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妙心寺17 特別拝観12 霊雲院(太秦・花園散策22)


写真は、方丈前庭

通常は非公開の塔頭です。
2012年6/2の「そうだ 京都、行こう」会員プランや、2016年の京の冬の旅で公開されました。

門をくぐると前庭があり、ここだけでも結構きれいです。

右手奥の庫裏から中に入ります。  
左手に進むと、方丈の右手になります。
2016年の京の冬の旅では、表門左手から唐門をくぐり方丈にまっすぐに入りました。

方丈内陣には開祖の特芳禅傑像(右手)と弟子の大休宗休像(左手)がお祀りされています。
方丈の前庭は立派な松が左右にある、苔の枯山水庭園です。

方丈の奥の廊下を進むと書院があります。
手前に4畳半の間があり、その奥の5畳半の間が重要文化財の“御幸の間”です。

ここは大休宗休に帰依した後奈良天皇(戦国時代、正親町天皇の先代)が、度々行幸された際に使用された部屋です。
5畳半の部屋は中心が4畳半で、端の1畳は欄間だけで仕切られています。
そこに付書院や違棚があり、当時は本当に書院として利用していたそうです。
襖絵は当初は狩野正信のものだったそうですが、今は後年書かれた片山尚景のものです。
また4畳半の間の正面奥には立派な襖があり、あたかも武者隠しのような感じです。
ここを開けると、内部に小さな天皇の玉座があります。
天皇は大休宗休に帰依するものとして、上段には座れないとのことで、中と外の床の高さが同じにするように指示されたそうです。
かといって天皇と同じというわけにもいかないので、部屋の間の敷居だけを15cmと高くすることで結界とし区別したそうです。

御幸の間の前庭はわずか18坪ですが、工夫の凝らされた枯山水庭園です。
左手の石組を木曾の山中に見たて、右手の伊勢湾に流れ込む木曽川にもイメージ出来ます。
また右手の縁側から庭園を見渡すと、左手の石組は一見普通に“縁の外”にあるように見えます。
しかし縁を進み近くで見ると、その実半分程度は“縁の内”にあります。
これも庭園を広く見せるために遠近法を利用した結果だそうです。

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コメント ( 16 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
後奈良天皇らしい (2級のほう)
2013-01-06 17:43:37
大休宗休に仕える身なので、天皇でありながら上段に座れないというのは、いかにも後奈良天皇らしいエピソードですね。この天皇は相当無名です。桓武天皇以降を全部覚えているamadeusさまでさえ、わざわざ正親町天皇の先代と書かれていることからも無名さが伝わります。ただ、戦国時代にあって財政が逼迫していながら、不正な献金を突き返したりするなど、筋を通した人だったようです。その清廉さが部屋の特徴として後世まで残っていると思うと感慨深いですね。
 
 
 
2級のほうさま (amadeus)
2013-01-06 22:36:24
>わざわざ正親町天皇の先代と書かれている
正親町天皇は信長関係で、次の後陽成天皇は聚楽第行幸で、高校の歴史の教科書(山川出版(笑))に、名前ぐらいは出ていたと思います。

しかしその前の後奈良、後柏原、後土御門あたりはまず名前が出てきていないのではないでしょうか。

 
 
 
突き返されたのは… (京極堂)
2013-01-08 00:52:16
大内義隆ですか?
詳細教えて下さい。
後奈良天皇は、食に事を欠き、短冊に筆を振るって礼銭を得たという噂話的なエピソードがあると、以前読んだ事があります。マイナーかもしれませんが、私的には非常に興味がある方です。
 
 
 
amadeusさま (maybe)
2013-01-08 06:05:51
>桓武天皇以降を全部覚えているamadeusさま

以前には天武天皇や聖武天皇など有名どころがいることから、あえてだとは思いますが


線引きが見事ですね。

 
 
 
京極堂さま (amadeus)
2013-01-08 12:00:27
僕の持っている書籍によると、
・大名の献金で即位をしている(当時はみんなそうですね)
・飢饉に際して新嘗祭を中止している
・売官の風習に不快感を示していた
そうです。

マジメで民草のことを考えておられた天皇のようですね。

ここで天皇に詳しいスーメテさまや2級のほうさま等に質問です。

後白河天皇や後醍醐天皇などは、白河天皇や醍醐天皇がおられるので分かるのですが、
後深草天皇、後柏原天皇、後奈良天皇や後水尾天皇は、どういうことなんでしょうか?

