一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

LPSA芝浦サロン・松尾香織女流初段(当時)10

2016-10-03 23:06:34 | LPSA芝浦サロン
2011年12月2日にLPSA芝浦サロンに行き松尾香織女流初段(当時)に教わったあとは、少しご無沙汰して2012年3月23日にお邪魔した。この時の担当は渡部愛ツアー女子プロ(当時)だった。現在は愛ちゃんに教わろうと思っても無理に等しいが、当時の芝浦は半分閑古鳥が鳴いていて、容易に指導対局が受けられた。
その時の将棋を紹介したいのだが、記譜ノートに記譜が記されていない!
たぶんノートを忘れてどこかに記したのだろうが、その転記をしないまま、メモを紛失したと思われる。愛ちゃんとの貴重な記譜を、もったいないことをした。
この頃から私は大野教室に行くようになり、芝浦へは足が遠のくようになる。次に訪れたのは翌2013年1月16日だった。2012年に休場していた松尾女流初段が復帰し、この日が芝浦サロンの初登板だった。

午後5時に仕事を終え、田町で下車。サロンに入る前に、小諸そば二枚もりを食べた。指導対局の前の軽食は気分もウキウキして、より美味く感じた。
6時すぎにサロンに入ると、髪をダラーッと伸ばした女性が、初老の男性と将棋を指していた。彼女が、松尾女流初段だった。
一瞬、貞子にも見えたのは、ブルーのアイシャドーを引いていたからか。ちょっと生気が抜けた感じだが、妙な魅力は健在だった。
予約は7時半の回だったが、前倒しして対局となった。
「髪、ストレートにされました?」
「私クセっ毛だから…」
とりあえず髪型に触れておくのがよい。と、松尾女流初段が「少しふくよかになられました?」
と付け加えた。
私は2011年の秋に、1か月で10キロ痩せたのだが、この頃はその反動で、ぶくぶく太っていたのだ。
対局開始。▲7六歩△3四歩▲2六歩に、松尾女流初段は△3五歩と指し掛けて△5四歩と突いた。と、手合い係の藤森奈津子女流四段がクジ箱を持ってきた。この月はキャンペーンとして、お年玉くじがあったのだ。1枚引いたら6等で、私はAKB48「永遠プレッシャー」のCDをいただいた。
「マッカラン勝負はどうなったっけ?」
と松尾女流初段。
「もちろんやってますよ。この将棋もそうですから」
一昨年は「もうダメーッ!!」とテーブルに突っ伏した松尾女流初段である。前年の休場が精神疾患だったのか肉体的疾病だったのか知る由もないが、こうして対決のことを思い出してくれたのは、いい傾向だった。

松尾女流初段はゴキゲン中飛車の作戦。第1図で私は▲3六銀と出たが、これはどうだったか。今なら出ない。

数手進んで、第2図で▲5七歩。もちろん△3九角を防いだ手だが、これもいまなら絶対に打たない。
とはいえ代わる手もむずかしく、強いて指せば▲6六角と打つんだろうか。しかしそれは△4四銀が厳しそうだ…。
いずれにしても作戦負けで、ここでは下手がわるい。

第3図の△3五歩に、私は▲2七銀。これも今なら指せない手で、▲4五銀と出たいところ。まあそれは△4五同銀▲同歩△2七歩▲同飛△3八角があるし、単に△3三銀と引かれても下手が忙しいが、それにしたって▲2七銀はないだろう。
▲2七銀以下の指し手。△3三桂▲3八銀△2五歩▲4九銀△2一飛▲2七歩△1四歩▲6六歩△1五歩▲4八金△5五銀▲3八金△4六銀▲5八金△5一飛▲2六歩△4五桂▲3九角△3六歩▲同歩
△5六歩▲同歩△5七歩▲4八金左△5六飛▲6七銀△5一飛▲5六歩△2六歩(第4図)

▲2七銀以下の指し手もひどく、▲4九銀まで引かされた上、右の金は退却し、左の金は△5七歩と叩かれ▲4八金左とよろける。もう、記譜が違ってんじゃねぇかと訝ったが、どうも合っているようだ。
もう下手どうしようもないが、第4図で指した次の手が最後の悪手だった。

(つづく)
コメント
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