新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

久闊を叙す

2015年02月25日 09時37分14秒 | 身辺雑記

 昨日の話。

 朝は小糠雨だったが、午前中は陽が射した。

 楽しい一日だった。

 四谷の居酒屋で、仲間たちと飲んだ。

 仲間の一人(Y.Sさん)が、一月で定年退職となった。すでに自由を謳歌していた我々が、「ご苦労さん会」を開いたという次第。

 場所は四谷三丁目の居酒屋「S]。

 以前は、近くに著名な歌手をかかえているプロダクションがあったので、時折は大物歌手が飲んでいたりした店だ。

 そんな言い方をすれば、かなり立派な酒場のイメージとなろうが、実はそんなことはない。店主には悪いが、お世辞にも「キレイ」とか「オシャレ」とは言えぬ。

 ひところ、我々の勤め先がその近所にあった。だから、社員たちの溜まり場めいた空間だった。

 「S]のオヤジはざっくばらんなイイ人。いろいろな便宜を計らってくれる。気を使ってくれる。それに安い。だから仲間たちには人気があった。

 通常は午後5時開店なのだが、昨日は特別に4時に店を開けてもらっていた。

 集まったのは、主賓のY.Sさん、幹事はY.YさんとS.Tさん。そのほか、T.K, M.K, S.Sと私。つまり、当時の企画室の面々だ。

 この仲間と飲むのは、とても楽しい。侃々諤々はあるのだが、決して悪突っ張りはしない。ほどよいところで折り合いが付き、話題は次へ次へと展開する。

 集まった顔ぶれが顔ぶれであり、集まった趣旨もあって、思い出話めいたことから話題は始まった。

 当時の上司は私。当然のこととして、私の糾弾会になってしかるべきなのだが、なんとなくほどよいところで止まっている。

 そんことを考えると、ひょっとしたら、私がいないほうが、ストレス解消にはいいのかもしれない。

 いずれにしても、私にとっては、すこぶる気分がいい集まりだった。

 集まった仲間たちの年齢は、80才代の私が最高齢で、あとは60代と70代。

 十数年前とは話の内容がだいぶ違ってきている。やはり病気の話題は主役に近い。病気王の私も押され気味だ。

 話題のすべてを紹介したいのだが、キリがないので今日はこの程度で止める。残りは別の機会に譲りたい。

 とにかく楽しかった。ありがたかった。

 写真は黄水仙。過日、公園で撮った。

 花言葉が面白い。

 「自己愛」、「私の元へ帰って」

 誰が考えたものかしらないが、是非、由来を知りたいものである。

 

 

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春に三日の晴れなし

2015年02月24日 19時12分07秒 | 身辺雑記

 「春に三日の晴れなし」とはよく言ったもの。

 機嫌のよかった空模様は、昨日の午前中までだったろうか。今日は朝からぐずついた。

 世相も晴れない。中学生が殺害されるという凄惨な事件があった。

 テレビや新聞で大きく取り上げているが、まだ核心的な報道はなされていない。

 捜索はかなり進んでいると思う。しかし、事件の性格上、公表を控えているに違いない。

 テレビや新聞が伝える友人たちの言葉を知るにつけ、いたましくてならない。可哀想でならない。

 ひところ、「14才」が話題になったこともあった。難しい年頃であることは間違いない。

 与那国島に自衛隊を配備するに際し、中学生以上の住民投票が行われた。

 中学生たちの胸の内はどんなだったろうか。

 自衛隊配備についての論議に、中学生を巻き込んでよかったのかどうか?

 まずかったと思っているわけではない、しかし、「島の将来を考えさせるには絶好の機会」とまでは言いたくない。

 考えさせることは賛成だが、責任を持たせてよかったかどうか。

 当事者でない私が言っていい言葉ではないかもしれない。

 中学生は難しい年頃だ。

 写真は昨日の昼頃。

 紅梅が笑顔を見せていた。

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春ではないか!

2015年02月22日 19時44分45秒 | 身辺雑記

 すっかり無精を決め込んでいた。カラオケにも、ゴルフ練習にもご無沙汰をした。

 理由は幾つかあったが、くどくどと言っても始まらない。その理由は、まだ進行中だ。

 お陰で、同じ作家のミステリー小説を幾冊か読んだ。中には、三回も読み返した本があった。

 このように小説に没頭したのは、幾年振りであったろうか。私の胸の中に、まだ熱っぽさは残っていたらしい。

 明日から、ペースを元にもどしたい。なすべきことが幾つも待っているのだ。

 そう言えば、昨夜の気象予報では、春一番が吹くと言っていたが、吹いたのだろうか?

 

 

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困った時のカラス頼み

2015年02月13日 16時52分31秒 | 身辺雑記

 気合いの入らないブルーな日が続いている。

 言い訳やら理由を言えばあることはあるのだが、人がら見たら、単なる怠惰。

 もっとはっきり言えば、加齢性のなにかかもしれない。

 とにかく寒さには堪えた。よくもまァ、風邪もひかずにいるものだと、多少は自分を誉めている。

 ここのところ、大きな出来事が続いていた。

 中でも、やはり「イスラム国」問題は、もっとも気になる事件でした。

 今後にも大きな翳を落としていることは間違いない。

 アメリカが地上部隊を派遣すると言いはじめたが、「口だけバンチョー」なのかどうか?