要するに”誰の後やねん!”ってことです。

ショウモナイ質問だったらゴメンナサイ。
ちなみに自分では全く調べていません・・・。
 
 
 
maybeさま (amadeus)
2013-01-08 12:10:11
いつもは朝にお返事するのですが、先ほどアマデウス会員に送信した件があったので、朝にお返事が出来ませんでした。

京都検定対策および今後の拝観対策で、天皇の系譜の本を買ったのですが、未だに第50代桓武天皇以前のページは”開いてもいません”(笑)。

個人的に天皇個々の情報に特別興味があったわけではなく、「拝観の際の駒札に天皇名が書いてあっても時代がピンとこない」ことってありますよね(特に武家政権以降)。

それに”イラっ”ときたのがすべての始まりです。
それなら1つの時間軸として桓武天皇以降は覚えようじゃないかと。
しかしダダ覚えはツライので、天皇が移り変わる歴史背景という物語で覚えるために購入したのです。

僕の”目的(京都拝観の際に時代を即座に掴む)”からすれば、それ以前を読む理由は”どこにもない”ことになるのです(笑)。

やっぱり極端な性格のようです(笑)。
 
 
 
京極堂さま (maybe)
2013-01-08 12:27:22
詳細といえるかわかりませんが

○一条房冬を左近衛大将に任命した際に秘かに朝廷に銭1万疋の献金を約束していた事を知って、献金を突き返した

○即位式の献金を行った大内義隆が大宰大弐への任官を申請したが、 これを拒絶した。大宰大弐任命は、周囲の説得で翌年にようやく認めた


とありましたので


「献金を返した」という点でしたら一条房冬になるのではないでしょうか。

 
 
 
私も (WAN)
2013-01-08 13:12:37
全く詳しくないので、後○○の件、前から疑問でした。同じく、知りたいです!
あと、どういう経緯で○○天皇と決まるのでしょうか?天皇在位時は違うでしょうし。
 
 
 
「後」天皇 (super-meteor)
2013-01-08 13:34:36
こんにちわ。

天皇談義が続いてますねw

語りたいところは山ほどありますが、質問だけに答えますね!

後深草天皇 ← 仁明天皇
後柏原天皇 ← 桓武天皇
後奈良天皇 ← 平城天皇
後水尾天皇 ← 清和天皇

となっております。これは天皇の異称に「後」が付けられています。

このように、「後」がつく天皇は26例ありますが(初見は後一条天皇)、先例とされる天皇は平安前期に集中しています。その理由は系譜の正統性も絡んでいるのですが、、ここでは省略w


もう一つ、天皇について(結局質問とずれますw)
天皇を指す言葉としては「諡号」と「諱」があります。
前者は○○天皇という場合の○○にあたるものです。
後者は実名のことで、昭和天皇を例にすれば「裕仁」がそれにあたります。

諡号はある一人の天皇を除いて、天皇の死後に決まります。

その天皇とは後醍醐天皇です。……彼は本当に異色な天皇なんです。




 
 
 
super-meteorさま (amadeus)
2013-01-08 13:46:39
>天皇の異称に「後」が付けられています
そのまま
後仁明、後桓武、後平城、後清和となっていた方が、後世の素人には分かり易かったものを・・・。

そのまま用いなかったのは、例の”憚って”てことなんでしょうか。

>ある一人の天皇を除いて、天皇の死後に決まります
これは答えを聞かなくても推察できましたね。
後醍醐天皇の延喜、天暦の治へのあこがれからしても、”後醍醐”は譲れなったでしょうね。
そういう意味では後村上天皇も、雰囲気的に”後村上”しかなかったのでしょうね(笑)。
 
 
 
WAN師匠への回答 (super-meteor)
2013-01-08 14:03:15
先ほどのおまけ

後小松天皇 ← 光孝天皇
―――――――――――

師匠の問に対する答えです。

天皇の諡号は後醍醐天皇を除いて、死後に、協議で決まっております。

どのように決まるかというと、その天皇の生前の遺徳や御在所の場所の名前などによって決まります。
そうは言っておきながら、その当時の政治状況や承継の状況によってある程度パターン化できます。

ここからは家系図を見てください

1.皇統が変化する場合大抵、「光」がつきます
 例:光仁天皇、光孝天皇、光格天皇など

2.悲運な天皇、なんか問題を起こした天皇ほど「徳」がついちゃいます
 例:孝徳天皇、称徳天皇、文徳天皇、崇徳天皇、安徳天皇、順徳天皇など、

3.御在所からとります
 例:亀山天皇(亀山殿)、○条天皇

4.憧れの天皇に「後」をつける
 後醍醐天皇は天皇親政としての「延喜の治」をした醍醐天皇にあこがれていました。建武の新政はまさしくその再現に近いものがあります。
 
*「後」が付けられるのは時代状況や天皇の治世や即位状況が似ていたり、、その天皇の正統な後継であることを示すために使われたりする場合もあります。(鎌倉以降)

 
 
 
なるほど (WAN)
2013-01-08 14:17:51
super-meteor様ありがとうございます。
後○○の件、すっきりしました。
 
 
 
追加なるほど (WAN)
2013-01-08 14:19:57
おまけの件も納得しました!ありがとうございます!
 
