一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

中原誠五段の47勝8敗.855の内訳

2024-03-09 12:49:34 | 男性棋士
年度最高勝率を狙う藤本渚四段は8日、第65期王位戦挑戦者決定リーグで佐々木大地七段に敗れ、46勝9敗.836となった。これにて、1967年度に中原誠五段(現十六世名人)が作った47勝8敗.855の記録を抜けなくなった。
これで残るは、44勝7敗.863の藤井聡太竜王・名人が更新できるかどうかに懸かった。
ところで、いつも引き合いに出される中原五段の1967年度の成績は、どんなものだったのか。棋戦別の勝敗を記しておこう。

第22期順位戦C級1組…○○○○○○●○○○○○(11勝1敗)
第7期十段戦…一次予選○●(1勝1敗)
第17期王将戦…一次予選○○二次予選○●(3勝1敗)
第11期棋聖戦…一次予選○○○二次予選○○本戦○○○○五番勝負○○●●●(11勝3敗)
第12期棋聖戦…本戦○(1勝)
第9期王位戦…予選○○○○(4勝)
第15回王座戦…本戦●(1敗)
第16回王座戦…一次予選○○○○二次予選○○(6勝)
第11回古豪新鋭戦…○○○○(4勝・優勝)
第17回東西対抗勝継戦…○○○●(3勝1敗)
第1回日本将棋連盟杯争奪戦…○○(2勝)
特別対局…○(1勝)
以上、47勝8敗。

東西対抗勝継戦は日本将棋連盟杯争奪戦に変わり、のちに天王戦に変わった。そして1993年、棋王戦に合流した。
古豪新鋭戦は、棋王戦の予選を兼ねた名棋戦へと名称を変え、後に棋王戦に合流した。
NHK杯は、当時は選抜制だったので、中原五段の出場はない。
また新人王戦は、まだ創設されていない。
順位戦C級1組は、当時12局あった。中原五段は6連勝後に木村義徳五段(現九段)に敗れ、デビューからの順位戦連勝は「18」でストップした(「中原五段の順位戦連勝を止めた男」)。
中原五段はこの対局の前まで公式戦でも14連勝しており、この敗戦のあとも9連勝した。勝負事にタラレバを言っても詮無いが、もし中原五段が木村五段に勝っていたら、24連勝というとんでもない記録が生まれていた。
11月21日には、第11期棋聖戦本戦準決勝で大山康晴名人(現十五世名人)と初対局。これに勝って挑戦者決定戦に駒を進めた。
大山名人はこの敗戦で、全タイトル戦での連続出場記録が「50」で途切れた。大山名人はこの敗戦をとても悔しがっていたという(「今日は何の日・11月21日」)。
「初対局」としては、中原五段は7月14日に、同じ棋聖戦二次予選で升田幸三九段(現実力制第四代名人)とも当たっている。もちろん勝ち、大山名人と当たったわけだ。中原五段がこの年に、将棋界を代表する両巨頭と当たっていたとは、なかなかに興味深い。
なお第11期棋聖戦は、中原五段が板谷進六段(現九段)との挑戦者決定戦に勝ち、20歳にしてタイトル戦初登場となった。いまでも20歳のタイトル戦登場は衝撃的だから、当時はもっとセンセーショナルだった。結果は山田道美棋聖に2勝3敗で敗れたが、新鋭中原五段の名は全国区になった。その後の活躍は周知の通りである。
こうしてみると、藤井竜王・名人こそ、中原五段の記録を抜くにふさわしい。そして、藤井竜王・名人が最高勝率を塗り替えても、またその記録を自身が抜きそうな気がするのだ。
コメント (3)
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