がちょうどいいのだけど。
8月、9月で新薬とうまく付き合えるようになったら、10月以降の取材でも、近場で短時間のものなら受けられるかもしれないし。数時間の痛みならなんとか薬で抑えられるだろうし。

とにかく7月中に結論を出し、受けるならお盆休みの後から開始しようと思っている。
8月17日に東京で単発の仕事が入ったので、どうしてもそれだけは終わらせてからにしたいからだ。

そんなことを帰宅してからソファに寝転がって悶々と考えていた。
考えていたら、なんだかもうすべてが嫌になって涙が出てきた。
最近、「持病を苦にして自ら命を絶つ人」の気持ちがわかるようになった。以前はまったく理解できなかったのに。
今は、気持ちだけは理解できる。私は絶たないけれど。
体が思うように動かなかったり痛かったりすることも辛いが、もう昔のように元気になることはないのかなと思うと、生きている意味がわからなくなるのだ。
家事も仕事もまともにできない、好きなものも飲み食いできない、世の中に何の役にも立たない。一体何のために生きながらえているんだろうかと思う。
「ごくつぶし」という言葉が浮かび、なんだか笑ってしまった。
みなしごが親戚の家に引き取られ、「この穀潰しめ!」みたいに言われるシーン。あれが浮かんで。
私は「健康でよく働くこと」だけが取り柄だったのに、「病気で寝たきり」になったら、もう何の役にも立たない。ただの穀潰しだ。
そんなことを考えていたら、涙がぽろぽろ出てきた。
すべてが嫌になった。
元気にふるまうことも、希望を持つことも、生活をがらりと変えることも、好きなことをあきらめることも。
もう私はだいぶん頑張った。本当に頑張った。
良い結果が出ないと、自分の努力がまだ足りないような気がして、誰かに責められているような気持ちになるのも辛い。
本当に頑張ってるんだよ!!と大きな声で言いたい。主張したい。

もう頑張ることに疲れてしまった。
病気に降伏してラクになりたい。
でも本気でそう願ってしまったら、一気に進行するような気がして怖くて、また頭を抱えてしまうのだ。