 
 
amadeus様 (super-meteor)
2013-01-08 14:33:29
確かに、憚ってというのはあるかもしれませんね。
ただ、それは僕から見れば、「桓武天皇」ぐらいしか見当たりませんねw

天皇の異称はその天皇のゆかりのある場所からとられていることが多いです。

 まず、清和天皇は天皇の位を投げてからは、嵯峨野の奥地「水尾」で仏門に入って壮絶なの修行をします。(みなさんの中に「水尾」に行ったことがある人はいなさそうですが、行ってみると、清和天皇の気持ちになれますw。雅な嵐山とは違った雰囲気を味わえます)
 
 話には出ていませんが、江戸期の後西天皇は淳和天皇の異称、西院帝からとられたものですが、淳和天皇の離宮「西院」はまさしく今の、西院にありました。異称はそこからとられています。ちなみに、後西院天皇でなければおかしいのでは??と疑問に思われますが、呼び方が上皇とかぶるなど、呼称のややこしさから実は、後の世に「後西天皇」に統一されました。中継ぎ天皇ではあるし、父親からは寵愛も少なく、影の薄い天皇だったので、名前ぐらい…形式通り読んで下さいよ!って思いますが~

 また、薬子の変でお馴染みの平城天皇は病気で弟の嵯峨天皇に位を譲ったのち、平城京に引きこもってしまいました。やから、「奈良天皇」という異称は合いますね。

 後世の側から見れば「異称」は分かりづらいので、統一しろといいたくはなります。最初、僕も上記の疑問に出くわしたとき、「みんな、異称があるの?」って半分呆れちゃいました。
 
 
 
super-meteorさま (amadeus)
2013-01-08 16:18:05
>皇統が変化する場合「光」がつきます
>悲運な天皇、なんか問題を起こした天皇ほど「徳」
そういわれてみれば、そうですね。
面白いですね。
全く気づきませんでした。

>”後”は・・・正統な後継であることを示すために使われたりする場合
後花園天皇は完全にそのケースなんでしょうね。
後小松天皇は慌てたでしょう(笑)。

面白く、大変勉強になりました。
ありがとうございます。
 
 
 
後花園天皇(家系図必須です) (super-meteor)
2013-01-08 17:47:38
amadeus様

おっしゃる通り…後花園天皇の即位は異例の連続でした。

というか、この時代のゴチャゴチャ感は半端ないですね。  

南北朝時代の北朝の天皇はやたら「光」がつきますw(後円融天皇以外)
=光厳、光明、崇光、後光厳、後小松(後光孝)、そして、南北朝統一後は、称光天皇と「光」が続きます。
これは南朝側に北朝の皇統の正当性を示すために乱発されました。
北朝側には三種の神器がなかったために、必死ですw

そして、病弱の称光天皇が亡くなった後、後小松上皇により、猶子(契約上の親子関係)の彦仁王(伏見宮家出身)が即位します。

北朝の「光」使用は先ほど述べたように、南朝に対するアピール目的でしたが、本来的な意味で「光」が使われるべきなのは、まさしく、この後花園天皇なんですよね。なぜなら、皇統が北朝の中でも後光厳系(弟系)から崇光系(兄系)に変わってますから。

しかし、「光」は用いられなれませんでした。実は北朝側は一枚岩ではなかったんですよ。

火種は崇光天皇の時代、南朝側によって、光厳上皇、光明上皇、崇光天皇と皇太子は連れ去られます。
旗印を失った北朝側は無理無理即位させたのが、仏門に入ろうとしていた弟・弥仁王、つまり後光厳天皇でした。(三種の神器がないうえに、後継指名もなし。足利義詮は広義門院[亡き後伏見上皇の妃]に上皇の代理をさせて指名。先例として継体天皇wwをもちだす)


その後、崇光天皇は京に戻りますが、弟が即位している以上、天皇には戻れません。しかし、先ほど述べたように三種の神器の所持以上に正統性の欠いた即位だったので、時代を経ても崇光上皇側は皇統の本流はこちらにあると主張し続けていきます。(その経緯等があって、初の宮家「伏見宮」が誕生するのですが、、、)

話は長くなりました(ー_ー)!!

後光厳系の継承者たる後小松天皇としては、自分の代で皇統が絶えるのは嫌でありました。南朝にはもちろんのこと、北朝の正統とされる崇光系にも渡したくありません。


後継者が後光厳系からいなくなって、形の上では崇光系に移っても「皇統」は移っておらず、後光厳系は断絶していないことを示す“執念”みたいなのが、後花園天皇という諡号に現れたといえるでしょう。



 
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