 ウクライナの問題も世界を揺るがしている。

 日本自体にだって、解決すべき課題が山積。

 写真は数日前に撮ったカラス。

 私の場合、写真にしても俳句にしても、「困ったときのカラス頼み」で、カラスには片想いの態。

 

 

 

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世代間対立を煽り立てるな!

2015年02月02日 19時45分19秒 | 身辺雑記

 「選択」は愛読している月刊誌だ。「三万人のための情報誌」を標榜していて、幅の広い情報を掲載している。

 2月号の「巻頭インタビュー」に、「シルバー民主主義が国を滅ぼす」というインタビュー記事が載っていた。

 井堀利宏氏(東京大学大学院経済学研究科教授、1952年生まれ)に対するインタビューだ。

 記事は、「高齢者層が政治を左右する『シルバー民主主義』が問題になっています」という質問から始まっている。そもそも「選択」誌側に、『シルバー民主主義』を問題視しているところからのスタートだ。

 それに対する井堀氏の話としては、「一票の格差の問題を見ても、重点的に議席が配分されている地方部では高齢化が進んでいるため、より高齢者の意向が反映される。日本は移民も受け入れていないため、今後20年はこの傾向が続き、高齢者層に政治が壟断され、・・・・財政や年金・社会保障の問題は解決しずらい」と述べている。

 つまり政治家が、「あからさまな高齢者向けのリップサービスに明け暮れているので、年金制度の改革もできないでいる」のだそうだ。

 そのくだりの中で、井堀氏は、「私の試算では、今すぐに年金給付額を三割カットすれば、年金財政は継続できる。しかし、それを高齢者が受け入れるとは思えない」、と言っている。そりゃァそうだ。どこまで知恵を絞ったか分からないのに、いきなり「年金の三割カット」と言われたのでは、高齢者だって納得できない。「私の試算では」とわざわざ言いながら、「三割カットすれば制度は継続できる」という言い分を展開する学者先生のいい加減さに呆れてしまった。そんな経済学ってあるのか。笑わせてもらっては困る!

 さらにインタビューは、「政治における世代間の力の片寄りは解決できますか?」と続いた。

 その質問に対し井堀氏は、「私はかねて世代別選挙区の導入を提案している」、とのこと。さらに、「そのくらいしないと政治、『老人の代表』だらけの政治によって生まれたこの国の歪みは直らない」、とも述べている。

 このような記事を読んで、私は腹が立つより恐ろしくなった。少なくとも指導的立場や教育者的立場にある者が、「高齢者によって政治が壟断され」と言ってみたりして、まるで世代間の対立を煽っているようなものではないか。まったく危ない。

 世代間による利害の対立や地域間による対立はあるに違いない。性による利害の対立もある。学歴による利害の対立もある。人種による利害の対立もある。企業規模による対立もある。

 それらの「対立」を調整するのが政治であり、あまり期待していないが、ひょっとしたら、学問にもその役割があるのではないか。

 井堀氏は、「高齢者は現役世代によって支えられているのだという事実を真摯に受け止めなければならない」とも言っている。

 そんなことは言われなくても分かっている。ワケの分からない後輩たちより、しっかり受け止め、弁えているつもりだ。

 先輩たちが残した戦争の負の遺産を引き継ぎ、ここまで再建したのが私たちの「親世代」以降の、いわゆる「高齢者」だ。

 高度成長期となりバブルがはじけ、溺れそうになったのも高齢者だ。

 少子高齢化になってしまったこの現実に対し、戸惑いながらも、責任の一端を感じているのも高齢者だ。

 そんな高齢者に対し、「日本人は一度壊さないと本当の危機を実感できないのだろう。幸いなことに、敗戦や震災から立ち上がった日本人は、立て直すことにかけては定評がある。この国の老人を見ていると、いっそ壊すしかないとさえ感じるという高説を開陳して、インタビュー記事は終わっている。

 これが東京大学大学院教授の言説なのだ。暗澹とした気分に襲われたのは、むしろ悪し様に罵られた高齢者の私のほうだ。このような浅薄な学者や教育者がのさばるこの国の将来に、希望があるのだろうか。

 高齢者が国の改革の邪魔になるのだとしても、悪し様に罵るのではなく、お得意の明晰な頭脳と先見性を駆使して、じっくりと調整に汗を流すのが、あなたがたや政治家の役割ではないのか?

 かつてサンフランシスコ講和条約を締結する際、「中ソ抜きの条約締結」に反対した東大総長に対し、時の吉田首相は、「曲学阿世の徒」と断じたことがあった。今の私は、ついそのようなことを思い出してしまった。

 こんな記事を「巻頭インタビュー」とするようでは、「選択」の見識もそんなものなのか?

 

 

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