「袖触れ合うも他生の縁」と、相も変わらず利いたふうな口をきく私だが、
誰が会ったこともないエラそうなオヤジを連れて被災地の案内なぞしてくれるものかと思うと、
ここでの伝聞をブログに記すのは、キーボードで文字を入力するという作業上は簡単なことなのだが、
それはすなわち、私自身の半ちくをそのまま表すことにしか過ぎず、今の私にはとうてい出来得ることではない。
それでもこの先、私は私なりに、そこに行った意味を何度でも問い直さなければならないと思う。
答えは現場にある。
「問われているのは何か?」ということをである。
この年になってわかるのは、今の自分がこうしてあること自体が、何かに対する答えだということです。それも「こうやったからこうなった」という単純な答えではない。
自分がいままでやってきたこと、社会とかかわってきたことの結果として表にあらわれているのが、ただ今現在の自分である。いろんなことに反応してきた結果が今の自分です。世の中の一部としてあらわれたのが自分なのです。
それを何かに対する答えだと、私は表現しています。あなたがいまこうしてここにいる。そのこと自体が人生という質問の答えなのです。
じゃあその質問は何か。これこそ、それぞれ自分の頭で考えていくべきことなのです。
(『復興の精神』新潮社より、『精神の復興需要が起きる』養老孟司)