先日読んだ本に、「前列人間と後列人間」という見出しで、床しさについて書いてあった。
著者は文学博士の外山滋比古先生。
先生の曰く。
何人かが集まって、記念写真を撮るとき、
『普通の人間は、できれば、前列は遠慮したい。・・・略・・・本当に立派な人は多く後列にいるようである』
と、かなり断定的に書いてあった。
なるほどなあ、と思わないでもない。割り込んででも前列に顔を出す人はいる。
しかし、
『本当に立派な人は多く後列にいる』
という断定には、若干異論がある。
私自身のことを言えば、前列に並んだり、後列に立ったりしている。
つまり、あまりこだわらずにいる。
ところが、外山先生は、
『普通の人間は、できれば、前列を遠慮したい。すすめられても、断って後列に立つのが床しい』
とまで書いている。
確かに目立ちたがり屋がいて、前列に立とうとするかもしれない。
だからと言って、「すすめられても、断って後列に立つのが床しい」とまで言わなくても、いいのではないかと、私は思う。
立つ位置なんぞ、所詮は立つ位置だけの話。
人によっては、名前と顔を売るため、前列に立ちたい人はいるにはいる。
しかし特に望まなくても、その場の雰囲気で、前列に並んでしまうことだってある。
絶えず気を廻していて、絶対に前列に並ばないようにしなければ、床しくないのだろうか。
そのようなことを考え、立つ位置に気を配っているほうが、私には不自然に見えるのだが。
こんな私、やっぱり床しさとは縁遠いようだ。
もっとも、先生のデンで言えば、ブログを書くこと自体、床しさから遠いかもしれない。
外山先生ご自身、あのような本を書いていて、床しい人なのだろうか。
夕べは雪だった様子。屋根に白いものがうっすら。
今日は一日、東京見物(?)です。
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