きっと逢えるのではなかろうかと、心躍らせながら密かに出向いたのです。
良く晴れた紅葉日和でした。
でも、逢いたい人には会えぬ仕舞いだったのです。
悲しいけれど、これが「えにし」ということなのでしょうか。
紅葉山逢へずにひとり帰りけり ひよどり 一平
(もみじやまあえずにひとりかえりけり)
きっと逢えるのではなかろうかと、心躍らせながら密かに出向いたのです。
良く晴れた紅葉日和でした。
でも、逢いたい人には会えぬ仕舞いだったのです。
悲しいけれど、これが「えにし」ということなのでしょうか。
紅葉山逢へずにひとり帰りけり ひよどり 一平
(もみじやまあえずにひとりかえりけり)
秋の夕暮れどきの浜辺。気まぐれに撮った一枚だ。
沖を広く撮るべきだったのだが、寄せた波の円形を喜んで撮った。
運転手をしてくれた弟は既に亡い。
秋夕波まあるく寄せて引きにけり ひよどり 一平
(あきゆうなみまあるくよせてひきにけり)
私は烏瓜が好きだ。秋が深まるにつれ、実を紅に染めてゆく烏瓜に惹かれる。
花期には何やら面倒な花を咲かすのだが、興味が湧かない。実こそが烏瓜だと思う。
この季節になって、やっと自己主張を始めたような感じがしていじらしい。
その自己主張にしても、極めて抑制的。むしろ滑稽なほど控え目なのだ。
嬌声の過ぎて身を染むからすうり ひよどり 一平
(きょうせいをすぎてみをそむからすり)
何をやってもやらなくても、裏目に出ることって、結構あるものなんだ。
そんな日こそ、酒でも呑んで、早寝をしたほうがよほどいい。
あれっきり神は死んだか芒原 ひよどり 一平
(あれっきりかみはしんだかすすきはら)
子供の頃から、私は短気だった。
身体に幾つかの傷があるが、我慢が出来なかったことによって負った傷だ。
母親にはその都度諭されたが、短気はおいそれと直るものではなかった。
母親の言葉に、「腹が立ったら、親指の爪を舐め、その爪が乾くまでものを言うな」というのがあった。母親の知恵だったのか、誰かの知恵だったのか、私は知らない。ことがある度に言い聞かされていた。
爪が乾くまでには、気持ちが落ち着くということらしかった。
その後、幾度も腹を立てたが、親指の爪を舐めたことはなかった。常に、指を舐める余裕はなかったのだ。
間もなく米寿という今、短気とは言えども、怒り方が少し和らいできたと思っている。もちろん、爪は舐めていない。
一方、詫び言がサマになってきたとも思っているのだが、果たしてどうだろうか。
詫び言は大仰がよし芋嵐 ひよどり 一平
(わびごとはおうぎょうがよしいもあらし)